オールドレーシングカー談義

1950~1970年代のレーシングカー、その他のマシーンについて語り合うブログです

ロドリゲス&シフェール

2015-05-07 | log・レーシングカー他

珍しい動画から・・・
1971年のシーズン末にジャッキースチュワートのチャンピオン獲得を祝って、ノンチャンピオンシップのF1レースがブランズハッチで行われました。その時の余興で行われた、各チームのマネージャーがフォードエスコートに乗ってワンメークレースです。
1971 - Team Manager's Ford Escort race
(「MOTOR PRESS」さんの動画を参照させて頂きました)

ところが、このイベントは不幸に襲われます。メインイベントだったノンチャンピオンシップのF1レースでBRM-P160に乗るジョーシフェールがクラッシュし、焼死したのです。
1971 Brands Hatch Soccorsi Siffert


Acidente fatal de Jo Siffert no GP da Inglaterra de 1971

そして、これは1970年、1971年の2年間に渡って繰り広げられたJWポルシェチームのロドリゲス、シフェールの確執の終焉でした。1968年、1969年とJWチームの古いフォードGT40にルマンで苦杯を舐めさせられたポルシェ(ピエヒ)が、JWチームを取り込み917でのレース活動を委託します。そして、2台のファーストドライバーにシフェール、ロドリゲスを据えます。シフェールはポルシェチームのNo.1がそのまま加入した形でした。ロドリゲスはNo.2として加入した筈でした。ロドリゲスのクルマのカラーリングは、本来No.2カーのカラーリングです。しかし、ロドリゲスはシフェールを上回る勝利を挙げ、立場が逆転しかねない状況になりました。2年間に渡る両者の確執は凄まじいものでした。それが、最も極端に表れたのが1970年のスパ1000kmの例のスタートシーンでしょう。
 



実は、ロドリゲスは、この年のベルギーGPでもBRMP153で勝ち、BRMに久々のF1勝利をもたらしています。

ロドリゲスは、1968年にもBRMに所属し、競争力の無いマシンで堅実に得点を挙げていました。しかし、中々有力チームの席を得られず、1970年にようやくシートを確保し、その実力を知らしめたのです。しかし、そのことは本来No.1であるシフェールとの間に確執を生みます。1971年のノンチャンピオンスポーツカーレースでロドリゲスが死亡。更にシフェールの悲劇により幕を閉じます。こうなる運命だったのかもしれません。

1000km Spa 1970.avi

1970 - A Year To Remember - John Wyer's Gulf Porsche 917 team



 


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