オールドレーシングカー談義

1950~1970年代のレーシングカー、その他のマシーンについて語り合うブログです

小林彰太郎氏の逝去

2013-10-30 | log・レーシングカー他

「カーグラフィック」初代編集長、小林彰太郎が死去…享年83歳
2013年10月29日(火) 00時41分(レスポンス)
 自動車雑誌『カーグラフィック(Car Graphic)』(二玄社、その後カーグラフィック)の初代編集長であり、現名誉編集長の小林彰太郎氏が10月28日、死去した。享年83歳。
小林氏は1962年、二玄社よりカーグラフィックを創刊、初代編集長の職に就いた。同誌は「暮らしの手帖」に範をとった消費者視点による独立カージャーナリズムという立場から、商品としての自動車のみならず、自動車が持つ社会的意義や道路行政にまで踏み込んだ幅広い評論活動を展開し、多大な支持を得た。就任後、27年の長きにわたり同職を務め、その後編集顧問、名誉編集長としてひきつづき自動車ジャーナリズムの一翼をになった。
著書には『On the road―すばらしきクルマの世界』(二玄社)、『小林彰太郎の日本自動車社会史 』(講談社)、『昭和の日本 自動車見聞録』(カーグラフィック)など。翻訳書としてはポール・フレール執筆による『ハイスピード・ドライビング』『新ハイスピード・ドライビング』(二玄社)を手がけたほか、児童書の『じどうしゃアーチャー』(教育画劇)の監修などもおこなっている。
《北島友和》
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 カーグラフィックの初代編集長だった小林彰太郎さんが亡くなられた。つい最近まで、エッセイ、対談を読んでいたので、驚きました。御冥福をお祈りします。
 ライオン油脂の創業一族である小林家の長男として、本来ライオン油脂の社長になる立場の人だったらしい。病気の為、それはかなわず、自動車会社への就職も既往症で引っかかって出来なかったらしい。その為フリーの自動車ジャーナリストの先駆けとなった。
 私は、CGを読み始めた頃は、車そのものには興味が無く、レース、レーシングカーの情報を得る手段として読み始めた。その頃、海外レース、レーシングカーをまともに報道するのはCGが唯一でした。その頃のCGは、おおよそ浮世離れしていた。外界では全共闘が騒がしい時代に、ホテルでのコンクールデレガンスなどを報道し、誰それのブガッティは、マルーンと青の塗り分けがオリジナルとは逆だったなんて報道をしていた。戦前の上流階級はこういうものかと思ったものです。それは、間違えば反発を招きかねないものだったかもしれないが、堂々と自動車趣味の評論を展開した。一方でオーナーの立場からの自動車評論を確立した。それがなければ、日本に自動車の文化は無かったのでは。実際、ヨーロッパに渡って自動車の文化の情報のルートを作れる人はいなかったのではと思います。

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