この道を歩いてる

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木村紀夫さんお話会in東京 4回目・5回目の報告

2016-07-15 09:58:57 | Weblog
昨年から続けている木村紀夫さんお話会。ブログで宣伝せぬまま、今回で5回目の開催が終了しました。

毎回違う場所で開催してきましたが、これくらいの少人数で行えるのが一番いいかなぁと思っています。これからも続けていきますので、まだ聞いたことがないけど気になっていたという方は、是非いつか足をお運びください。

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いつも様々なことを考えさせていただける木村紀夫さんお話会。今回は、木村さんにご質問をしながら、「そういえばあの日、自分は何をしていたんだっけ?」と思い返していました。

震度5弱で大きく揺れたビル。通話中だった電話を置いて、棚を押さえながら机の下にもぐりこむ。揺れがおさまってすぐに避難した隣の公園。交通機関の回復を待ちながら食べたうどん。結局歩いて帰ることになった夜の街。帰宅難民が同じ方向に連なって歩いている中で、ホームレスの方だけがゆっくり空を見上げていたのを何故かよく覚えている。

これが、僕が体験した「東日本大震災」の当日。

あの日、色々な場所で色々な人が色々な状況の「東日本大震災」を体験した。木村さんが教えてくれるのは、そういう当たり前のこと。

木村紀夫さん。東日本大震災により発生した津波で、ご自宅と奥様とお父様を亡くし、次女は今も行方不明。現在は移住先の長野県白馬村で今後の生き方を模索しながら、次女の捜索のために定期的に福島県に通っている。

簡単に書けば、これが木村さんの現在のプロフィール。だけど、話を聞けば聞くほど、「こうして簡単に紹介していいのかな」という気持ちが強くなってくる。

東日本大震災が起きた時、ご自宅ではなく職場にいた木村さん。ラジオから流れてきたのは「3mの津波がくる」という予想。それを聞いて安心し、職場の片付けを優先させた。

しかし実際に来たのは10mを越える津波で、家に戻ったときにはすでに家が流されていた。それでも家のすぐ裏は高台になっているので、当然避難できているだろうと考えた。だが避難所を周っても、お母様と長女以外のご家族と会うことが出来なかった。

暗くなった自宅周辺で家族を捜すが、目視と声がけしかできない。震災の翌日、明るくなってからご家族を捜そうとした時に、原発周辺から避難指示が出る。行方不明のご家族も、生き延びた家族もどちらも大事だが、ひとまず長女を安全な場所に連れて行くことが大事だと考えて、自家用車で大熊町を出た。

避難指示が出たのは朝7時頃だったが、その時にはすでに茨城からも大型バスが到着していた。ということはもっと早い段階で避難しなければいけないということが分かっていたのでは?という疑問がよぎる。

後日になって、お父様のご遺体が自宅近くの田んぼで見つかる。震災翌日の朝に周辺を捜索出来ていればお父様を見つけてあげることが出来たのではないかという思いがこみ上げる。

震災当日から翌朝にかけてだけでも、これだけのことを聞かせていただける。きっとまだまだ話せることはあるのだろうし、どこまで話しても話し尽くせるものでは無いのだろうと思う。

それを知ってほしいなというのが、僕の思いです。「東日本大震災」という一息で発せられてしまう単語を、「木村紀夫さんが体験した東日本大震災」という長いストーリーに変える。そのことで、想像できる範囲が格段に広がる。

たとえば、いつも話題に上がるのが中間貯蔵施設の問題。

福島県内の除染で取り除いた土や廃棄物を、安全に管理・保管するための施設である「中間貯蔵施設」。この受け入れを、大熊町は正式に表明している。

木村さんのお話を聞くまでは、「中間貯蔵施設」は福島第一原発からほど近い場所に作るしかないだろうなと僕も思っていました。帰還間困難区域として立ち入りが制限されている大熊町に、放射能に汚染された廃棄物を集めることは、各地でバラバラに保管するよりも合理的なことのように思っていたからです。
そして「中間貯蔵施設」というのは恐らくそのまま「最終処分場」に変わっていくのだろうなということに関しても、そこまで違和感を持っていませんでした。

ですが、いま僕は木村紀夫さんを知っています。「帰還困難区域」と捉えていた大熊町を「木村さんが次女の捜索を行っている大切な故郷」として想像できるようになっています。

木村さんのご自宅は、中間貯蔵施設の建設予定地とされている。もし中間貯蔵施設が出来たら、木村さんの自宅跡はどうなるのだろう。自由に捜索活動を続けることは出来るのだろうか。木村さんにとって、ご家族と繋がることの出来る大事な場所への立ち入りは制限されてしまわないだろうか。

そういうことがとても気になるようになりました。それに対して自分が出来ることは思いつかないかもしれない。だけど、確かに自分の物の見方は変わっている。多分そこがスタートラインなのだと思います。

物事を考える時、テレビや新聞・ネットの情報だけでなく「具体的な顔が思い浮かぶこと」がいかに大切かを、木村さんは教えてくれます。

会の終わりに、「親ばかかも知れないけど・・・」と言いながら見せてくれたのは、たくさんの汐笑ちゃんの写真。

このまま社会に出しても恥ずかしくなかったという自慢の汐笑ちゃん。次女らしい要領の良さと周りを観察する力、利発な笑顔、気付けば輪の中心にいる求心力、走るのだって速かった。

伝わってくるご家族への想いの中で、「汐笑が見つからないのは、そのことで俺の背中を押しているのかもしれない」と木村さんが話してくれたことが強く印象に残っています。

いま、木村さんが暮らす長野県白馬村では、様々な能力や個性をもった仲間が集まって、ああだこうだ言いながらともに未来を考えています。震災後に出来たこうした関係も、汐笑ちゃんがつなげてくれたもの。ともに捜索活動をしている仲間も汐笑ちゃんがつないだもの。もちろん僕と木村さんの出会いも汐笑ちゃんのおかげ。

こうして木村さんが体験を伝えてくださるのは、「亡くなった家族のために伝えていきたい」という気持ちもあるのだと伺いました。それならば、木村さんが望む限りは僕も微力ながらお手伝いさせていただきたいと思っています。

今後とも、地道に一回ずつ続けていきたいと思っていますので、いつかタイミングが会ったときに是非お越しください。
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木村紀夫さんのお話を聞いて思うこと(その2)

2015-06-29 21:12:08 | Weblog
木村紀夫さんお話会『汐凪を捜して』第2回が無事に終わりました。

おかげ様で今回も多くの方にお越しいただき、満席以上でのご案内となりました。木村さんの穏やかな語り口が会場中に染み渡る良い時間となったのではないかと思います。
お越しいただいた皆様、お忙しい中駆けつけてくれた紀夫さん、本当にどうもありがとうございました。

さて、御礼かたがた一応会のご報告をしておきたいのですが、何度挑戦してみても紀夫さんの話を人に伝えるのは難しいなと感じます。
紀夫さんが体験されたことを、違う人間の口から語ることによる取りこぼしがどうしても気になってしまうからです。
自分の拙い表現では適切な言葉が見当たらないことも多く、これを言ったら失礼にあたるのではないかとか、もしかしたらこれは僕の勘違いかもなとか。
どうしたもんか。やっぱり紀夫さんの口から直接語ってもらうのが一番確実なのではないかと思うわけですが、昨日ある参加者の方と話していてふと思ったことをちょっと書いてみます。

紀夫さんの話を誰かに伝えるのは難しいなというその気持ちは、もしかしたら震災のことを考えるのは難しい。という理由と似ているのかもしれないなと思います。
3.11以降に起きたことは、全員に共通することではなくて、それぞれの立場で違った影響を受けていること。それ故に、ある1点の立場から見て考えたことが、他の立場の人を傷つけてしまう可能性があること。善意から出た考えや言葉が意図しない方向に広がり伝わっていってしまうこと。そんなことの積み重ねで、難しい…とついつい頭をひねってしまう。

僕自身、震災直後に申し訳程度にボランティアに入ったけど、それもたった2回だけ。それ以降、積極的に関わろうとはしてきませんでした。
中途半端に関わることが、かえって失礼にあたるのではないか。ボランティアに行くという行為自体が押し付けになりえないかなどと無駄な言い訳をたくさん考えてしまったからです。

御幣を恐れず簡単な言葉に変えてしまえば、「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」という気持ちに陥ってしまったのだと今なら思います。

具体的な行動を取ることが出来ずにモヤモヤしていたある日、僕は紀夫さんとじっくりお話をさせていただく機会をいただきます。
そこで初めて気が付いたことは、僕はそれまで生の声を聞いたことが無かったのだなということでした。
そこで思ったんです。

「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」のは、「具体的に思い浮かぶ知り合いがいなかった」という結構単純な話だったんじゃないかと。

被災地と言っても様々な立場があるので、一括りにすることは出来ませんが、僕はこの出会いによって福島県大熊町にお住まいだった「木村紀夫さん」という一つの視点から震災を考えることが出来るようになりました。

地震発生時に聞いたラジオから流れてきた津波の高さ予想は3メートルというものだったが、実際には10メートルを越える波がきたこと。
自宅から高台に移動した母親と、小学校に残った長女は生き延びて、家族を心配して海沿いの自宅に戻った父親と奥様と次女は津波に奪われてしまったこと。
それらを想定外と言ってしまえばそれまでだが、「津波の時は海には近付かない」とか「少しでも高いところに逃げる」、「まずは自分の身の安全を考える」といった考え方をもっと家族に周知させておくべきだったこと。

震災の日の夜、街灯も月明かりもない真っ暗闇の中で家族を捜したこと。大きな瓦礫をどかすことは出来ないので、目視と声がけしかできなかったこと。
震災の次の日、明るくなってから家族を再度捜そうとした時に、原発周辺からの避難指示が出たこと。
行方不明の家族も、生き延びた家族もどちらも大事であること。まずは長女を安全な場所に逃すために自宅周辺からの避難を決意したこと。
震災直後に家族を捜すことは出来なかったが、生き延びた家族のためには後悔はないこと。ただし、悔いは残っているということ。

書こうと思えば、こうして何も見ずにサラサラ書けてしまうくらいに僕は紀夫さんのことを知りました。
それでもまだ知らないことの方が多いのだろうと思います。僕はそれをもどかしく思います。

一人きりだった捜索活動から、だんだんと仲間が出来てきて、汐凪ちゃんの持ち物や奥様の遺留品が出てくるようになる。
境遇をともにする仲間とも出会い、だんだんと笑うことが出来るようになったという紀夫さん。確かに捜索活動中の写真を見ると、そこには笑顔の紀夫さんがいます。

その感情の移り変わりを理屈として理解することはできるけれど、自分の感情として体感することは出来ません。
僕は何とかその気持ちを少しでも感じたくて、汐凪ちゃんの捜索の手伝いを申し出たところ、紀夫さんの仲間の皆様にお断りをうけました。
現場に行くとどうしたって被爆してしまう可能性がある。これから結婚して子どもを作るつもりなら連れていくことはできない。それより君にはほかの場所で出来る事があるはずだと。そしてそれは紀夫さんの考えでもあったようでした。

僕は大熊町に行くことは出来ない。放射能という存在に、この問題の微妙さを思います。

それでは、自分に出来ることは何だろうと考えてみる。自分の体験を伝えたいという木村さんの想いに協力すること。東京でお話会を企画すること。なるべく初めて紀夫さんの話を聞く方にご参加いただくこと。自分なりに紀夫さんをご紹介すること。

あれから僕は、折に触れて「被災地」というよりは「紀夫さん」のことを考えています。
「東日本大震災」ではなく「紀夫さんが体験した震災」を一から捉えなおしています。

漠然と「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」問題だった震災が、「紀夫さんに協力できることは何か」という具体的な問題に変化し、ほんの少しだけ実行に移せるようになりました。

なので僕はこのお話会を「震災お話会」とは表現せず、「木村紀夫さんお話会」とさせていただいています。
「震災」という大きな枠組みで捉えるよりも、「紀夫さん」という一人の立場に視点を据えることで見えてくる景色があると思うからです。

恐らくこの先、紀夫さんが僕とお付き合いをけていただける限り、僕の中で震災は風化しないだろうと思います。
風化するとか風化しないとかって本当はそんなに意味のあることじゃなくて、自分の中に「風化しない理由」があるかどうか、ただそれだけなのではないかと感じています。

一見して無関心と映ってしまう景色があったとして、それは各人の質や優劣の問題なんかでは決してなく、単純に「そこに大事な人がいるかどうか」ということに大きく左右されるのではないか。最近少しづつそんなことを思うようになりました。

僕は自分の中に世界の喜びも悲しみも「風化させない理由」をできるだけ多くもっていたいなと思います。
そういう意味では、僕が紀夫さんに出会えたことは幸運そのものだし、汐凪ちゃんが与えてくれた出会いに感謝の思いでいっぱいです。

またこの先も、こういった機会を作ることが出来ればいいなと思っています。
紀夫さんのためという気持ちもあるし、みんなにも紀夫さんの話を聞いてほしいという願いも当然あるけれど、何より自分のために続けていきたいです。
その時にはまた告知しますので、今回タイミングが合わなかった方、是非ご参加ください!

何はともあれ、今回も紀夫さんどうもありがとうございました!!
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木村紀夫さんのお話を聞いて思うこと

2015-02-09 17:18:59 | Weblog
定員35名様のところ、無理やり50名様にお入りいただき、「木村紀夫さんお話会」が無事に終わりました。お越しいただいた皆様、ご関係の皆様、本当にどうもありがとうございました。

木村さんのお話については、他の方がたくさん書かれているので今さら僕がご説明することもないのですが一点だけ、改めて思ったことを書かせていただきます。

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僕は、木村さんのお話を聞いていると「世界に起きている現実は一つではないのだなぁ」ということをいつも強く思います。

東日本大震災があって、続く福島第一原発事故があって、世の中がたくさん動きました。

だけど、この動いた方向というのが何ともちぐはぐで、それぞれの思いがどうも噛み合わない。分かり合えないで罵り合う。そんな動き方が目立つように僕には感じます。

恐らくみんな不幸になんてなりたくないわけだから、目指す場所は同じだと思いたいのですが、なぜこんなことになっているのかといえば、きっとそれは「それぞれの現実が違うから」なのではないかと、そんなことを思いました。

僕が東京で体験した大震災と、東北の方が経験した大震災、そして東北の方の中でも原発にどれだけ近い場所でそれを経験されたかによって、その「現実」が大きく変わってくるのだと思います。そしてそれは、「どれが本当の現実」などというものではなく「全て本当の現実」であるので、何だかややこしくなってしまっているのではないだろうかと感じています。

木村さんが投げかけてくれる問いは数多くありますが、その中でも大事なテーマの一つに「中間貯蔵施設」の問題があります。

*中間貯蔵施設-除染で取り除いた土や放射性物質に汚染された廃棄物を、最終処分をするまでの間、安全に管理・保管するための施設。
(現時点で最終処分の方法を明らかにすることは困難なので、中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了するというロードマップが環境省から出されています。


この「中間貯蔵施設」について、大熊町は正式に受け入れを表明しています。

正直なことを書けば、僕も「中間貯蔵施設」は福島第一原発からほど近い場所に作るしかないだろうなと思っていました。そして「中間貯蔵施設」というのは恐らくそのまま「最終処分場」に変わっていくだろうなとも。汚染されてしまったものはばらばらに保管していくのではなく、線量の高いところに集めていくしか方法は無いだろうなと思うからです。これ自体は特別おかしな発想ではないと思っていました。

ただし、これは僕が東京から見ている考えであって、この問題を木村さんの目線から考えてみると全く違った角度から物事が見えてきます。

木村さんは福島第一原発から3キロほど離れた熊川地区にご家族と暮らしていらっしゃいました。2011年3月11日に発生した津波により、ご自宅は流され、木村さんの父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さんが帰らぬ人となり、二女の汐凪(ゆうな)ちゃんは現在でもまだ行方不明のままです。

今では大熊町でただ一人の行方不明者となってしまった汐凪ちゃんを捜すため、木村さんは数少ない一時帰宅のチャンスを利用して捜索活動を行っていらっしゃいます。

年に15回しか許されず、時間制限も設けられる一時帰宅では十分な捜索も行えません。それでも捜索の度に、汐凪ちゃんが履いていた靴や運動着、生前に奥様が着用していた帽子や家族で撮ったプリクラなどが出てきます。

木村さんにとって、大熊町の自宅周辺というのはご家族とつながることが出来るかけがえの無い場所です。そのご自宅周辺が中間貯蔵施設の対象地となっており、国から買い取りの話が来ています。

中間貯蔵施設が出来てしまったら、木村さんの自宅跡はどうなってしまうのか。その後、木村さんは自由に捜索活動を続けることが出来るのか。木村さんにとって、ご家族と繋がることの出来る数少ない場所への立ち入りが制限されてしまわないか。買い取りに対して、国からの説明は曖昧なままだそうです。

原発事故によって住む場所を追われた上に、ご家族と繋がれる場所まで国に奪われてしまうことを思うと、中間貯蔵施設が大熊町に建設されようとしていることについて疑問が出てきます。

これ「が」真実です。というよりは、これ「も」真実です。と言うべきなのでしょうか。

解決策が見つかりにくい話だと思います。きっと割り切った正解なんてものもない話なのだと思います。

だけどこういう話を聞くと、自分には物事の一つの側面しか見えていなかったのだということを思い知らされます。

木村さんのもとには「(土地の買い取り容認の)サインがもらえるまで通います」と担当の方から連絡があったそうですが、その後のアプローチは途切れたままだそうです。

この問題について、僕はまだ勉強不足なのでどうしたらいいか分かってはいませんが、せめて物事が動き出す前に木村さんと国あるいは町との間で「話し合い」があってほしいなと思います。ある日突然振り下ろされる事務的な連絡ではなく、目と目を見あった直接的な対話があってほしいなと思います。

とかく国策というものは民主主義という隠れ蓑のもと、当事者同士の会話が置き去りのまま物事が進んでいく傾向があるように思えてなりません。

全体が進んでいくためには、どこかで妥協しあって我慢しなければいけないことがあるのも事実でしょう。だけど、そこに丁寧なアプローチがあることを望みます。

現実は一つではなく、常に複合的な多面体です。自分の見ている「現実」やメディアの報じる「現実」、または他の方が体験している「現実」には誤差があり、乖離していること。そしてそれらは全て間違っておらず、全て真実であること。

それを知っておくだけで、世の中の物の見方は少し変わるかもしれないと思います。

「木村さんのお話を聞く」というその行為だけでも、「違う現実」が自分の中に入って来て、違う視点が形成されるようになりました。そういう意味で惜しげもなくご自身の体験をお話してくださる木村さんには感謝の思いでいっぱいです。

中間貯蔵施設の話だけを書いてしまいましたが、木村さんのお話はどこを切り取っても示唆に富んでいます。

木村さんは色々な場所で精力的に講演活動をされいます。また移住先の白馬でもイベントが盛りだくさんです。皆様ぜひお調べの上、ご参加ください。

*木村さん関連情報WEB

・【The Future Times】アジカンの後藤正文さんたちとの対談
http://www.thefuturetimes.jp/tft_event/report_140429/index.html

・【Yahoo!ニュース個人 高橋宏一郎さん】心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashikoichiro/20141201-00041138/

*書籍

・汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA%E3%82%92%E6%8D%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%95%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E7%94%BA%E5%A4%A7%E7%86%8A%E3%81%AE3%E3%83%BB11-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E5%AD%9D%E5%8F%B2/dp/4780306523/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=08V814KQFPKPXZ0V8G81

・汐凪 木村 紀夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA-%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AA-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/4779007763


木村さんについて知りたい方は、上記に紹介した「汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)」を全力でお勧めします。


また東京でお話会を出来るようにすでに紀夫さんと相談を始めています。また機会があればこちらで告知しますのでよろしくお願いします。

木村さん、今回は本当にどうもありがとうございました!
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沖縄本島に米軍基地があるって知ってた?

2013-10-27 21:16:34 | Weblog
先日、映画『標的の村』を見てからどうしても行きたかった高江にちょっぴり顔を出してきました。

◆映画『標的の村』 http://www.hyoteki.com/

学生時代から離島ばっかり行って、沖縄本島はいつも素通りしていたのだけど、大人になって初めての沖縄本島は知らないことのオンパレードでした。

例えば、米軍基地のこと-。

1208平方キロメートルの沖縄本島の中には、233平方キロメートルの米軍基地施設があるらしい。

なんと島全体の18.4%が米軍基地なんだって。

言葉では何度も聞いたことがあって「知っていた」と思い込んでいたことが、実際に現地で車を走らせると、実は自分が何も知らなかったことに気付く。

だって、米軍基地ってすごい身近にあるんだもん。


▲那覇から国道58号線を北上すると、左手に延々続くフェンス。


▲フェンスに近寄るとこんなことが書いています。


▲キャンプキンザ―の入口。こうして米軍基地の入口にはゲートが設けられている。


▲路上から軍用車が普通に見えたり、米兵用のゴルフコースやサッカー場が見えたりします。


▲普天間基地が「世界一危険な飛行場」と呼ばれる理由も、実際に見てみれば一目瞭然。奥の広場のように見える場所ね。本当に住宅地の真ん中にあるんだなぁ。


▲道の駅「かでな」の展望台。ここから軍用機が見えるため、カメラマンがたくさん。


▲驚いたのは普天間第二小学校。グランドの向こうにフェンス。小学校と米軍基地施設の距離はなんと0メートル。


▲地図を見ると、学校が米軍基地に挟まれているのがよく分かります。基地と基地の間はわずか400メートル。


▲米軍基地を横目に通るスクールゾーン。


▲カーナビにも普通に出てきます。


▲米軍基地はバス停の駅名にもなっている。

米軍基地の存在ってこんなにも身近だったんだ!と思って、改めて地図を見てみたら

こんな感じ。(色塗ってあるところが米軍基地施設ね。)
(参照HP:沖縄県HP

まさに百聞は一見に如かず。

東京で色んな人から教えてもらって分かっていたつもりだったことが、実は何も分かっていなかったことを思い知らされました。

これはどういうことなのかと思って、試しに「東京の多摩地区」で表現してみた。

赤い線で描いたのが東京多摩地区の18.4%分ね。

沖縄本島の面積:1208平方キロメートル。
東京多摩地区の面積:1169平方キロメートル。

一応、面積がある程度近いもので作ってみたけど、人口密度なんかが違うので意味のある比較とは言えないんだけど、自分の住んでる場所の18.4%が米軍基地っていう感覚は少し分かってもらえるでしょうか。

大体、「小金井市」、「小平市」、「立川市」、「国分寺市」、「国立市」、「昭島市」、「福生市」、「羽村市」、「武蔵村山市」以上の土地がすっぽり米軍基地みたいな感じ。やっぱ大きいね。

えっ、大きいな!

(本当かな?一生懸命計算してこの地図作ったんだけど、合ってるのかどうかちょっと自信ないので、間違ってそうだったらご指摘ください。)

何はともあれ、字面だけでは理解できない感覚っていうのが、現地に行くとよく分かります。

その大儀や賛否はどうあれ、米軍基地が日本にあることの建前は、「日本国」の安全保障のためなんだったよね。

「日本国」のためなのに、在日米軍基地の70.6%がこの島にある。

沖縄本島は日本全体の0.3%の面積しかないのにね。

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沖縄本島の北部へ車を進めると、北部演習場という米軍基地施設が現れます。

▲北部演習場ゲート。ここは、豊かな沖縄の自然を生かして米兵が「ゲリラ戦」の訓練を行っている場所。

下の図の点線で囲われた場所が北部演習場。

うーん。大きい。(参照HP:ゆんたく高江

沖縄本島には、せっかくの豊かな自然が米軍に占有されて、日本人が立ち入ることが出来ない場所がたくさんある。

ちなみに、ゲリラ戦の訓練を行えるような施設は、世界中の米軍基地のなかでも「ここだけ」なんだって。

ただ、そんな広大な北部演習場も1996年のSACO合意というもので、約半分の土地が返還されることに決まったんだそうです。

あれ、自然が返ってくるの?いいことじゃん。

なんて思ってしまいそうだけど、そんな単純な話じゃないんだよね。

やっぱりさっきの図が分かりやすいんだけど、下の図の赤い斜線の場所が返還予定地ね。

▲(参照HP:ゆんたく高江

だけど、ここを返還するには条件がついている。それが下の赤い点。


▲高江という集落を取り囲むように、ヘリパッドを「新たに」6つ(赤い点)作ることが返還の条件なんだって。

つまり、「北部演習場の返還」といっても「条件付き」で、「高江」という集落が犠牲になった上で約半分が返ってくるというお話なんです。

これは、「普天間基地は返還するけど、辺野古に新しい基地を作るのが条件ね」っていう話と同じ。


▲高江で見た電柱。この上についてるオレンジランプは米軍のヘリが飛ぶ時の目印。

低空飛行をする際の目印になるそうで、ここまでヘリが降りてくると、ヘリに乗っている米兵の顔まで見えるそうです。


▲電柱の上あたりまでヘリが降りてくる様子を、近くの電柱で想像してみるとなかなか恐ろしいものがあります。

ただでさえ危険な低空飛行をするヘリコプターの離着陸隊(ヘリパッド)が、高江を取り囲むように6つ作られようとしているのだから、集落に住む人にとってはたまったものじゃない。

ということで、ここでヘリパッド建設反対の座り込みが行われています。


▲今回は台風対策のためテント撤収後でしたが、普段はもう少し様子が違うそうです。

高江に住む方々による反対が続けられている中、すでに計画の内の1つのヘリパッドは建設されてしまったんだけど、そのヘリパッドの様子を、車の上に乗ると覗くことができます。


▲奥のフェンス向こうがヘリパッド。

米軍の敷地内なので、こうして上からのぞくことしか出来ないんだけど、このヘリパッドから一番近い民家までの距離は400mだそうです。

▲ここで、手作業をしながら監視活動が行われています。

具体的な話は下記リンクへどうぞ。

・Voice of Takae(2012年7月版/7.1MB):住民の会発行のパンフレット http://nohelipadtakae.org/takaebreau/VoT2012july.pdf

・高江ヘリパッド問題ってなに? http://download-takae.tumblr.com/

・やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

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これと同じような話が、普天間基地移設問題。

高江の話と同じで、SACO合意により決まった普天間基地の返還。
だけどこれも無条件の返還ではなくて「条件付き」。その条件というのが、辺野古への基地移設だったのね。

▲いままで無かったものが出来るという時に反対が起きるのは当然。この海が埋め立てられるかもしれません。

辺野古移設について「賛成」・「反対」と考える以前に、わざわざ沖縄内でもめ事が起きるように米軍基地施策を行ってくる米軍のやり方に強い違和感を感じます。

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なんというか、まぁ僕は無知だった。沖縄の方々、今まで知らずにすみませんでした。

いつもブログは割とすらすら悩まずに書いているんだけど、今回ばかりはなかなか進まず、沖縄訪問からすでに3週間以上が経ってしまいました。

本当はもっと書きたいことがあるし、勉強しなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、今回はそこまで書かないことにしました。

というか、書けないと思ってしまった。

なぜなら僕は無知だったから。

「沖縄には米軍基地がたくさんある」ということは知っていても「主要道路の脇にえんえんフェンスが設けられていて、そこには自由に入れない」とは知らなかった。

「沖縄には米軍基地がたくさんある」ということは知っていても「豊かな自然を活かしてゲリラ戦の訓練をしている」とは知らなかった。

「沖縄には米軍基地がたくさんある」ということは知っていても「米軍基地施設の名前がバス停の名前になっている場所もある」とは知らなかった。

「沖縄には米軍基地がたくさんある」ということは知っていても「その中で働いている沖縄の人もいる」とは知らなかった。

「知っている」ことと「想像できる」っていうのは違う。

日本で高江の話を聞いていれば、「何てとんでもないことを!!」と思ってしまうけど、実際に高江に行って、ヘリパッドを建設しようとする作業員も、それに反対しているのも、どちらも「沖縄の人」だと知って、僕がこの問題に何を言えるのだろうかと悩みこんでしまった。

僕が何も知らずに東京の温室で育ってきた間にも、沖縄に住む人たちはずっとその環境の中で生きてきて、それぞれ感じてきたことや抱えてきたことがあるはず。

昨日今日現実にぶつかった僕が、そこで生活をしている方たちの問題について簡単に何かを主張していい話ではないなと思ってしまったのが僕の現実です。

僕の認識が甘かったことに対しては自らの不明を恥じるしかありません。

だけど、この問題は沖縄の問題である以前に「日本国の問題」で、それはつまりもっと言ってしまえば「自分の問題」であるから、この問題に対して僕が何も言わないってのも可笑しな話なんだよね。

それでも、これまで実際にいろいろなものとぶつかってきた沖縄の人を差し置いて僕がいきなり何かを言うのもそれはそれで強烈に無責任なような気がして、

あれこれ悩んだ末に撮ってきた写真をたくさん上げることにしました。

遠回りなようだけど、やっぱ知るところから始めなきゃいけないんだ。

「沖縄本島に米軍基地があるって知ってた?」って聞いたら、みんな「そんなこと知ってるよ」って言うと思うけど、

「高江にある電柱の上にオレンジの電気ついてるの知ってた?ヘリが低空飛行する時の目印にするために」って聞いたら、「そんなこと知らなかった」って言う人が多いと思うんだ。

平成24年度に沖縄を訪れた観光客(日本人)は554万人だったという。(参照HP:沖縄県HP

日本最大の観光地として名高い沖縄。

毎年多くの人がその地を訪れているのに、知人から米軍基地の話を聞くことは本当に少ない。

「見えなかった」わけではないと思うんだ。米軍基地って、あんなに身近にあるんだから。

実感の湧かない話ほど、現地を直接訪れることの効果は大きい。

そして僕にいま出来ることは、「何が正義か」を主張することではなくて、ぼくが見てきた沖縄本島の姿を伝えられる範囲の人に伝えることだと思いました。

今回はただただ現実に驚いて終わってしまったので、近い内にまた訪れようと思うし、みんなにもぜひ足を運んでほしいと強く思う。

そして、何かしら伝え合っていきたい。

今は簡単にそういうことが出来る時代だから。
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手遅れの世界 僕が原発に反対してる本当の理由

2013-08-24 16:49:42 | Weblog
この話書くのどうしようかなとずっと悩んでたんだけど、やっぱこの話をしないと僕が今一番伝えたいことが説明できないから、思い切って書くことにします。

読んでほしい人が読んでいる可能性は低いと思いつつも。

原発事故の直後、何故か結婚式が多くありました。そういう年なんだよね。

みんな一応、声をかけてくれるんだけど、そのほとんどに俺、行けなかった。

結婚式、行けなかったんだ。

原発事故直後の僕は、「未来を」祝えるような心境にはどうしてもなれなかった。

もうすでに取り返しがつかないけど、「おめでとう」という気持ちはあったんだよ。

本当にとってもたくさん。みんな結婚おめでとう。本当におめでとう。

だけど、どうしてもこの日本の危機に、一秒も無駄に出来ない原発事故が起きてる真っ最中に、誰かのことを祝う心の余裕がなかった。

今は被災地の復興が先でしょ。原発をみんなで考える時でしょ。って。

本当凄い嫌なんだけど。そんな自分が。

めでたいことは、めでたいこととして祝えば良かったじゃないか。

それが出来なかったのは、自分の人間としての器の小ささの証明でしかない。

本当小さいよ、俺は。

それのみならず、しばらくは、ほとんどの友達と会えなかった。

当時は小学校の友人と3人暮らしをしていたので、小学校の友人が家を訪ねてくることがあったのだけど、どうしても皆と遊ぶ気になれなかった。

少しでも多く原発のことを勉強したかったし、震災で亡くなった方々に対して喪に服していたかった。

自分が楽しくあることに違和感を感じていたし、何より焦っていた。

そんなこと全部自己満足だと、自分でも頭では分かっていながら、そうすることしか出来なかった。

こんなにどうすることも出来なくなったのは生まれて初めてだったし、正直今でもどうしたらいいか分からない。

2011年12月16日、野田元首相が謎に発した「福島第一原発事故収束」宣言。

そして今、福島第一原発で起きているニュースがこれ。

タンク汚染水漏れ、「レベル3」相当 福島第一原発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130821-00000022-asahi-soci

何も収束しちゃいないし、危機的状況は変わらない。

だけど、日本はどうだろう。

http://tokyo2020.jp/jp/

呑気にオリンピック誘致だ。

そんなとこにお金かける暇あるんだったら、被災地復興と福島原発事故収束のためにお金を使ってよ。

優先順位間違えないで。と思う僕はどうやら世の中では異端らしい。

そういえば、高校生の時にも似たようなことがあった。

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高校生の時、9.11の事件が起きた。

家に帰ったら親がテレビを見ていて、テレビの中ではアメリカのビルに飛行機が突き刺さっていた。

言葉を失ってそのままテレビを見ていたら、もう一機の飛行機がまたビルに突っ込んだ。

何が何だか分からなくて、あの時は中東のことも知らなかったし、テロって何なのかも分からなかったけど、「世界は平和じゃなかったんだ!!」という事実を生まれて初めて知らされて、強烈に打ちのめされた。

しばらくビクビクしながら登校していた。いつ飛行機が学校に突っ込んでくるやもしれぬ。

高校生なりに勉強した。日本が戦争に巻き込まれる恐れはないのか。僕達が戦場に行く可能性はないのか。そもそもなんでこんなことが起きたのか。世界は平和じゃなかったのか。

友達に熱く話した。

「お前、戦争マニアになれよ」と笑われた。

何かおかしいと思いながら、世界に何の影響を与えることも出来ず、そのまま部活を続けていた。

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自分の中では、「世界崩壊」ほどのインパクトのある出来事でも、人によってはまるで蚊にさされたくらいの捉え方をする。

もしかしてこの世はパラレルワールド。生きている世界そのものが違うのか?

いな、同じ対象を見ていても、眼球を通して映り込んでいる情報が違うのだろうか。

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王国全土を崩壊させようとした力のある魔法使いが、全国民が飲む井戸に魔法の薬を入れたの。その水を飲んだ者はおかしくなるように。

次の朝、誰もがその井戸から水を飲み、みんなおかしくなったわ。王様とその家族以外はね。彼らには王族だけの井戸があり、魔法使いの毒薬は撒かれてなかったから。
そこで心配した王様は安全を図り、公共の福祉を守るためにいくつかの勅命を発布したの。でも警察官も、警部も、すでに毒の入った水を飲んでいたから、王様の決定を愚かだと思って、従わないことにしたの。

王国の臣民がその勅命を耳にした時も、みんな、王様がおかしくなって、バカげた命令を下しているんだって確信したの。彼らは城まで大挙して押し寄せ、その勅命の破棄を求めたわ。

絶望した王様は、王位から退く心づもりでいたけど、女王が彼を引き止めて言ったの。

“さあ、みんなと同じ共同井戸の水を飲むのよ。そうすれば、みんなと同じようになるはずだから。”

そして彼らはそうしたの。王様と女王は狂気の水を飲み、すぐに不条理なことを口走り始めた。彼らの臣民は、すぐに悔い改め、王様がすごい知恵を見せている今、このまま国を統治させようではないか、と思ったの。

その国は、近隣諸国よりもおかしな行動を取っていたけど、それから平和な日々を送り続けた。そしてその王様はその最期まで国を支配することができたとさ。

『ベロニカは死ぬことにした/パウロ・コエーリョ著』より引用。


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人は誰でも「自分の世界」でしか生きることが出来なくて、その「自分の世界」がたまたまその他大勢と同じであれば「普通」と言われ、その他大勢と違えば「狂っている」と言われる。

世界には「正しい」ことなんて一つもないのに、ね。

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原発事故が起きた後で、辻信一さんが語った言葉がある。

「原発で事故が起きたらおしまいだと言われ続けてた。もう起こってしまった。手遅れなんだ。僕ら絶望した方がいいんじゃないか。まず。安易に希望を語る前に。」

2年前、3.11以降飛び交う言説のどれにも共感できなかった僕は、この言葉にだけ深く頷いた。

「手遅れなんだ。」

今から原発に反対しても、ばらまかれた放射性物質を回収することは出来ない。

今から原発に反対しても、壊れてしまった原子炉を元通りにすることは出来ない。

すでに手遅れ。僕達は間に合わなかった。

そういう意味でこの言葉に深く同意したんだけど、今この言葉を違う角度からまた思い直している。

考えれば考えるほど、「原発」という存在は現代社会の象徴であり、様々な角度から語ることの出来るテーマだ。

「戦後日本の中央と地方」の関係から福島原発を考えている開沼博さんの「「フクシマ」論」や、「贈与」の切り離しを行うことで地球からの自律を果たそうとした「資本主義時代の思想」から原発を考えている中沢新一さんと國分功一郎さんの「哲学の自然」なんかは読んでて本当に面白い。

あんまりしっかり言う機会がなかったけど、僕が原発に対している理由は「子供を守りたいから」とか「健康被害が心配だから」とか、そういう理由じゃない。

僕は脱「原発」じゃなくて、脱「資本主義」なんだよね。レッテル貼りの好きな世間様から見れば左翼そのものなんだろうけど。

この話はまとめきれないので今回書かないけど、どっちかというと現実的被害を重く見ているというよりは「思想的被害」を重く見ているんです。(それに次いで、メディアの中立性の問題、そして核燃料サイクルの問題の順番)

原発反対派からは仲間のように思われているみたいだけど、別に原発反対派と気が合うわけではない。むしろ合わないことの方が多いから、デモとかで知り合う人とは極力連絡先の交換などはしないようにしている。

僕は僕の文脈で原発に反対したい。

と、思っちゃってるし、そんなことを書いちゃってる僕自身がすでに「手遅れ」な気が最近しているんだ。

  - 分断が止まらない。という意味で。

いま、原発を取り巻く議論で一番やっかいなのは「低線量被曝」をどう捉えるかという問題だろう。

原発に反対する理由なんて、絞り出そうとすれば本当に無数にある。

原子力に反対する 100 個の十分な理由~100 gute Gründe gegen Atomkraft~

↑こんな風にね。だけど、その中でもみんなの関心が高いのは放射性物質の人体に対する健康被害についてだと思う。

ツイッター上では、「原発事故以降、脳こうそくが増えている」だとか「友達が白血病になった。放射能のせいか」などいった話題がまことしやかに飛び交っている。

中にはチェルノブイリの例を持ちだし、奇形児の写真を並べた画像を提示してくる人もいる。

僕はそういった健康被害の観点から、原発反対を言ったことは(多分)一度もない。

なぜか。

正直よく分からないんだ。放射性物質の人体への影響。どんだけ調べても、どんだけ考えても。

こんなこと書くと、僕のことを仲間だと認識されていた方からお叱りを受けそうだけど、でも今日は書いちゃお。

何たってもう「手遅れ」だから。

例えば火山学者の早川由紀夫さんがいつもツイッター上で巻き起こしている議論の一つに「甲状腺がん」の評価の話がある。

詳しくは早川さんのブログを見てもらいたい。

・甲状腺がん仮説 

・甲状腺スクリーニング検査結果の考察

・いま福島県で見つかっている小児甲状腺がんは原発事故由来ではない。

下記、抜粋で要約。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


・福島県で、原発に近い地域に住んでいた子ども3万8000人を23年度にスクリーニング検査したら、甲状腺がんが10人みつかった。そのうち3人はすでに手術してがんを摘出した。

・小児甲状腺がんは、症状が出てみつかるのは100万人あたり毎年1人2人というごくまれな病気だが、じつは症状が出ないまま100万人あたり400人くらいがもってる病気だった。これを玄妙1万分の4仮説と名付ける。

・がんがいままで考えられていた人口比をはるかに超えて報告されているのは、もとからあったが放置されていたがんをスクリーニング検査が無理矢理みつけ出しているからである。これまでに発見されたすべてのがんに自覚症状はなかったという。

・このスクリーニング検査は、高性能の医療検査技術によって、そういったひとたちを片っぱしからみつけ出してしまったのだと考えられる。

・福島でみつかった甲状腺がんが、おととしの原発事故のせいでないのなら、手術してがんを摘出した医療行為ははたして適切だったろうか。切らなくてもよかったがんを切ってしまった可能性はないか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


というような内容のことを言っているんだけど、興味ある人はちゃんと読んでみてください。

早川さんって物言いに優しさが欠如してるから勘違いされることが多いけど、感情を交えずにちゃんと発言を追っていくと、いつも説得力のある主張をされています。

今さら復習だけど、そもそも低線量被曝についての解釈は、大きく3つの学派に分かれている。

・ある一定の放射線量までなら人体に対する影響は全くないという「しきい値理論」。

・放射線の影響に「しきい値」などは存在せず、ごく少量でも何らかの影響があるはずだという「LNT仮説」。

・少量の放射線ならむしろ健康にいいという「ホルミシス理論」。

解釈がそれぞれ違う3つの学派がその主張のぶつけ合いでしのぎを削っている理由は簡単。

結局「低線量」の被曝についての影響は今まだ分かっていないから。ただただそれにつきる。

分からない中で各々が主張を繰り広げるから、議論は信仰のような体を表してくる。

僕は「LNT仮説」を支持しているので、低線量被曝を重く見た発言をしているけれど、「その話、本当なの?」と言われたら、「さぁ、本当かなぁ」と答えざるを得ない。

ここが「手遅れ」なんだ。

もう、みんながみんな疑心暗鬼。

「LNT仮説」派は東電や政府の発表なんか信じられないし、「しきい値理論」派は原発推進を主張して、「ホルミシス理論」派は変人扱いだ。

もしも、低線量の被ばくが人体に与える影響が無いのだとしたら、今起きている、福島原発の汚染水問題だって、「だから何なの?」で済んでしまう。

だけど、低線量の被ばくが人体に間違いなく影響を与えるのだとすれば、今の汚染水の問題は到底聞き流せるニュースではない。

今後証明することも難しいだろうことをテーマに議論することほど不毛なことはないと思う。

そこに着地点はない。そういう意味で、「手遅れ」という意味を思うんだ。

僕の世界では、日本は(地球は)もうすでに手遅れゾーンに突入しているんだけど、まったく「手遅れじゃない人たち」もたくさんいるの。

原発事故前も事故後も、同じ人がいる。

いや、それも実際のところどうなのかは本人以外分からないんだけどさ。

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だからそういう意味で、多少強引かも知れないけど、原発は始めから存在しちゃいけなかったんだ。と思う。

科学の流れは当然の帰結のように、原発を通過しなきゃいけなかったのかもしれないけど、それでもやっぱり、原発はそも存在してはいけなかったんだ。

そもそもが宇宙の力である核エネルギー。

地面から離れることすら出来ない人類に、そのエネルギーを使いこなせるのか。

使いこなせないから、物事は全て「分からない」の世界に行ってしまう。

「分からない」の世界は、人を疑心暗鬼にさせ、繋がりを分断させる。

重大なのは、人体に与える害よりも、繋がりの分断の方なのではないか。

この先、僕が小学校の友達と普通に遊べるようになるのに、どれくらいの時間がかかるのだろう。

僕が変わればいいだけの話なんだけど、なかなかそうは簡単に行かないのが人間の心の厄介なところだよね。

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「聖なる地球のつどいかな」(ゲーリー・スナイダーと山尾三省の対談集)という本の中に面白い話が出てくるので最後に紹介します。

カリフォルニア州立大学の教授で、科学者でも作家でもあるウェス・ジャックソンという人が「自分の使うエネルギーの年齢を知っていないといけない」と言っているという話なんだけど

今、人類が使っているエネルギーは、薪、石炭、石油、核などがあるけれども、実はどれも太陽熱がもたらしたものであること。

だけど、それぞれのエネルギーの年齢は大きく違う。

例えば、木を燃やしてエネルギーを作るとする。
そのエネルギーの年齢は、その木が育つまでに要した年数ということになるので、それなりに人間の理解の範疇にある年数だろう。

だけど、石炭は、地下に眠っている植物の化石燃料だから、その年齢は薪よりもずっとずっと古い。

そして原子力はどうかというと、核エネルギーは宇宙と同じ年齢なんだと。

それはもっともコントロールしにくく、危険なものなんだ。

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いつも話は平行線。

汚染水は止まらないし、東電は相変わらず後手後手に情報をだし、それを追究するメディアもなければ、政府も積極的に介入しない。

そしてそれを後押ししているのは、紛れもなく、無関心だ。

無言の同意によって、全て物事は進んでいるけれど、「無関心」を追究する権利が自分にあるのかどうかよく分からない。

だって、実のところ健康被害だってあるのか分からないし。

そうして、ぶつかる所はぶつかって、ぶつからない所は離れていき、人々の分断は今日も進んでいる。

原発の一番の罪悪は、人々の分断だ。

「分からない」をベースに、「手遅れであること」を自覚して、分断させられないように動ける方法は何か。

今日もずっと考えてる。

答えはまるで出てこないけど、それでも考えてる。

苦しいけど、考えてる。

そして、こういうことを考えていると、いつも文章が最後でまとまりきらない。

「分からない」からだ。

「分からない」ことを話し続けていくしかないし、「分からない」ままで考え続けていかなければならない。

原発っていう存在は、そういうものなんだ。

だから僕は、原発には絶対反対。

即時反対。

これ以上、誰かと離れていくなんて真っ平ごめんだ。
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思っていることを出来る限り言葉にしてみようと思う。

2012-07-22 18:46:04 | Weblog
まず、自分の嘘を追及したい。

ただの勤め人ブログに1週間で17万人の人が訪れるという珍現象が起きた。

書いた時は、眠い目と熱い興奮状態の脳みそで、ただただ書いた。

うまく書けたと思った。

文章的な意味ではなくて、自分の気持ちを「うまく」表現できたなと思った。

ツイッターで拡散願いを出して寝た。

目を覚ましたら大変なことになっていた。

一晩で10万人の人が僕の文章を読んでいた。

色んな言葉にさらされた。

ブログを読み返してみた。

へたくそな文章だなと思った。

文章的な意味ではなくて、自分の気持ちなんて全く書けていやしないと思った。

色んな人の視線にさらされて、言葉は僕の言葉ではなくなっていた。

不思議な現象だった。

書いたのは紛れもなく僕で、そこに書いてある文字は確かに僕の気持ちなのだけど

そこから読み取れる「意味」は全くもって僕のものではなかった。

たった一晩の間に、確かに自分の文章が変容した。

あれから3週間が経った。

結局、フェイスブックでは19万回シェアをされた。

その理由の一つは、僕がただの勤め人だったからだろうと思う。

あたかもそこら辺にいる普通のサラリーマンが突然やむにやまれず、原発反対をはじめて大飯原発まで行ってしまったように見えるストーリー。

その現象を身近な事として捉えた人が多かったのではないかと思う。

そこが嘘のはじまりだった。

そもそも僕は一般の勤め人の思想とは大きく意見を異にする人間だ。

この社会にいながら、僕という人間は山尾三省の文章を愛し、毎晩ナナオサカキの詩を読み、真木悠介の「気流の鳴る音」をバイブルとしている人間で

その思想はカウンターカルチャーを基に置いている。

誤解を恐れずに簡潔に表現してしまえば、この全ての価値がお金に集約される世界の仕組みに異を唱える者である。

だから何かという話ではないが、これはそういう人間が書いた文章だということをまず分かっていてもらいたい。

言葉は切り取られる。

坂本龍一が「たかが電気のために命を危険にさらさなければならないのでしょうか。経済成長より生命、経済成長より日本の国土。福島の後に沈黙しているのは野蛮だ。」と語った。

坂本龍一の思想や考えを汲み取らず、「たかが電気」という表現に噛みついた人がたくさんいた。

だが、そこを切り取ってしまったその瞬間、その言葉は坂本龍一のものではなくなっている。

それは、ただの文字だ。

そこに噛みついていたら議論は進まないのだ。

それでは、僕は上記に上げたような考えの持ち主として、原発の問題に関して何を考えているかと言えば、

飯野賢治が言うところの賛成か、反対か、ではなくて原発は「ナシ」という意見に共鳴している。

前回のブログのコメントを読んでいて、気付いたことがいくつかある。

すでに、無関心という層を批判する必要のないほど、関心は高まっていること。
原発をこれからも動かし続けることに絶対賛成という意見はコメントには見られなかったこと。

つまり原発という存在に対して、「無い方がいいから今すぐ原発反対」と「無ければ無い方がいいけど、現状は容認するしかない」という意見に分かれていた。

両者は同じ方向を向いているのに、原発を「必要悪」として受け入れるか、それを許さないかという2択で言い争っている。

医療現場における電気の重要性や、経済への影響を考える人は「原発は無ければ無いにこした事はないが、それによって電気が使えなくなるなら困る」と言う。

ごもっともだと思う。

それに対して「原発が無くても電気は足りているから問題ない」という反論は説得力を持たない。

はっきり言ってそれは「やってみなければ分からない」ことだ。

この夏、電気が足りるか足りないかなんて、本当に分かる人なんているの?

なので、橋本市長が関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の再稼働反対から容認に転じた理由について、

「停電のリスク4 件を一覧表で見たら、正直おじけづいてしまった」と説明したことは、責任ある立場の人間としては至極全うな感覚だと思う。
(リストには、計画停電を実行した場合、「生命・身体・健康への配慮が特に必要な施設で重大な影響を及ぼす恐れがあると書かれていたそうです。)

原発があることのリスクと、原発を止めたことによるリスクは天秤にかけられるものじゃない。

要するにこの問題というのは、ただ単に原発を止めるか止めないかの問題ではなくて
今の生活の仕方を変える準備があるのか無いのかという問題なんだ。

原発に反対する人たちも、シュプレヒコールだけを聞いてしまえば「原発反対」「再稼働反対」になってしまうので、同じ意見に見えてしまうのかも知れないが

本当は全然違う主張の下で原発に対峙していることが、デモや抗議活動に行くとよく分かる。

「電気は足りているから原発反対」という意見が、自分の生活を顧みず、節電もしなくてもいいし、悪いのは電力会社だから、という価値観なのだとしたら

同じ原発反対でも、僕はその意見には完全に「NO」だ。

何はともあれ、自分たちの生活がどれだけ無理があったのかという反省に基づいて話を進めたい。

そこで改めて「必要悪」という価値観を考えたいと思う。

上に書いたように、目の前の危機を救うための「必要悪」という主張は素直に理解できる。

だからといってここで「必要悪」を認めるのかと言うと、それは認めたくない自分がいる。

たとえば、モヤイ像で有名なイースター島に「必要悪」が生み出した悲しい歴史がある。

南米チリから3700キロも離れた絶海の孤島であるイースター島。

4~5世紀ころに偶然流れ着いたポリネシア人がそこに社会を築き、崇拝の対象としてかの有名な「モヤイ像」を作るなどしてその独特な文化を作り上げていったとされます。

絶海の孤島ゆえ、侵略者の影響を受けることもなく、平和に着々と人口を増やしていき、皆幸せに暮らしていたそうです。

しかし、同時に進行していたのは、人口増加に伴う森林の減少でした。

人が増えれば増えるほど、燃料や祭りの際に使用する薪や生活用品を作るための材木として、森林も減っていきました。

気付いた時には森林が減少したことにより、土壌の養分を支えることが出来なくなり、農作物を作ることも出来ず、漁に出るための船を作る木もなくなり、仕舞いには少ない資源を奪い合って殺し合いが起き、1774年にキャプテンクックがイースター島に上陸した時には、最盛で1万~2万人いたとされる人口が600人ほどになっていたそうです。

これは物語ではなく、歴史です。

上では「気付いた時には森林が・・・」という表現を使ったけど、きっとポリネシア人はそうなる前に気付いてたんじゃないかと僕は思うんです。

多分どこかで、戻れるタイミングがあったんだけど、戻れなかった。突き進むしかなかった。

きっと「このまま木を切っていたら、将来使う木がなくなってしまうよ!」と賢明なポリネシア人が主張した。

多分「そんなこと言ったって、今この火を燃やさないと私の子供が餓えてしまうぞ!」と愛の強いポリネシア人が反論した。

どっちが正しいのだろう。

どっちも正しいのだろう。

そして恐らく、「木が無ければ生きていけないのは分かるが、今使わないと今死んでしまう」という主張に、人間は勝ち難いのだと思う。

将来の懸念よりも差し迫った危機を無視することを人間は主張しづらい。

人間も動物。目の前に危機が迫れば、逃げるのだ。

まさしく「必要悪」の招いた悲劇だと思う。

原発の話だけじゃない。

戦争も貧困も資本主義社会の弊害もグローバリゼーションの矛盾も

全て「必要悪」の名のもとに「そんなこと言ってもしょうがないじゃないか」とえなり君状態に陥ってしまう。

そろそろ「必要悪」っていう価値観を卒業しないか。

というのが、長くなってしまったけど、原発だけに関わらず、ほとんどの問題に対しての僕の主張だ。

原発が「無くてもすむなら無いにこしたことはない」という前提になったのに
「だけど仕方がないけど容認」となってしまうのはとても残念だ。

そして、そういう主張の人たちが本当に愛の強い人たちなのだということはコメントを読んでいても凄く伝わってきた。

同じ結論を望んでいるのに対立しちゃうのは凄くもったいないよ。

たとえば、「代替案が無ければ反対する説得力はない」という意見がある。

言ってることはとてもよく分かる。

だけど、そんなことを言うのなら「原発を続けることによるリスクの回避策はあるのか」と問い返したい。

一度事故が起きてしまえば、人が住むことの出来なくなる土地が出来てしまい、事故が収束するまでに、多大な時間と犠牲と資金が必要となる。

そうならない回避策はあるのか?

もう想定外という言い訳は許されない。

原発は無ければ無い方がいいと思っているなら、原発はもう無いものとして考えてみることは出来ないのだろうか。

それはまた現状逃避と言われてしまうのだろうか。

大飯原発のゲート前で起きていたことに僕が凄く感動してしまったのにはとても大事な理由がある。そして官邸前の抗議活動よりも大飯原発の再稼働反対の方が本質的だと思った理由も。

それは、あそこに集まっている人たちは、新しい文化を作ろうとしている人が多かったということだ。

全てをお金で買える世界を抜け出し、自らの手で田畑を耕し、お金で娯楽を買わず自分たちで生み出す。

そういう文化を創り出そうとして、すでに実践している人たちの集まりだったんだ。あれは。

無関心ということに思いを馳せてみる。

僕は、自然や循環的なものに対する事物に対しての興味は物凄く大きい。

だけど、増税や経済危機みたいな話には一向に疎い。あまり興味がない。
テレビにも芸能にも流行にも関心がない。

縄文時代や、過去の事物、文化、宗教などといったテーマにはとても関心がある。

多分人間というのは、何かに関心があれば、同時に何かに無関心なんだ。

相手に対して「原発に対してなぜ無関心なのか」と思う。

すると相手は「なぜ経済危機に無関心なのか」と僕を見つめ返してくるかもしれない。

押したら押し返す、物理学でいうところの作用と反作用の法則。

これに思い至った時、無関心を批判するのはやめようと思った。

僕の価値観で言えば、経済が滞るよりも自然を大事にしたいという願いの方が強い。

経済が滞ることによる生命へのリスクや他国からの影響を懸念する声には耳をふさいでいる。

だから理想論と呼ばれるのだろう。

それは理想だから、現実には即さない。原発はしょうがない。

でも、僕にはどちらが現実主義でどちらが理想主義なのか分からないんだ。

「今木を使うこと」が「現実主義」なのだろうか。
それは将来、木が無くなることを想定していない「理想主義」とは言えないだろうか。

「将来、木がなくなることを懸念すること」は「理想主義」なのだろうか。
それは、未来をどうやって生きていこうかと考える「現実主義」とは言えないのだろうか。

大飯原発前に集まった人たちは、「将来まで木が無くならないように」、新しいやり方を示そうと、いろいろと模索をしている人たちの集まりだった。

既存の資本主義社会とは違うやり方を日々模索している。

見方によっては彼らは「理想主義」だろう。

見方によっては彼らは「現実主義」だろう。

「必要悪」を卒業して、新しい生き方を築いていこうというメッセージと
「必要悪」を続けて、今の生活を続けていこうという権力側の主張との

そういう思いと思いのぶつかり合いだと僕は思った。

ここで真木悠介「気流の鳴る音」から一説を引用したい。

『価値感覚のズレは本質的なのだ。たとえば貨幣というものによってあらゆる個別の価値が通約され、決済され、抽象され、一元化される「世界」と、時間は時間、原野は原野、海は海、生命は生命といった、けっして決済されることのない個別の価値の次元性のあやなす「世界」と。』

この価値観がずれている限り、両者の意見は決して分かり合えないように感じた。

伝わらないのなら見せるしかない。

大飯原発前に集まってきた人たちは、新しい文化を自分たちで作り出し、生きている行為そのものをメッセージとしている人たちだった。

それに僕は感動してしまったのだ。

今の価値観のまま社会が進んでいくのなら、仮に原発が止まったとしても新たな問題が生じてくることは間違いがない。

ともあれ、この分かり合えない価値観のぶつかり合いの中で、正義の押し付け合いだけは不毛だと感じた。

お互いの主張の中には、必ずそれぞれの正義があるのだけど

それを押し付けようとした瞬間に、その主張は変質してしまうように思えた。

なので、僕のこの文章に対しても、頭ごなしに否定するのだけはやめてもらいたいと願う。

違う意見を静かに読み続ける行為の先にしか、価値観の妥協点は見つからないのだと思う。

この複雑にからまりあった資本主義社会の細かな組織の集まりの中で、一度に原発を無くすことの影響は計り知れないと思うし、それは痛みを伴う行為なのかもしれない。

そのことは、そのことで知りたいと思う。

そしてそのことを知ることと、自分の主張というのはまた別物だと思う。

どちらが「理想主義」でどちらが「現実主義」なのか、はたまたその「中道」があるのか

決して否定することなく、意見は意見として受け止めながら、考え続けていかないといけないと思うし、これに関しては「そうでなければならない」と思う。

それが、人間社会で生きることだと思うのだ。

最後に辻先生が訳したダグラス・ラミスさんの「原子力に替わるもの」という文章を引用しておきます。

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数ヶ月前、このコラムで私は、大地震が起こるような場所に原発を建てるなんて気ちがいじみていると書いた。これに対して何通か、読者からのコメントをいただいた。ひとりはこう私に訊ねてきた。「原発に替わる代替案は何か」、と。この人は、代替案なしの反原発論は説得的でない、と言うのだ。

まず私はこの読者がよい質問をしてくれたことにお礼を言っておきたい。ところで、実は私はこの質問に対する答えをもち合わせている。とはいえ、それがあまりにも単純な答えなので、ここに書くのもためらわれるくらいなのだが。

原発の代替案とは何か、それは原発をもたないことである。椅子に座っている人を想像してみてほしい。それは快適で、豪華な椅子だ。ただ一つだけ困ったことに、その椅子の下にはダイナマイトの箱があって、点火された導火線につながっている。

誰かが言う。「そこにそうやって座っているのはよくないと思うんだけど・・・」
座っている人がそれにこう答える。「じゃあ、代替案は?」。

そう、椅子に座ることの代替案はもちろん、椅子に座らないこと。とはいえ、もちろん、私に質問した読者が訊きたかったのは、そういうことではないはずだ。その人が知りたかったのは、代替エネルギーのことなのだ。あの椅子に座っている人のたとえで言えば、「この椅子くらい快適な椅子を出してくれるまでは動かないよ」というわけだ。

告白すると、私はそんな“椅子”があるかどうか、知らないのである。石炭、石油、水力ダム、天然ガスなどのほかにも、メタンガス、太陽、地熱、風などのエネルギーを使う方法が知られている。これらの“椅子”が、今私たちが座っているものほど快適かどうか、私は知らない。しかし、大事なのは、実はそんなことではない。

原発一基がつくる電力と自動販売機が使う電力はほぼ同じだ、と聞いたことがある。詳しいことはわからないが、まあ、そんなところだろうとは思う。原発がなかったら、たぶん、自動ドアもあきらめなければならないだろう。ネオンサインもたくさん消さなければ。アルミ缶の代わりにリサイクルできるビンに戻す必要があるかも。今までは機械がやってくれたことも、また手でやらなければならなくなるかもしれない。それは新石器時代以降、人類がつい最近までずっとやってきたことなのだが。それはぼくたちにはとても耐えられないことだろうか? ぼくにはそうは思えない。

要するに、「核エネルギーに反対するには、まず代替案を示すべきだ」という意見は、「核エネルギーの“必要性”を前提にしている。でも、ちょっと待ってほしい。もし本当に“必要”なら、どうやって人間はそれなしに長く生きてこられたのだろう?

実は、もっとエネルギーが“必要”だというのは、もっと贅沢が“必要”だ、ということなのである。誤解してほしくないのだが、ぼくだって贅沢は大好きだ。ただ、原発事故で死ぬよりは、自販機なしに生きている方がいい、と思うだけだ。

以前もこのコラムに書いたように、本当の問いは、原発を廃止するか、存続するか、ではない。いずれ必ず、廃止するしかないのだから。問題は、最悪の事態が起こる前に止めるか、後に止めるか、だ。原子力の代替案とは、そういうことなのである。

(『ダグラス・ラミスの英語読本』(筑摩書房、2000年)所収、「Nuclear Alternatives」、訳者・辻信一)

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僕の価値観では、この文章はすっと胸に落ち着くものがあるのだけど

きっと、何を生温いことをと思う人もいるのだろう。


あなたはどうですか?


どっちがいいとか悪いとかじゃなくて


あなたはどう思いますか?


それを言葉にしてみて、初めて色んなことが分かってくる。

どうしたらいいか分からないという人は、分からないなりに自分の意見を出してみればいいと思う。

たくさんの意見が返ってくるよ。

それは、否定ではなくて、みんなの優しさだ。

自分が何かを押したら、その分だけ押し返される作用反作用の法則は

この世界に生きることの失望ではなくて、生きていることの確かな実感だと思う。

否定せず、でも逃避せず、考えていきましょう。

何かの小説のタイトルのようだけど、そういう冷静と情熱の間を行ったりきたりしながら、これからも出来ることをするしか無いのでは、と今僕は思います。
コメント (9)

補足と訂正とお詫びと謝辞

2012-07-02 23:14:48 | Weblog
まずは、このブログを読んでいただいた皆様へ。

共感してくださった方もそうでない方もたくさんの人がいるようですが、何はともあれ、この感情任せで稚拙な駄文を我慢して読んでいただいてありがとうございます。

今日この文章を書きはじめたのは7月2日の20時ちょうどです。

・今現在のコメント数―359件
・ツイート数―6996回
・フェイスブックでのシェア数―12,000回以上

毎日の閲覧数が100前後を行ったりきたりしていたブログが、一日足らずでこんなことになったことに、ただただ驚いています。


このブログを凄い勢いで拡散していただいているということはツイッター上で確認していました。
どんなコメントが書かれているのだろうと、不安でいっぱいでしたが、先ほど全てに目を通しました。


一つ一つひりひりするようなコメントが書かれていて、読みたくなくなる瞬間もありましたが
自分から「読んでください」とお願いした身なので、359件全て読みました。


・応援してくれている方、共感してくださった方―210件
・共感されなかった方、これは違うと思われた方―64件
・コメントしてくれた方に対するコメント―28件
・中立、違う意見の方―31件
・私をナルシストだと感じた方―3件
・罵詈雑言の類―8件


コメント読みながらカウントしていたら合計が344件。
15件足りませんが、これは2重投稿と僕のカウント漏れです。
正確じゃないですが、これだけで1時間かかったのでご勘弁ください。



コメントの中に

『「すべてを二項対立の次元にもっていく」ことは本当に不毛なことだと思いますし、それが目に見える形で現れていたのが、一昨日からの大飯の状況だったと思います。』

という一文がありました。

そして友人がこうツイートしてくれました。

『書き込まれたコメントも読むといろいろ考えさせられる。それを踏まえたうえで、自分がどう考え行動するかだ』

ブログ主である私は、今まさに上の二つを痛感している所です。

この前のブログを読んでくれた方ならば分かると思いますが、僕はかなりの臆病者です。

なので、このコメント欄にもどんな罵詈雑言が書かれているのだろう。と恐る恐るでした。

読んでいて、心が痛むこともあったし、何でこんなこと言うの?と思うこともあったけど

僕のブログに共感しなかった64件の方は、自分の立場が明確で、建設的なことを書かれているということが分かり、凄く安心しました。

ただ、中にはお怒りの方もいらっしゃいました。
この文章を凄く不快に感じた方もいるようです。

その方にはただただ謝るしかありません。

誰かを不快にさせる権利は僕にはありません。本当にすみませんでした。

一つだけ、このブログを読まれている方にお願いがあります。

どうかコメント欄も合わせて読んでください。

僕の文章に共感しなかった方の意見がとても参考になります。
考えさせられます。

共感されなかった方の意見でも、マナーの良いコメントが多かったので、これは本文とコメント欄合わせて一つの作品になってきた感があります。

作品といって語弊があれば、話し合いの場とでもいいましょうか。

と、言うのも僕が大飯原発の再稼働抗議で一番強く感じたことは、圧倒的に「対話」が足りないということだったんです。

原発を動かした方がいいと思っている方も、原発は動かさない方がいいという方も、肉声で目と目を見あって話し合ったことがあるでしょうか。

なかなかこういうことが出来ていないのが現状だと思います。

「原発」というキーワードは今の日本では腫物です。

触れば傷つきます。僕のように。事が大きくなっていくことに対する自分へのダメージは思ったより大きいです。

だけど、それじゃやっぱいけないんです。

全ての人には全ての人の立場があって、

特にコメントの中に出てきた、福井県の方の意見と医療従事者の方の意見、それから電気を多く使う仕事をしてる方の意見のようなことは、目を背けてはいけない問題だと思います。


福井県の方のコメント―

『関西圏のために我慢している福井県人のことをないがしろにして、自分たちは「正しいことをしたんだ」っていう自己満足だけしか「得られていないじゃないか。』


それからおおい町に住む友人から聞いたという方のコメント ―

『原発と共存してきた地元のみんなにとって再稼働しなければ生活していけない人もたくさんいたり町自体が廃れてしまいます。なので反対運動に複雑な気持ちになる方も多いんです。原発が事故を起こすと危険なのは重々承知です。 それでも、地元の人たちは、自分たちの故郷であるこの町や生活を守りたいだけなんです。 原発を推進せざるを得ない立場の人もいることを知ってほしいです。』


皆で知りましょう。地元の方の意見をもっと聞きましょう。


医療従事者の方のコメント―

『病院とってには電気が足りないのは非常に困ります。脱原発は大いに結構、世界的にもその流れになっていくのは当然でしょう。しかし、目の前の電力不足をどうにかしてからの話でしょう。
「政府・電力会社は足りないと嘘を付いている」その根拠は?目の前で実際に人が亡くなっていくのを見ていないから、そんな軽々しく言えるんでしょうね。子供の未来のため・・・そのあなたの子供が今病気になり、計画停電で処置を受けられない可能性があることもお忘れなく。』


皆で考えましょう。不快な思いをさせてすみませんでした。


勤め人の方のコメント―

『私が勤めている会社は昔より仕事も減りましたが、節電だからといって機械を止め、それで納期が遅れたらもうやっていけません。そしてもし製造途中で機械が止まれば原料調達費の数千万、設備の費用も回収できてませんからきっと債権者に身ぐるみはがされるでしょう。もしかしたら来年の今頃は職を失い、ローンも払えず、家を失っているのかもしれないということを考えなきゃいけない恐ろしさがあなたにはわかりますか?』

僕も勤め人なので、よく分かります。お気持ちを考えない文章を読ませてしまってすいませんでした。


今ぼくがこのコメントに対して何が言えるかと言ったら、逃げているように感じられるかもしれないけど「教えてくれてありがとう」くらいしか言えません。

こういうことを書いておいて「無責任だ」などと言われたらそれまでですが

僕が今回、おおい町まで赴いたのは「知りたかったから」ただそれだけです。

誰も教えてくれないから。

誰が正しいのか分からないから。

自分の目で確かめるしかないと思った。だから行ったんです。

それで、見たままをそのまま書いたんです。

そしたらこうして教えてくれる人が出てきた。

これって凄いことだと思うんです。


18歳から原発に反対していて、いま62歳だという方のコメント―

『反原発と書いてこんなに意見がくる時代になった。やっと。』

さっきは、今の日本では原発の話は腫物だと言ったけど

インターネットの世界では、こんなに皆が自由にものを言ってる。

これが肉声として出てきてほしい。

そうなる時代に今、そろそろ入りだしている。


話さないから分からないんだよ。みんなもっと話そうよ。


大飯原発で再稼働抗議をしていた皆が求めていたのも「話し合い」だったんだ。

そうは見えなかったという方もいらっしゃるようだけど。


前回僕がブログに書きたかったことは、それなんです。


「何故、原発再稼働に反対なのか」、「それじゃあ代替案はあるのか」というコメントも多かったんだけど、申し訳ないんだけど、今回僕が書きたかったのはそこじゃないんです。

「原発に否定的な意見を書くのなら、勉強をもっとしなさい」的な意見もあったけど


「それを教えてよ」ってことだったんです。


「そんなこと自分で勉強しろ」と言われそうだし、もちろん自分でも勉強しているつもりです。

だけど現地の人の意見とか、最前線で再稼働反対をしている人の思いとか、原発が動かないと困る人の事情とか、そういうものってなかなか知りたくても知れないことなんです。


原発を動かした方がいいと思っている人たちの意見も根拠もあまり知れないし

原発を動かしたくない人の意見も立場もあまり見えてこないし

原発のことは賛成でも反対でもないっていう人の意見も聞こえてこないし


だから「それ、もっと教えてよ」というのが素直な感情です。


そういう意味で、コメントくれた方には感謝しているんです。


賛成も反対もちゃんと話し合おう。

賛成とか反対じゃない人も話し合おう。

政治家もちゃんと国民の方を向こう。

電力会社もちゃんと説明しよう。



てめぇこのばかやろーじゃ 何も進まないんだよ。



デモに行ったら「再稼働反対」「原発反対」じゃなくて「話し合おう」って言おうよ。


そうしないと分からないんだよ。知れないんだよ。


自分で自分の頭にバイアスかけて、「原発反対?あいつは敵」「原発賛成?あいつは敵」と頭っから決めつけるのはもうやめませんか。


だから僕はコメントを全部読んでます。

多すぎて返せないんだけど、全部読んでます。


僕は今回たくさんのことを知れてうれしかった。そこで、自分がどう思うか、自分はどう動こうと思ったか、なんですよ。
僕への共感や励ましじゃなくて、僕への怒りや憤りでもなくて、僕の文章を読んでどう思ったかなんですよ。それで自分がどう動こうと思ったかなんですよ。


皆さんもコメント全部とは言わなくても読んでください。

そして、考えていきましょう。


あぁなんか説教くさい。気持ち悪い。何書いてんだ。ただの勤め人だぞ俺。


今後、コメントに対するブログ上での反応はしませんが、これは自分で蒔いた種なので、いただいたコメントは必ず全部読みます。絶対です。
それから、コメントは今日のエントリーには書かないで、前回のブログに書いていだくようお願いします。その方がまとめて読めて分かりやすいと思います。


最後にこれだけもう一度言ってこの前のブログに対する僕のコメントは終わりにします。


「みんなでもっと話し合いましょう。」


あー気持ち悪いおれ、やっぱりナルシスト3件の人たちが正解?





―ここから補足―(読んでも読まなくてもどっちでもいいです。)

コメントいただいた中で、これは謝らなければいけないなと思うことや、勘違いされたなということや、訂正したいことがたくさんあったので、以下に羅列します。

前文にも書きましたが推敲なし&書き殴りだったので、自分でもかなり失敗したなぁという表現がたくさんありました。

・まずタイトルを「大飯原発の再稼働について、現場で起きていた本当のこと。」としましたが、「サラリーマンの私が勝手に感じた現場のこと」とした方が適切でした。

・「首相官邸前の抗議なんて意味がない。」なんて書きましたが、すいませんこれは完全に勢いで書きました。意味ない行動なんてありません。皆さん色々な立場があるのも分かっているつもりです。出来ることをやっていきましょう。今週の金曜日も僕は行きます。

・機動隊の方が無表情で「この人たちは、正義も思想も何も持っていない。」なんて表現をしてしまったことも反省しています。これはもっと先で「昨夜は無表情だと思ったその顔に色んな表情が見て取れた。」と文章を続けているのですが、ここまで読まなければ分からないですよね。紛らわしい表現でした。機動隊の方も夜遅くまで付き合わせてしまってすいません。それから、これはやっぱり良くないかと思って、写真の中で顔は見えないようにしました。

・抗議活動が地元の方に迷惑をかけているというコメントがありましたが、それはその通りだと思います。これは素直に申し訳ありませんでした。

・それからこの抗議活動には僕のような一般人も多くいました。それがどれくらいの割合なのかはもう分からないですが、土日だったことも会って、会社の休みで来られた方と僕もお話しをしました。

.再稼働抗議に集まった人が「今日本人の中で一番未来のことを考えている。」と書きましたが、これは「とてもよく考えている」にしておくべきでした。皆がそれぞれの立場で未来を考えているという当然のことを失念していました。
コメント (2)

大飯原発の再稼働について、現場で起きていた本当のこと。

2012-07-01 21:40:34 | Weblog
大飯原発の再稼働への直接抗議活動に行ってきました。


書きたい思いがありすぎて まとめられるか不安だけど これだけは書いておかなきゃいけないと思うので 書いてみます。今日は推敲なし。雑文のまま行こうと思います。


大飯原発に向かう一本道にバリケード封鎖が出来たのが6月30日(土)の午後3時。

7月1日(日)午後9時から始まるとされる原子炉の制御棒の引き抜き。

再稼働に向けた作業を進める作業員の通行を止め、バリケードを作り大飯原発の再稼働を直接的に阻止しようというのが狙い。



僕が駆け付けたのは午後6時。

遠くから見たらこんな感じ。

すでにバリケードの前には警官が列をなしていて、バリケードを守る仲間たちの中に入ることが出来ない。

すでにそこで活動している仲間たちの助けを借りて、力ずくで無理やり警官の列を突破。

ここで頑張ってる仲間たちにとっては、そんなことお茶の子さいさいな様子だったけど

僕は恥ずかしいけど、警官のガードをこじ開けてバリケードの中にいる仲間の所に行く、ただそれだけのことがめちゃめちゃ怖かった。


警察に逆らっていいいの?おれ。
これ捕まっちゃわない?


そんな思いが立ち込めた。だけど仲間たちの励ましもあったし、こんな所でいきなり二の足踏んでるわけにもいかないので 列をこじ開けて正面突破をした。


警察は突破中こそ体を掴んだりしてきたけど、こちらも警察に手を出さなかったし、中に入ってしまえば彼らもそれ以上は追ってこなかった。

やっぱり警察にもここを守る決定的な根拠はないんだ。



バリケードの中に入ったら、そこは音楽と笑いに満ちつつも、緊張感と使命感に満ちた何ともウェットな空間だった。



鳴り止まない「再稼働反対」コール。ジャンベ、鳴り物。

一目見て理解した。


「ここにいる人たちは、皆まだ諦めてない」


「再稼働はまだ止められる」一人一人が本気でそう信じている目をしていたし、その場にいる限り、それは真実のように思えた。


僕は東京で首相官邸前抗議に10万人集まっても、再稼働は止まらないだろうと思っていた。

今回わざわざ往復12時間、費用3万円を費やして、ここまでやってきたのも「再稼働は止められなくても、最後まで声を上げたという自己満足を得たい」という、そんな消極的な理由からだった。


だけど、ここに来て現場を見て一瞬で変わった。


確かに再稼働は止められる。


ここに集まっている人たちの多くは、髭もじゃもじゃ髪ぼさぼさの一昔風に括って表現してしまえばヒッピー的な雰囲気を持った人たちだ。


茂木さんが「カラフルな服を来た若者」と表現するように、一般社会的な価値観から見ると非常識な人間で、とっても悪い言い方をしてしまえば社会不適合という烙印を押されてしまうような、そんな人たちだけど、そんな人たちが今日本人の中で一番未来のことを考えている。


そんな仲間たちと一緒に再稼働反対コールをする。小雨が降っている。


現場では、東京で安穏として暮らしている人間には思いもつかないような発想やアイデアが次々に飛び出し来る。


突然アカペラでラップをする若者。
とりとめもなく喋りつづける若者。


覚えていないので紹介出来ないのがとても残念だけど、それこそ知的好奇心をそそられる言葉が次々と出てきた。


そんな中で仲間の一人がこういった。



「僕たちはもう原発やめたんです。」



この発想なんだ。この人たちの原動力は。



「原発やめて」じゃなくて『原発やめた』。



そのたった一文字の違いがとんでもないパワーを生む。



夜8時45分前後、アピールを続けていたら、警官の列がいなくなった。


バリケードの中と外に分かれていた仲間が一つになる。その数、300人程度。


ここでしばしの安定状態。このままバリケードを守り続ければ再稼働は止められる。


行動は長期戦だ。

作業は翌日7月1日(日)の夜9時から始まると言われている。再稼働を撤回するまで抗議活動は続く。


体力温存も大事なので、各自、仮眠を取ったり車で休憩をしたりする。


バリケード内の人数が100人程に減った夜23時。福井県警が機動隊を寄越してきた。


向こうも戦略なので人数が減った時を当然狙ってくる。

「機動隊来たぞー」の掛け声に合わせて、仲間たちは機動隊の方へ走って行った。

僕は立ちすくんで後ろでこそこそ写真を撮っていた。


正直めちゃめちゃビビってた。


夜の暗闇に機動隊。それに立ち向かう?むりむりむりむり。


近くにいた元彼女に激似の女の子が「私車に行くね」と行って戻っていった。

僕は「そうした方がいいね」なんて言いながら、自分も安全な所に行きたかった。


戻る勇気も突っ込む勇気もないまま、バリケードの中という中途半端な位置で「再稼働反対」と叫ぶしかなかった。


一瞬小競り合いが起きそうだったが、何とかバリケードから5、60mの所で機動隊を食い止めた。



車に戻ると言っていなくなった女の子が戻ってきて、マイクで「再稼働反対」と叫んでいる。


女の子も戦ってる。


それに引き替え自分の意気地のなさと言ったら。

忸怩たる思いが募ったが、それでもやっぱり怖いものは怖かった。


機動隊と市民のにらみ合いが続き、しばらくそのまま小康状態となった。


それから深夜にかけて、もう一度機動隊が突っ込んでこようとした時があった。


「機動隊来たぞー」の掛け声に走る仲間たち。


また立ちすくむ僕。


しばらく悩んだが、やっぱり機動隊を止めに行こうと決意した。



止めなきゃ、意味がないんだ。



警察の人や機動隊の人たちは無表情だ。本当に無表情だ。

この人たちは、正義も思想も何も持っていない。ただ「仕事」としてやってきているだけ。


なるほど。と思った。


だから市民が機動隊を止められるんだ。


本気出せば機動隊がバリケードを潰して、ここにいる人間を検挙することなんてわけないだろう。そういう訓練をしている人たちだ。

だけど、ここに来ている機動隊の人たちは上から命じられて来ている人たちだ。

自発的にやってきている僕たちとは根本的にやる気が違う。


機動隊の人たちも若者だった。


奇しくも現場では若者と若者がにらみ合うという構造になっていた。


バリケードが出来てからほぼ鳴り止むことのない「再稼働反対」の掛け声。


機動隊とにらみ合っている時は必死だから、「再稼働反対」と叫ぶしかないけど


本当は心の底でこう思っていた。




「一体僕は誰と戦っているんだろう。」




当事者でないこの人たちに「再稼働反対」と叫んでも意味が無いし、夜の闇に言葉は吸い込まれていく。
テレビは報じない。言葉で伝えても信じない人が多い。



「私の責任で」と何の担保にもならぬ口先だけの説明で再稼働を決めた野田首相。

抗議行動に関西電力の人は出てこないで、黙って警察を寄越すだけ。



「再稼働反対」の掛け声の合間には「関電さん出してー」の声が混じる。



だけど、誰も出てこない。



関電さんも、政治家も誰もこない。



その結果、警察という本来ぶつかるべきでは無い相手に「再稼働反対」を叫ぶことになる。



次第に、機動隊に検挙されるよりも、よっぽどこっちの方が恐ろしいように思えてきた。



首相官邸前に10万人もの市民が集まって(この人数の真偽は定かではないけど)再稼働反対を伝えても、政治家は無視をする。声は物理的に届いているのに。


間接抗議が意味を成さないならば、こうして直接来るしかないじゃないか。



黙ってたら、賛成と見なされる。

だけど声を出したら警察が来る。




そんなのおかしいじゃないか。


そんなのおかしいじゃないか!!


そんなのおかしいじゃないか!!!!




深夜3時、不安と恐怖とやるせなさで、ここから逃げ出したくてしょうがなくなった僕は踊り始めた。



「再稼働反対」と叫びながら踊った。もはや機動隊のことなんてどうでも良かった。


どうして抗議行動にリズム隊がかかせないかというと

リズムがあるだけで勇気が出るからだ。楽しくなるからだ。


踊って歌いながらの「再稼働反対」はもはや現場で自然と生まれてきた文化だ。



その内、夜が明けてきた。

少し明るくなってきた頃には、機動隊の数もこちら側の数もかなり少なくなっていた。


機動隊の若者の顔がよく見えた。

昨夜は無表情だと思ったその顔に色んな表情が見て取れた。


眠い顔。そりゃ眠いよね。付き合わせてごめんね。

うんざりした顔。そりゃうんざりだよね。付き合わせてごめんね。

メンチ切ってくる人。怖いからやめてー。

中には良心の呵責に耐えている人もいるように勝手に感じた。

この人たちも何故ここにいるのか、意味分かんないだろうな。



可哀そうだよこんな仕事。



だって向こうにしてみれば、夜通し歌って踊っている人たちに突撃していくんだもん。


こっちが攻撃的だったらもっとやりやすいと思うけど。

なるほど、非暴力というのはそういう効果があるのか。などと感じ入りながら

やはりここに当事者がいないことの空しさが胸をつく。




朝まで踊り続けて、僕は現場から去ることにした。


僕は勤め人だから、月曜日には会社にいかなければならない。


一夜踊り明かした仲間たちを置いてここを去るのは心が痛んだが、心の中でまだ残っている皆に最大限の敬意をはらいながら駅に向かった。



若狭本郷駅は静かだった。


ちょっと前の出来事が嘘のように静かだった。



6時間電車に乗って東京についた。


平和だった。


ちょっと前の出来事が嘘のように平和だった。




現実から目を背けたくなった。




ここに来て突然悲しくなった。





現実が違いすぎる。僕達が感じている現実と、その他大勢の人が感じている現実のあまりのギャップの大きさにくらっとした。




友人から電話があった。



「大飯原発がどうだったか聞こうと思って」



嬉しかった。



僕は話した。そして気づいた。



やっぱり首相官邸前の抗議なんて意味がない。



いや、意味がないとは言いすぎた。皆が出来る範囲で行動するしか仕様がない。


だけど、首相官邸前でたくさん人が集まってわーい。じゃ何も変わらないんだ。


唯一今世の中を変えられるとしたら、その答えは現場にしかない。



首相官邸前に抗議で自己満足するなら現場に来て自己満足した方がよっぽど効果がある。



大飯は今、300人~500人の人数で頑張っている。



ここに1万人来たら確かに止まるよ。物理的な話として。



話は意外と簡単だった。だから行ける人はとにかく現場に行ってほしい。



大飯原発の次に再稼働させるのは伊方原発だろうと言われている。



確かに遠い。だけど僕はまた休みが取れれば駆け付けようと思っている。






そして今度は共に抗議行動をした仲間から電話があった。

大学時代の親友だ。


「おれ正直めちゃめちゃ怖かったよ」と話すと

「おれも怖かった」という。


意外だった。怖くないからつっこんでいけるのだと思っていた。

僕はバリケードが出来てから駆け付けたけど、彼は前のりしてバリケードを作った張本人。


検挙は覚悟だったという。


震えた。泣けてきた。


彼と僕では覚悟が違う。



そしてまた思った。やっぱり無責任に直接行動に行ってとは言えない。


そんな責任は僕は負えない。


基本的に警察はこちら側が手を出さなければ何もしてこないから大丈夫なんだけど、可能性はゼロではないし、何かのはずみということもありうる。


これはもう自己責任だ。


とにかく行ける人が行くしかない。


それは人の優劣じゃなくて それこそ人の質の問題だと思う。


僕は自分のことを「行ける側の人間」だと思った。


行ける人間は行かなきゃいけない。


今日もまだ仲間たちが戦っている。


この問題に対してどこまで踏み込んでいくかは全て自分の問題だ。



だけど「そんなことが起きてたなんて知らなかった」という言い訳だけはもう止めよう。

テレビも新聞もよく見れば報じている。


僕もフェイスブックやツイッターで逐一報告している。


もし知らなかったのだとしたら、それは「知らなかった」のではなく、「知ろうとしなかった」という自分の選択なんだということを皆が分かっていてほしいと願う。


とは言え、ここまで文章を読み進めてくれた人はもうすでに「知ろうとしている人間」だと思います。


本当にどうしたらいいのか分からない状態がこれからも続くと思いますが、出来うる限りのことを頑張ってしていきましょう。


今日は、現場で頑張るソウルメイトの無事をひたすら祈ります。

これからも頑張っていこう。再稼働されてもまだ再稼働に反対。
 
合掌。




--2014年3月14日 追記-------------------------------------

このブログを書いてから1年半以上が経ちました。

そろそろ誰も見ることがなくなっただろう頃を見計らって追記です。

このエントリーを書いたのは紛れもない私なので、この内容を削除したりこっそり訂正を入れたりしたい気持ちなどは全くないのですが、一つだけ説明したいことがあります。

そもそもこのブログは、特別に社会的なことを書くためのものではなく、日々のことを軽い気持ちで書くために開設したものでした。

ですので、このエントリーに関しても、自分のことを知っている人に向けて書いていたつもりでした(過分に感情的ではありましたが)。

そのため各方面への配慮が書けた文章となっていますが、まさか無名の私のくだらないブログがネットで不特定多数の方の目にさらされることなど想像も及びませんでした。


私のことを知らない方がこの文章を読んだ時に起こったのは「バーチャルな私」の形成でした。

お褒めの言葉や励ましの言葉にも、たしなめや罵詈雑言についても、自分のことを知っている人からは絶対に出ないだろうなという類のものが圧倒的多数を占めていました。

自分のことを知っている人が読めば伝わるであろう文脈や感情は、ネット空間で不特定多数の方に読まれると全く伝わらないのだなということを痛切した次第です。

それからはインターネットで文章を書くことは全世界に向けて意見することなのだという認識を持って文章を書くようになりました。おかげで文章は猛烈につまらなくなりましたが…。

今からこのエントリーを見る方は(もうほぼいないと思いますが)、そこのところを汲んでお読みいただければ幸いです。

なお、このエントリーに関連してその後に書いた文章がいくつかありますので、どうか罵詈雑言の前に一読をいただきたく思います。

多分このような文章を書けることは今後一生無いだろうと思います。賛否両論の渦に巻き込まれた大事な経験として、当エントリーは今後とも消さずに残しておこうと思います。


追記①:補足と訂正とお詫びと謝辞(2012-07-02)http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/f20fe8641db2233c125be7e8b4afbe0b

追記②:思っていることを出来る限り言葉にしてみようと思う。(2012-07-22)http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/10f6586737b415034fcb4e288c190f63

追記③:言葉が足りない。(2012-11-07)http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/0e4e3216cf8d3b01a0e25b3e8bb41f7f

追記④:手遅れの世界 僕が原発に反対してる本当の理由(2013-08-24)http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/f4d8fd8f5abc93f7607dcc71d0f4175c
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