この話書くのどうしようかなとずっと悩んでたんだけど、やっぱこの話をしないと僕が今一番伝えたいことが説明できないから、思い切って書くことにします。
読んでほしい人が読んでいる可能性は低いと思いつつも。
原発事故の直後、何故か結婚式が多くありました。そういう年なんだよね。
みんな一応、声をかけてくれるんだけど、そのほとんどに俺、行けなかった。
結婚式、行けなかったんだ。
原発事故直後の僕は、「未来を」祝えるような心境にはどうしてもなれなかった。
もうすでに取り返しがつかないけど、「おめでとう」という気持ちはあったんだよ。
本当にとってもたくさん。みんな結婚おめでとう。本当におめでとう。
だけど、どうしてもこの日本の危機に、一秒も無駄に出来ない原発事故が起きてる真っ最中に、誰かのことを祝う心の余裕がなかった。
今は被災地の復興が先でしょ。原発をみんなで考える時でしょ。って。
本当凄い嫌なんだけど。そんな自分が。
めでたいことは、めでたいこととして祝えば良かったじゃないか。
それが出来なかったのは、自分の人間としての器の小ささの証明でしかない。
本当小さいよ、俺は。
それのみならず、しばらくは、ほとんどの友達と会えなかった。
当時は小学校の友人と3人暮らしをしていたので、小学校の友人が家を訪ねてくることがあったのだけど、どうしても皆と遊ぶ気になれなかった。
少しでも多く原発のことを勉強したかったし、震災で亡くなった方々に対して喪に服していたかった。
自分が楽しくあることに違和感を感じていたし、何より焦っていた。
そんなこと全部自己満足だと、自分でも頭では分かっていながら、そうすることしか出来なかった。
こんなにどうすることも出来なくなったのは生まれて初めてだったし、正直今でもどうしたらいいか分からない。
2011年12月16日、野田元首相が謎に発した「福島第一原発事故収束」宣言。
そして今、福島第一原発で起きているニュースがこれ。
タンク汚染水漏れ、「レベル3」相当 福島第一原発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130821-00000022-asahi-soci
何も収束しちゃいないし、危機的状況は変わらない。
だけど、日本はどうだろう。
http://tokyo2020.jp/jp/
呑気にオリンピック誘致だ。
そんなとこにお金かける暇あるんだったら、被災地復興と福島原発事故収束のためにお金を使ってよ。
優先順位間違えないで。と思う僕はどうやら世の中では異端らしい。
そういえば、高校生の時にも似たようなことがあった。
高校生の時、9.11の事件が起きた。
家に帰ったら親がテレビを見ていて、テレビの中ではアメリカのビルに飛行機が突き刺さっていた。
言葉を失ってそのままテレビを見ていたら、もう一機の飛行機がまたビルに突っ込んだ。
何が何だか分からなくて、あの時は中東のことも知らなかったし、テロって何なのかも分からなかったけど、「世界は平和じゃなかったんだ!!」という事実を生まれて初めて知らされて、強烈に打ちのめされた。
しばらくビクビクしながら登校していた。いつ飛行機が学校に突っ込んでくるやもしれぬ。
高校生なりに勉強した。日本が戦争に巻き込まれる恐れはないのか。僕達が戦場に行く可能性はないのか。そもそもなんでこんなことが起きたのか。世界は平和じゃなかったのか。
友達に熱く話した。
「お前、戦争マニアになれよ」と笑われた。
何かおかしいと思いながら、世界に何の影響を与えることも出来ず、そのまま部活を続けていた。
自分の中では、「世界崩壊」ほどのインパクトのある出来事でも、人によってはまるで蚊にさされたくらいの捉え方をする。
もしかしてこの世はパラレルワールド。生きている世界そのものが違うのか?
いな、同じ対象を見ていても、眼球を通して映り込んでいる情報が違うのだろうか。
王国全土を崩壊させようとした力のある魔法使いが、全国民が飲む井戸に魔法の薬を入れたの。その水を飲んだ者はおかしくなるように。
次の朝、誰もがその井戸から水を飲み、みんなおかしくなったわ。王様とその家族以外はね。彼らには王族だけの井戸があり、魔法使いの毒薬は撒かれてなかったから。
そこで心配した王様は安全を図り、公共の福祉を守るためにいくつかの勅命を発布したの。でも警察官も、警部も、すでに毒の入った水を飲んでいたから、王様の決定を愚かだと思って、従わないことにしたの。
王国の臣民がその勅命を耳にした時も、みんな、王様がおかしくなって、バカげた命令を下しているんだって確信したの。彼らは城まで大挙して押し寄せ、その勅命の破棄を求めたわ。
絶望した王様は、王位から退く心づもりでいたけど、女王が彼を引き止めて言ったの。
“さあ、みんなと同じ共同井戸の水を飲むのよ。そうすれば、みんなと同じようになるはずだから。”
そして彼らはそうしたの。王様と女王は狂気の水を飲み、すぐに不条理なことを口走り始めた。彼らの臣民は、すぐに悔い改め、王様がすごい知恵を見せている今、このまま国を統治させようではないか、と思ったの。
その国は、近隣諸国よりもおかしな行動を取っていたけど、それから平和な日々を送り続けた。そしてその王様はその最期まで国を支配することができたとさ。
人は誰でも「自分の世界」でしか生きることが出来なくて、その「自分の世界」がたまたまその他大勢と同じであれば「普通」と言われ、その他大勢と違えば「狂っている」と言われる。
世界には「正しい」ことなんて一つもないのに、ね。
原発事故が起きた後で、辻信一さんが語った言葉がある。
「原発で事故が起きたらおしまいだと言われ続けてた。もう起こってしまった。手遅れなんだ。僕ら絶望した方がいいんじゃないか。まず。安易に希望を語る前に。」
2年前、3.11以降飛び交う言説のどれにも共感できなかった僕は、この言葉にだけ深く頷いた。
「手遅れなんだ。」
今から原発に反対しても、ばらまかれた放射性物質を回収することは出来ない。
今から原発に反対しても、壊れてしまった原子炉を元通りにすることは出来ない。
すでに手遅れ。僕達は間に合わなかった。
そういう意味でこの言葉に深く同意したんだけど、今この言葉を違う角度からまた思い直している。
考えれば考えるほど、「原発」という存在は現代社会の象徴であり、様々な角度から語ることの出来るテーマだ。
「戦後日本の中央と地方」の関係から福島原発を考えている開沼博さんの「「フクシマ」論」や、「贈与」の切り離しを行うことで地球からの自律を果たそうとした「資本主義時代の思想」から原発を考えている中沢新一さんと國分功一郎さんの「哲学の自然」なんかは読んでて本当に面白い。
あんまりしっかり言う機会がなかったけど、僕が原発に対している理由は「子供を守りたいから」とか「健康被害が心配だから」とか、そういう理由じゃない。
僕は脱「原発」じゃなくて、脱「資本主義」なんだよね。レッテル貼りの好きな世間様から見れば左翼そのものなんだろうけど。
この話はまとめきれないので今回書かないけど、どっちかというと現実的被害を重く見ているというよりは「思想的被害」を重く見ているんです。(それに次いで、メディアの中立性の問題、そして核燃料サイクルの問題の順番)
原発反対派からは仲間のように思われているみたいだけど、別に原発反対派と気が合うわけではない。むしろ合わないことの方が多いから、デモとかで知り合う人とは極力連絡先の交換などはしないようにしている。
僕は僕の文脈で原発に反対したい。
と、思っちゃってるし、そんなことを書いちゃってる僕自身がすでに「手遅れ」な気が最近しているんだ。
- 分断が止まらない。という意味で。
いま、原発を取り巻く議論で一番やっかいなのは「低線量被曝」をどう捉えるかという問題だろう。
原発に反対する理由なんて、絞り出そうとすれば本当に無数にある。
原子力に反対する 100 個の十分な理由~100 gute Gründe gegen Atomkraft~
↑こんな風にね。だけど、その中でもみんなの関心が高いのは放射性物質の人体に対する健康被害についてだと思う。
ツイッター上では、「原発事故以降、脳こうそくが増えている」だとか「友達が白血病になった。放射能のせいか」などいった話題がまことしやかに飛び交っている。
中にはチェルノブイリの例を持ちだし、奇形児の写真を並べた画像を提示してくる人もいる。
僕はそういった健康被害の観点から、原発反対を言ったことは(多分)一度もない。
なぜか。
正直よく分からないんだ。放射性物質の人体への影響。どんだけ調べても、どんだけ考えても。
こんなこと書くと、僕のことを仲間だと認識されていた方からお叱りを受けそうだけど、でも今日は書いちゃお。
何たってもう「手遅れ」だから。
例えば火山学者の早川由紀夫さんがいつもツイッター上で巻き起こしている議論の一つに「甲状腺がん」の評価の話がある。
詳しくは早川さんのブログを見てもらいたい。
・甲状腺がん仮説
・甲状腺スクリーニング検査結果の考察
・いま福島県で見つかっている小児甲状腺がんは原発事故由来ではない。
下記、抜粋で要約。
・福島県で、原発に近い地域に住んでいた子ども3万8000人を23年度にスクリーニング検査したら、甲状腺がんが10人みつかった。そのうち3人はすでに手術してがんを摘出した。
・小児甲状腺がんは、症状が出てみつかるのは100万人あたり毎年1人2人というごくまれな病気だが、じつは症状が出ないまま100万人あたり400人くらいがもってる病気だった。これを玄妙1万分の4仮説と名付ける。
・がんがいままで考えられていた人口比をはるかに超えて報告されているのは、もとからあったが放置されていたがんをスクリーニング検査が無理矢理みつけ出しているからである。これまでに発見されたすべてのがんに自覚症状はなかったという。
・このスクリーニング検査は、高性能の医療検査技術によって、そういったひとたちを片っぱしからみつけ出してしまったのだと考えられる。
・福島でみつかった甲状腺がんが、おととしの原発事故のせいでないのなら、手術してがんを摘出した医療行為ははたして適切だったろうか。切らなくてもよかったがんを切ってしまった可能性はないか。
というような内容のことを言っているんだけど、興味ある人はちゃんと読んでみてください。
早川さんって物言いに優しさが欠如してるから勘違いされることが多いけど、感情を交えずにちゃんと発言を追っていくと、いつも説得力のある主張をされています。
今さら復習だけど、そもそも低線量被曝についての解釈は、大きく3つの学派に分かれている。
・ある一定の放射線量までなら人体に対する影響は全くないという「しきい値理論」。
・放射線の影響に「しきい値」などは存在せず、ごく少量でも何らかの影響があるはずだという「LNT仮説」。
・少量の放射線ならむしろ健康にいいという「ホルミシス理論」。
解釈がそれぞれ違う3つの学派がその主張のぶつけ合いでしのぎを削っている理由は簡単。
結局「低線量」の被曝についての影響は今まだ分かっていないから。ただただそれにつきる。
分からない中で各々が主張を繰り広げるから、議論は信仰のような体を表してくる。
僕は「LNT仮説」を支持しているので、低線量被曝を重く見た発言をしているけれど、「その話、本当なの?」と言われたら、「さぁ、本当かなぁ」と答えざるを得ない。
ここが「手遅れ」なんだ。
もう、みんながみんな疑心暗鬼。
「LNT仮説」派は東電や政府の発表なんか信じられないし、「しきい値理論」派は原発推進を主張して、「ホルミシス理論」派は変人扱いだ。
もしも、低線量の被ばくが人体に与える影響が無いのだとしたら、今起きている、福島原発の汚染水問題だって、「だから何なの?」で済んでしまう。
だけど、低線量の被ばくが人体に間違いなく影響を与えるのだとすれば、今の汚染水の問題は到底聞き流せるニュースではない。
今後証明することも難しいだろうことをテーマに議論することほど不毛なことはないと思う。
そこに着地点はない。そういう意味で、「手遅れ」という意味を思うんだ。
僕の世界では、日本は(地球は)もうすでに手遅れゾーンに突入しているんだけど、まったく「手遅れじゃない人たち」もたくさんいるの。
原発事故前も事故後も、同じ人がいる。
いや、それも実際のところどうなのかは本人以外分からないんだけどさ。
だからそういう意味で、多少強引かも知れないけど、原発は始めから存在しちゃいけなかったんだ。と思う。
科学の流れは当然の帰結のように、原発を通過しなきゃいけなかったのかもしれないけど、それでもやっぱり、原発はそも存在してはいけなかったんだ。
そもそもが宇宙の力である核エネルギー。
地面から離れることすら出来ない人類に、そのエネルギーを使いこなせるのか。
使いこなせないから、物事は全て「分からない」の世界に行ってしまう。
「分からない」の世界は、人を疑心暗鬼にさせ、繋がりを分断させる。
重大なのは、人体に与える害よりも、繋がりの分断の方なのではないか。
この先、僕が小学校の友達と普通に遊べるようになるのに、どれくらいの時間がかかるのだろう。
僕が変わればいいだけの話なんだけど、なかなかそうは簡単に行かないのが人間の心の厄介なところだよね。
「聖なる地球のつどいかな」(ゲーリー・スナイダーと山尾三省の対談集)という本の中に面白い話が出てくるので最後に紹介します。
カリフォルニア州立大学の教授で、科学者でも作家でもあるウェス・ジャックソンという人が「自分の使うエネルギーの年齢を知っていないといけない」と言っているという話なんだけど
今、人類が使っているエネルギーは、薪、石炭、石油、核などがあるけれども、実はどれも太陽熱がもたらしたものであること。
だけど、それぞれのエネルギーの年齢は大きく違う。
例えば、木を燃やしてエネルギーを作るとする。
そのエネルギーの年齢は、その木が育つまでに要した年数ということになるので、それなりに人間の理解の範疇にある年数だろう。
だけど、石炭は、地下に眠っている植物の化石燃料だから、その年齢は薪よりもずっとずっと古い。
そして原子力はどうかというと、核エネルギーは宇宙と同じ年齢なんだと。
それはもっともコントロールしにくく、危険なものなんだ。
いつも話は平行線。
汚染水は止まらないし、東電は相変わらず後手後手に情報をだし、それを追究するメディアもなければ、政府も積極的に介入しない。
そしてそれを後押ししているのは、紛れもなく、無関心だ。
無言の同意によって、全て物事は進んでいるけれど、「無関心」を追究する権利が自分にあるのかどうかよく分からない。
だって、実のところ健康被害だってあるのか分からないし。
そうして、ぶつかる所はぶつかって、ぶつからない所は離れていき、人々の分断は今日も進んでいる。
原発の一番の罪悪は、人々の分断だ。
「分からない」をベースに、「手遅れであること」を自覚して、分断させられないように動ける方法は何か。
今日もずっと考えてる。
答えはまるで出てこないけど、それでも考えてる。
苦しいけど、考えてる。
そして、こういうことを考えていると、いつも文章が最後でまとまりきらない。
「分からない」からだ。
「分からない」ことを話し続けていくしかないし、「分からない」ままで考え続けていかなければならない。
原発っていう存在は、そういうものなんだ。
だから僕は、原発には絶対反対。
即時反対。
これ以上、誰かと離れていくなんて真っ平ごめんだ。
読んでほしい人が読んでいる可能性は低いと思いつつも。
原発事故の直後、何故か結婚式が多くありました。そういう年なんだよね。
みんな一応、声をかけてくれるんだけど、そのほとんどに俺、行けなかった。
結婚式、行けなかったんだ。
原発事故直後の僕は、「未来を」祝えるような心境にはどうしてもなれなかった。
もうすでに取り返しがつかないけど、「おめでとう」という気持ちはあったんだよ。
本当にとってもたくさん。みんな結婚おめでとう。本当におめでとう。
だけど、どうしてもこの日本の危機に、一秒も無駄に出来ない原発事故が起きてる真っ最中に、誰かのことを祝う心の余裕がなかった。
今は被災地の復興が先でしょ。原発をみんなで考える時でしょ。って。
本当凄い嫌なんだけど。そんな自分が。
めでたいことは、めでたいこととして祝えば良かったじゃないか。
それが出来なかったのは、自分の人間としての器の小ささの証明でしかない。
本当小さいよ、俺は。
それのみならず、しばらくは、ほとんどの友達と会えなかった。
当時は小学校の友人と3人暮らしをしていたので、小学校の友人が家を訪ねてくることがあったのだけど、どうしても皆と遊ぶ気になれなかった。
少しでも多く原発のことを勉強したかったし、震災で亡くなった方々に対して喪に服していたかった。
自分が楽しくあることに違和感を感じていたし、何より焦っていた。
そんなこと全部自己満足だと、自分でも頭では分かっていながら、そうすることしか出来なかった。
こんなにどうすることも出来なくなったのは生まれて初めてだったし、正直今でもどうしたらいいか分からない。
2011年12月16日、野田元首相が謎に発した「福島第一原発事故収束」宣言。
そして今、福島第一原発で起きているニュースがこれ。
タンク汚染水漏れ、「レベル3」相当 福島第一原発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130821-00000022-asahi-soci
何も収束しちゃいないし、危機的状況は変わらない。
だけど、日本はどうだろう。
http://tokyo2020.jp/jp/
呑気にオリンピック誘致だ。
そんなとこにお金かける暇あるんだったら、被災地復興と福島原発事故収束のためにお金を使ってよ。
優先順位間違えないで。と思う僕はどうやら世の中では異端らしい。
そういえば、高校生の時にも似たようなことがあった。
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高校生の時、9.11の事件が起きた。
家に帰ったら親がテレビを見ていて、テレビの中ではアメリカのビルに飛行機が突き刺さっていた。
言葉を失ってそのままテレビを見ていたら、もう一機の飛行機がまたビルに突っ込んだ。
何が何だか分からなくて、あの時は中東のことも知らなかったし、テロって何なのかも分からなかったけど、「世界は平和じゃなかったんだ!!」という事実を生まれて初めて知らされて、強烈に打ちのめされた。
しばらくビクビクしながら登校していた。いつ飛行機が学校に突っ込んでくるやもしれぬ。
高校生なりに勉強した。日本が戦争に巻き込まれる恐れはないのか。僕達が戦場に行く可能性はないのか。そもそもなんでこんなことが起きたのか。世界は平和じゃなかったのか。
友達に熱く話した。
「お前、戦争マニアになれよ」と笑われた。
何かおかしいと思いながら、世界に何の影響を与えることも出来ず、そのまま部活を続けていた。
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自分の中では、「世界崩壊」ほどのインパクトのある出来事でも、人によってはまるで蚊にさされたくらいの捉え方をする。
もしかしてこの世はパラレルワールド。生きている世界そのものが違うのか?
いな、同じ対象を見ていても、眼球を通して映り込んでいる情報が違うのだろうか。
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王国全土を崩壊させようとした力のある魔法使いが、全国民が飲む井戸に魔法の薬を入れたの。その水を飲んだ者はおかしくなるように。
次の朝、誰もがその井戸から水を飲み、みんなおかしくなったわ。王様とその家族以外はね。彼らには王族だけの井戸があり、魔法使いの毒薬は撒かれてなかったから。
そこで心配した王様は安全を図り、公共の福祉を守るためにいくつかの勅命を発布したの。でも警察官も、警部も、すでに毒の入った水を飲んでいたから、王様の決定を愚かだと思って、従わないことにしたの。
王国の臣民がその勅命を耳にした時も、みんな、王様がおかしくなって、バカげた命令を下しているんだって確信したの。彼らは城まで大挙して押し寄せ、その勅命の破棄を求めたわ。
絶望した王様は、王位から退く心づもりでいたけど、女王が彼を引き止めて言ったの。
“さあ、みんなと同じ共同井戸の水を飲むのよ。そうすれば、みんなと同じようになるはずだから。”
そして彼らはそうしたの。王様と女王は狂気の水を飲み、すぐに不条理なことを口走り始めた。彼らの臣民は、すぐに悔い改め、王様がすごい知恵を見せている今、このまま国を統治させようではないか、と思ったの。
その国は、近隣諸国よりもおかしな行動を取っていたけど、それから平和な日々を送り続けた。そしてその王様はその最期まで国を支配することができたとさ。
『ベロニカは死ぬことにした/パウロ・コエーリョ著』より引用。
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人は誰でも「自分の世界」でしか生きることが出来なくて、その「自分の世界」がたまたまその他大勢と同じであれば「普通」と言われ、その他大勢と違えば「狂っている」と言われる。
世界には「正しい」ことなんて一つもないのに、ね。
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原発事故が起きた後で、辻信一さんが語った言葉がある。
「原発で事故が起きたらおしまいだと言われ続けてた。もう起こってしまった。手遅れなんだ。僕ら絶望した方がいいんじゃないか。まず。安易に希望を語る前に。」
2年前、3.11以降飛び交う言説のどれにも共感できなかった僕は、この言葉にだけ深く頷いた。
「手遅れなんだ。」
今から原発に反対しても、ばらまかれた放射性物質を回収することは出来ない。
今から原発に反対しても、壊れてしまった原子炉を元通りにすることは出来ない。
すでに手遅れ。僕達は間に合わなかった。
そういう意味でこの言葉に深く同意したんだけど、今この言葉を違う角度からまた思い直している。
考えれば考えるほど、「原発」という存在は現代社会の象徴であり、様々な角度から語ることの出来るテーマだ。
「戦後日本の中央と地方」の関係から福島原発を考えている開沼博さんの「「フクシマ」論」や、「贈与」の切り離しを行うことで地球からの自律を果たそうとした「資本主義時代の思想」から原発を考えている中沢新一さんと國分功一郎さんの「哲学の自然」なんかは読んでて本当に面白い。
あんまりしっかり言う機会がなかったけど、僕が原発に対している理由は「子供を守りたいから」とか「健康被害が心配だから」とか、そういう理由じゃない。
僕は脱「原発」じゃなくて、脱「資本主義」なんだよね。レッテル貼りの好きな世間様から見れば左翼そのものなんだろうけど。
この話はまとめきれないので今回書かないけど、どっちかというと現実的被害を重く見ているというよりは「思想的被害」を重く見ているんです。(それに次いで、メディアの中立性の問題、そして核燃料サイクルの問題の順番)
原発反対派からは仲間のように思われているみたいだけど、別に原発反対派と気が合うわけではない。むしろ合わないことの方が多いから、デモとかで知り合う人とは極力連絡先の交換などはしないようにしている。
僕は僕の文脈で原発に反対したい。
と、思っちゃってるし、そんなことを書いちゃってる僕自身がすでに「手遅れ」な気が最近しているんだ。
- 分断が止まらない。という意味で。
いま、原発を取り巻く議論で一番やっかいなのは「低線量被曝」をどう捉えるかという問題だろう。
原発に反対する理由なんて、絞り出そうとすれば本当に無数にある。
原子力に反対する 100 個の十分な理由~100 gute Gründe gegen Atomkraft~
↑こんな風にね。だけど、その中でもみんなの関心が高いのは放射性物質の人体に対する健康被害についてだと思う。
ツイッター上では、「原発事故以降、脳こうそくが増えている」だとか「友達が白血病になった。放射能のせいか」などいった話題がまことしやかに飛び交っている。
中にはチェルノブイリの例を持ちだし、奇形児の写真を並べた画像を提示してくる人もいる。
僕はそういった健康被害の観点から、原発反対を言ったことは(多分)一度もない。
なぜか。
正直よく分からないんだ。放射性物質の人体への影響。どんだけ調べても、どんだけ考えても。
こんなこと書くと、僕のことを仲間だと認識されていた方からお叱りを受けそうだけど、でも今日は書いちゃお。
何たってもう「手遅れ」だから。
例えば火山学者の早川由紀夫さんがいつもツイッター上で巻き起こしている議論の一つに「甲状腺がん」の評価の話がある。
詳しくは早川さんのブログを見てもらいたい。
・甲状腺がん仮説
・甲状腺スクリーニング検査結果の考察
・いま福島県で見つかっている小児甲状腺がんは原発事故由来ではない。
下記、抜粋で要約。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・福島県で、原発に近い地域に住んでいた子ども3万8000人を23年度にスクリーニング検査したら、甲状腺がんが10人みつかった。そのうち3人はすでに手術してがんを摘出した。
・小児甲状腺がんは、症状が出てみつかるのは100万人あたり毎年1人2人というごくまれな病気だが、じつは症状が出ないまま100万人あたり400人くらいがもってる病気だった。これを玄妙1万分の4仮説と名付ける。
・がんがいままで考えられていた人口比をはるかに超えて報告されているのは、もとからあったが放置されていたがんをスクリーニング検査が無理矢理みつけ出しているからである。これまでに発見されたすべてのがんに自覚症状はなかったという。
・このスクリーニング検査は、高性能の医療検査技術によって、そういったひとたちを片っぱしからみつけ出してしまったのだと考えられる。
・福島でみつかった甲状腺がんが、おととしの原発事故のせいでないのなら、手術してがんを摘出した医療行為ははたして適切だったろうか。切らなくてもよかったがんを切ってしまった可能性はないか。
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というような内容のことを言っているんだけど、興味ある人はちゃんと読んでみてください。
早川さんって物言いに優しさが欠如してるから勘違いされることが多いけど、感情を交えずにちゃんと発言を追っていくと、いつも説得力のある主張をされています。
今さら復習だけど、そもそも低線量被曝についての解釈は、大きく3つの学派に分かれている。
・ある一定の放射線量までなら人体に対する影響は全くないという「しきい値理論」。
・放射線の影響に「しきい値」などは存在せず、ごく少量でも何らかの影響があるはずだという「LNT仮説」。
・少量の放射線ならむしろ健康にいいという「ホルミシス理論」。
解釈がそれぞれ違う3つの学派がその主張のぶつけ合いでしのぎを削っている理由は簡単。
結局「低線量」の被曝についての影響は今まだ分かっていないから。ただただそれにつきる。
分からない中で各々が主張を繰り広げるから、議論は信仰のような体を表してくる。
僕は「LNT仮説」を支持しているので、低線量被曝を重く見た発言をしているけれど、「その話、本当なの?」と言われたら、「さぁ、本当かなぁ」と答えざるを得ない。
ここが「手遅れ」なんだ。
もう、みんながみんな疑心暗鬼。
「LNT仮説」派は東電や政府の発表なんか信じられないし、「しきい値理論」派は原発推進を主張して、「ホルミシス理論」派は変人扱いだ。
もしも、低線量の被ばくが人体に与える影響が無いのだとしたら、今起きている、福島原発の汚染水問題だって、「だから何なの?」で済んでしまう。
だけど、低線量の被ばくが人体に間違いなく影響を与えるのだとすれば、今の汚染水の問題は到底聞き流せるニュースではない。
今後証明することも難しいだろうことをテーマに議論することほど不毛なことはないと思う。
そこに着地点はない。そういう意味で、「手遅れ」という意味を思うんだ。
僕の世界では、日本は(地球は)もうすでに手遅れゾーンに突入しているんだけど、まったく「手遅れじゃない人たち」もたくさんいるの。
原発事故前も事故後も、同じ人がいる。
いや、それも実際のところどうなのかは本人以外分からないんだけどさ。
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だからそういう意味で、多少強引かも知れないけど、原発は始めから存在しちゃいけなかったんだ。と思う。
科学の流れは当然の帰結のように、原発を通過しなきゃいけなかったのかもしれないけど、それでもやっぱり、原発はそも存在してはいけなかったんだ。
そもそもが宇宙の力である核エネルギー。
地面から離れることすら出来ない人類に、そのエネルギーを使いこなせるのか。
使いこなせないから、物事は全て「分からない」の世界に行ってしまう。
「分からない」の世界は、人を疑心暗鬼にさせ、繋がりを分断させる。
重大なのは、人体に与える害よりも、繋がりの分断の方なのではないか。
この先、僕が小学校の友達と普通に遊べるようになるのに、どれくらいの時間がかかるのだろう。
僕が変わればいいだけの話なんだけど、なかなかそうは簡単に行かないのが人間の心の厄介なところだよね。
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「聖なる地球のつどいかな」(ゲーリー・スナイダーと山尾三省の対談集)という本の中に面白い話が出てくるので最後に紹介します。
カリフォルニア州立大学の教授で、科学者でも作家でもあるウェス・ジャックソンという人が「自分の使うエネルギーの年齢を知っていないといけない」と言っているという話なんだけど
今、人類が使っているエネルギーは、薪、石炭、石油、核などがあるけれども、実はどれも太陽熱がもたらしたものであること。
だけど、それぞれのエネルギーの年齢は大きく違う。
例えば、木を燃やしてエネルギーを作るとする。
そのエネルギーの年齢は、その木が育つまでに要した年数ということになるので、それなりに人間の理解の範疇にある年数だろう。
だけど、石炭は、地下に眠っている植物の化石燃料だから、その年齢は薪よりもずっとずっと古い。
そして原子力はどうかというと、核エネルギーは宇宙と同じ年齢なんだと。
それはもっともコントロールしにくく、危険なものなんだ。
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いつも話は平行線。
汚染水は止まらないし、東電は相変わらず後手後手に情報をだし、それを追究するメディアもなければ、政府も積極的に介入しない。
そしてそれを後押ししているのは、紛れもなく、無関心だ。
無言の同意によって、全て物事は進んでいるけれど、「無関心」を追究する権利が自分にあるのかどうかよく分からない。
だって、実のところ健康被害だってあるのか分からないし。
そうして、ぶつかる所はぶつかって、ぶつからない所は離れていき、人々の分断は今日も進んでいる。
原発の一番の罪悪は、人々の分断だ。
「分からない」をベースに、「手遅れであること」を自覚して、分断させられないように動ける方法は何か。
今日もずっと考えてる。
答えはまるで出てこないけど、それでも考えてる。
苦しいけど、考えてる。
そして、こういうことを考えていると、いつも文章が最後でまとまりきらない。
「分からない」からだ。
「分からない」ことを話し続けていくしかないし、「分からない」ままで考え続けていかなければならない。
原発っていう存在は、そういうものなんだ。
だから僕は、原発には絶対反対。
即時反対。
これ以上、誰かと離れていくなんて真っ平ごめんだ。