全国各地で雪が降ったりで受験生の人達は大変だったようですね。
私が受験した(もう20年近く前になるのね


私がなりたかった職業になるには専門学校へ進む人が多かった。
(今は大学が多いみたいだけど・・・)
東京の学校はもちろん大人気で競争が激しすぎるので学校見学だけで、受験はしなかった。
受験したのは新潟と仙台と箱根の学校。
新潟と仙台は前泊し、箱根の学校だけ当日移動した。
いよいよ受験のその日の朝になんとタイミングの悪いことに地震発生

電車のダイヤは乱れ、途方に暮れた私は新幹線で会場のある小田原へと向かった。
在来線より新幹線の方が復旧が早かったのね。
大慌てで会場へ到着すると、交通機関の影響により繰り下げての試験開始との通知が・・・
東京駅まで父親に送ってもらい、混乱ぶりを見た私は内心半分行くのやめようかと思った。
だけど、私は小市民ゆえ、受験料がもったいないからと取り合えず会場まで行ったみたのだ。
ただ結果は不合格だったので、大変な目にあいに行っただけなんだけどね

そして新潟の受験は前泊した。
確か当時は直江津の方へ行く新幹線が無く、特急で行った記憶がある。
途中勾配のきつい峠では電車を連結して引っ張ってもらったような・・・
ただ、もの凄い記憶は曖昧だけど。
直江津に到着すると学校から指定された宿へ。
ここでびっくりしたのは道路の真ん中から水がじゃんじゃん溢れ出てる

何事かと思ったら雪を溶かすため、凍結しないために地下水をまいているとのこと。
東京生まれ、東京育ちの私はカルチャーショックを受けた。
そして宿へ到着すると宿泊しているのはみんな同じ学校を受ける人たち。
みんなで夕飯を食べたり、お菓子を食べつつ当時とっても流行っていた平成教育委員会を見ながら楽しい
夜を過ごした。
明日はライバルになるんだけど、そんなことはお構いなしで楽しんだ。
ただ、実家へと電話を入れた私は母から箱根の学校の不合格を聞かされガッカリ

母は一生懸命悟られないようにしてくれたんだけど、嘘をつけない性格が災いし合否を問う私に曖昧な
返事しかできなかったのだ。
電話越しでもなんとなくその気配を感じた私は、不合格にガッカリしたけど楽しい人たちが一緒で救われた

一人だったら結構凹んでたかもね

朝は宿を何箇所かバスが回ってくれて、雪景色の向こうの日本海に感嘆しながら受験生みんなで会場へと
向かった。
とここまでは結構覚えてるのに、どんな学校だったか、帰りはどうやって帰ったのかは全くの記憶喪失。
仙台の学校へは新幹線で行って、駅前のビジネスホテルに泊まりファーストフードで適当にお腹を満たし
特にトラブルもなく、面白おかしいこともなかった気がする。
唯一受かったのが仙台の学校だったことを考えると、苦労した箱根や新潟の受験はなんだったんだろう。
まぁ一つの人生経験だわな

バイト代やらお年玉やらで捻出した受験料とその旅費は当時は勉強代としては高かったけど、切符の
手配やら宿の手配やら一人での宿泊はとっても勉強になった

心細かった私にそっとみかんをくれて話し相手になってくれた隣の席のおばあちゃんや、受験の心構えを
親切に教えてくれたどっかのお偉いさん風なおじさんとの出会いがあったりもした。
今日受験した人たちにもそれぞれのドラマがあるだろう。
希望の学校に受からなくっても今日の日は無駄じゃなかったと思える日がくるよ

毎日の成長や経験に
無駄は1つもないのだと
すーっごい後からじゃないと
分からないよね(笑) さらに
面倒や我慢は身になると分かっていても
やっぱり日々楽を探す
成長の成長が40才を前にすっかり止まってるのは この私です(爆)
受験生…
つい数年前 この間だったよねぇ(笑)
はるか昔を振り返り、懐かしい頃になると
無駄じゃなかったと思えるんだけど、実際の
体験中はしんどい方が勝ってしまうね
楽をする為であっても、色んなことを考えたり
妄想したりするのが後々案外役に立ったりする
から不思議よねぇ~
受験生・・・
ふた昔前とは思えませぬ。
ただ色んなことが思い出せず、年月の流れを感じちまっただ