最近乱雑さに拍車がかかった私のデスク回りを見て上司からデスク下ラックを買っていいよと
お許しが出た

こんなの↓↓

私は何故か荷物が多い

中でもだんとつに多いのは今までに参加した研修会の資料や書籍類。
データ化して紙は破棄すれば良いのだろうけど、なかなかその勇気が無い。
機械=壊れるものとしての認識が根本にあるのだろうか

最近は断舎離と言う言葉を良く耳にする
断捨離(だんしゃり)とは、物理的・精神的な意味で、自分にとって不要な対象を切り捨てて身軽になって、
シンプルなライフスタイルを目指すこと。
もともとは、外から不要なものが入ってこないようにアクセスを断つ「断行」、身の回りの不要なものを捨て去る「捨行」、
不要な執着から離れて精神的に自由である状況を生む「離行」というヨガの用語を元に、ヨガ・インストラクターをしていた
やましたひでこ氏が生み出したキーワードである。
無駄なものがないデスク回りはさっぱりとして気持ちが良いだろうし、私が不在な時にでも
他の人が分かるようにきちっと整理しておかなければならないとは思う。
でも資料のゴミ箱行きにはかなり抵抗がある。
資料には参加した時に感じたことや、補足事項など色んなことがメモってある。
直筆のメモにはその時の感情が表れていて後から見るとかなり面白い。
興味深いもの内容のものは話を聞くのに夢中なせいかメモがほとんどなく、感心が薄いテーマの時は
メモがぎっちり・・・。
眠らないようにとの予防策のようにも感じる

それにその資料を作成した人はきっと色んなことを調べて、時間を使って作ったのだと思うと
無下にはできない。
だって私が作ったやつも無下にして欲しくないもんね

一方、書籍類はプレゼン資料を作成する時に必要なことが多々ある。
そうなるとどちらも不要なものとは言い難い。
自分の頭の中に蓄積されたものを鵜呑みにできるほど私のメモリは完璧ではないから余計だ

ネットで色々検索ができる時代でも署名の無い情報は活用し難く、自分がちゃんと読み込んだ
書籍や署名入りの資料をベースにしたい。
調べ物は大体、自分のデスクのあの引き出しの資料のあの辺とか、あの本のこの辺などと
私のメモリとリンクしている。
たぶん私のメモリは内容を把握することより、答えがどこにあるかと言うヒントで埋まっているに
違いない。
私は人からデジタル人間だと思われているらしいが、資料は紙で読まないと頭に入らないし
鉛筆をこよなく愛し、暗記は手書きが一番と豪語する昭和人間なのだ

きっと頭より手が覚えているのでしょうね
