「ソーシャル・ストラクチュア」というのは、社会学・経済学・歴史学などで従来使用されてきた「社会構造」という用語とは少し意味が異なっている。すなわち後者(社会構造)では、例えば、17世紀のイギリスの社会構造とか、日本農村の社会旗構造などというように使われ、その時代、あるいはその社会の全体像、重なり合っている諸要素の仕組み、制度化された組み立てというような意味を持っている。これに対して社会人類学で言う「ソーシャル・ストラクチュア」というのは、ずっと抽象化された概念であって、一定の社会に内在する基本原理ともいうべきものである。(p19-20)
社会構造 = 法律や経済などの社会インフラ
ソーシャル・ストラクチュア = 伝統的・文化的価値観やエートス
社会人類学に於いては、この基本原理は常に個人と個人、個人と集団、また個人からなる集団と集団の関係を基盤として求められる。
この関係というものは、社会(あるいは文化)を構成する諸要素の中でも最も変わりにくい部分であり、また、経験的にもそうしたことが立証されるのである。(中略)
先生の学生に対する、また父親に対する子供のマナーとか、儀礼的なやり取りが簡略になってきたとか、敬語が乱れてきたとか、戦後の社会生活における変化がいろいろ指摘されようが、その変化mの代表選手のように見なされている若い人たち、例えば学生の間では今も上級生・下級生の根強い区別があり、BGの職場にはボスが出来ていたり、その他の分野においても、同一集団における、上下関係の意識はあらゆる面に顔を出している。(p21-22)
「資格」および「場」とは何か
一定の個人からなる社会集団の構成の要因を、極めて抽象的にとらえると、二つの異なる原理、『資格』と『場』が設定できる。すなわち、集団構成の第一条件が、それ(集団)を構成する個人の『資格』の共通性にあるものと『場』の共有にあるものである。
ここで資格と呼ぶものは、普通使われている意味よりずっと広く、社会的個人の一定の属性をあらわすものである。
例えば、氏・素性(血縁)といったように、生まれながらに個人に備わっている属性もあれば、学歴・地位、職業などのように、生後個人が獲得したものもある。また、経済的に見ると、資本家、労働者、労働者・地主・小作人などというものも、それぞれ資格の種類となり、また、老若男女といった一定の社会的(生物的差から生ずる)相違によるものまで、ここでいう資格(属性)の一つとして取り上げることができる。
このような一定の個人を他から区別しうる属性による基準のいずれかを使うことによって、集団が構成されている場合、「資格による」という。例えば特定の職業集団、一定の父系血縁集団、一つのカースト集団などがその例である。
これに対して、「場による」というのは、一定の地域とか、所属機関などのように、資格の相違を問わず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合を指す。例えば、××村の成員というように。産業界を例にとれば、旋盤工というのは資格であり、P社の社員というのは場による設定である。同様に、教授・事務員・学生というのはそれぞれ資格であり、R大学の者というのは場である。(p26-27)