下界の娘

毒親育ちだった。パニック障害になる。人や世の中の闇・真理までわかる。心の闇を・・吐き出してみる。【闇ブログ専用】

毒母は変わらない・・・阿頼耶識

2022-05-17 20:39:46 | 日記
母親と甥っ子に久しぶりに会った。
(パニック障害で出かけられないからうちに来た)

母親は歳はとったけれど
中身はなんにも変わっていなかった。

ふと甥っ子に話した事柄に、真っ先に母親が回答した。

頭にきた。
「〇〇に話しかけたのになんでママが答えるわけ?」って。

結局ずっとみんな家族は、母親の手の中にいることになる。
今の甥っ子は昔の自分を見ているみたいだけど

確実に違うのは甥っ子には決して怒らないことだ。
孫であること、男の子(異性)であること

そしてもう一つ。私がなんでママが答えるわけ?と言ったことで
あ、まずい、、しょんぼり、、、みたいな顔と態度をした。

私と2人しかいない場合、逆ギレして大げんかになるのに
甥っ子がいる手前、弱いおばあちゃんになる。
演じていた、私の目はごまかせない。

なんにも変わっていないんだ。
人は変われないんだ。


人の中に眠る、無意識下に阿頼耶識という部分がある。
(※医学的に、ということではなく仏教的な事らしいです。仏教以外でもこういう概念はあるのかとか何も知らないです。)

ここの部分を変えるのはとても難儀なのではないかと思う。
皆がダイエットをして気分が変わりいろんな意識が変わるとか部屋を綺麗にしたら気持ちも変わって周りも変わったとか、なにか問題を起こしてもう二度とやりません!自分は改心しました!とか言ったりそういうのは全部、実は表面的な部分なんだ。

人は根本的に変える事は出来ない。
だって根っこの部分に阿頼耶識があるから。


(ネットのを見ながら同じように適当に図を描きました)

死への恐怖

2022-05-14 16:50:55 | 日記
いつまで生きていられるか

突然死ぬかもしれない(パパの血をひいているから)

毎日それに怯えている

せめて、猫が生きている間は
側にいたい


生きることは、苦しく
病に冒されると、それも苦しく
老いていくことにも苦しく
死に対しても恐怖で苦しむ

世の中で起きていること
人間同士の付き合い、小競り合い、いじめ
事件、事故
お金
老後
少し先の未来のこと
気候

ペットたちや動物たちの悲しく、憤りを感じるような出来事・・・

いちいち苦しくなるようなことばかり。
人間はなんていらないものなんだろうと最後思い、
じゃあ自分だっていらないだろうと思い、
全てに絶望する。。。
死にたくなる気持ちは誰にでも起きる。
(でもまあ起きない人もいるのも確か。ある意味羨ましい)



歳をとってくると、どうせ老い先短いし、体力もないから自殺はしなくなると勝手に思っていたけれど、そうではなかった。
歳は関係ないみたいだ。自分の思い違いだった。
そして
自殺というのは、
案外、衝動的な、
あ、そうだアレ食べようとか、コンビニ行こうかな、みたいな毎日毎日強く思いつめて自己分析して遺書書いて準備してとかだけではない、
突発的なことが多いのかもしれないとも思った。
突発的と言っても、なにかしら普段から悩みや思うことはあった、という前提の突発的。
あと、あらゆるこういうニュースをみてとても体力がいる行為でもあると思った。(今回のことではなく)
よく鬱病からだんだんよくなりかけてきた時が危ないと聞くが、
鬱病真っ只中は、気力体力なく行動すら難しいから。
覚悟と、勇気だけじゃなく、そして虚無感、絶望だけじゃなく
強靭な体力も必要なのかなと思い始めていた。(体を鍛えている人が割と多い)
もちろん、人間関係で思いつめている場合は、どんな状態でも行動するかもしれない。

真実はもちろん、その人にしかわからない。
側に誰かいても、見張り続けない限り、防ぐ事が出来ないのもわかった。
見張り続けることもまたとても難しい。
きっと側にいた人は自分を責めるかもしれないけれどとても難しい。
結局、その人にしかわからないことで、その人本人にしか、決して止める事はできない。


とにかく、
悲しい。

私の好きな芸人のひとりだったので。
昔から藤井隆と上島竜平と出川哲朗は芸人としてというか
人として自分には備わっていない何かを持っている人たちなので
やっぱり今回の
上島竜平さんのことがとてもショックです。

側にいた奥さまが一番、ショックを受けているだろうと思う。
止められなかった。
助けられなかった。
ひとりになってしまった。

奥さまが悲しむことも考えられないくらいだったのだろうか・・・
やっぱり真実はわからないけれど。

私は父が
突然死だったから
同じ血が流れる身として明日、明後日、死ぬかもしれないという
死に対して病気に対してとてつもない恐怖を持っている。
だからパニック障害になり
そしてパニック障害が治らない。

本当は、この世が一番恐ろしく、人間が一番恐ろしいのに
いまこの瞬間、死ぬのは嫌だと思い続けて生きている。

でも身体が虚弱体質過ぎるせいで、少し諦めている部分もある。

だからせめてあと猫が生きている間だけ。。。


生きている人間に託された事は

故人を忘れてはいけない、という事。

(そういう意味では、有名人や偉人はずっと残るし語り続けられるから
有名になりたい、この世になにか残したいというのはある意味本能なのかもしれない。)

父を忘れた事はないつもりでも
うっかり忘れて過ごしている時間の自分に、頭にくることもある。
亡くなった直後の数年、十数年、もうなにかに心から楽しむことは出来なくなり、楽しむことは許されないとも思い、
それでもご飯を食べ、時にお出掛けなんてしちゃっている自分に罪悪感でいっぱいになった。

今はパニック障害でひどく苦しんでいるけれど
父への悲しみは、23年経って当時よりは本当に少しだけ弱くなった。
それは時がだいぶ流れている事と、自分が20歳ではなくだんだん死に近づいた年齢になってきている事と、当時よりもより一層この世に絶望している事、など。
でも忘れてはいない。
前の猫のことも忘れていない。

忘れ去られる事はとても悲しい。
悲しいという気持ちは故人には起きないことだけれど。
ずっと忘れないで思い出すことが故人が生きていた証になる。
アホだからうまく説明できないんだけど。


いまパニック障害で、死に対して怯えて過ごしている自分に
必要なのはなにかをただずっと考えてる。
もうずっと前から考えているけれど。
いい意味で死に対して怖くなくなればいいのかもしれない。

案外、自分は煩悩だらけなんだよね、それがいけないんだよね、たぶん。


〇死は何ら恐ろしいものではない。むしろ死は恐ろしいという死についての考え、それが恐ろしいものなのだ。
エピクテトス


(イラストは本文の内容とは関係ありません、ただの落書きです)