カナダでのんびりらいふ

毎日のこと。感じること。

2年前の今頃 その3

2006-05-29 | 感じること
混合授乳をやめたことによって、またすぬたが丸3ヶ月となって、落ち着いてきたこともあってか、外出もしやすくなってきた。地域でやっている「ベビーマッサージ」のクラスにも参加した。このクラスは、残念ながら先生がまだ初心者の人で満足なクラスではなかったが、ここで知り合ったママとプレイグループを作ることになった。

このママさんのご近所繋がりで当初5人が集まり、その後少し月齢が離れた2人が参加し、7人となったが、この5人のうち母乳育児に成功しているのは、一人だけであった。3人までが私と同い年、マッサージクラスのママは40歳。もう一人も30過ぎといういわば同年代で、それぞれキャリアを持つ人たち。みんな母乳で育てようとがんばったが、それぞれの理由で断念せざるをえなかったとのこと、その鬱憤をそれぞれが一気に晴らしていった。私だけじゃなかったんだなぁ。

このグループは、それぞれが産休1年を終えて仕事に戻ってもシフト勤務やパートタイム勤務の人たちが集まって週1回の集まりがまだずっと続いている。また7人中4人までが2人目を出産し、また産休に入ってる。私たちも週末で集まるときに参加させてもらってまだ交流が続いている。普段はメールで連絡を取り合って近況報告したり、相談事したりのありがたいグループだ。

できれば母乳育児が一番だと今でも思っているが、粉ミルクで育っても何ら問題ないと断言できる。それぞれ一長一短あるわけで、粉ミルクならではのラクもさせてもらった。例えば断乳しかり、夜中の授乳しかり、夫に預けての外出もしかり、おまけにカナダの場合、粉ミルクの作り置きが可能なので、日本で子育てした人が思うよりもラクさせてもらった。

出ない母乳での混合は本当に大変であったとつくづく思う。でも自分の意志でどこまでやるか決めれたことで、未練はあったものの納得できた。やるだけやったことは、きっとすぬたにも通じているし、これがいい選択だったのだと心から思える。

そうは言いながらも後々いろいろな方のサイトで愚痴ってきた私。息子も2歳になったわけで、さすがにもう離乳食が進んできたあたりから母乳かミルクかなんてことは全く視野から外れており、そのときそのときの新しい育児のステップについていくことに一生懸命でやってきた。それでも今回みたいにふと思い出したとき、あのときの自分はよくがんばったなぁ、と肩をたたいてあげたい気持ちにかられるのだ。

そんなこんなで長文お付き合いいただいて、ありがとうございました。






2年前の今頃 その2

2006-05-28 | 感じること
母乳が出ない人もいる、ということは知識として知ってはいたが、まさかそれが私だとは思ってもみなかった。ただ漠然と吸わせていれば出るようになる、くらいにしか思っていなかったのだから、いかに母乳について何も知らなかったかがよくわかる。だから、どうも出ていないらしい、と気づいたときはうろたえた。

ありがたいことにこれまで病気らしい病気もしたことがなく、はずかしながら、大きな壁にぶちあたったこともない。がんばったら、がんばったなりの成果が出、中途半端だったら、それなりに、そして、努力しなかった結果は、自分で受け止めてきた、これまでの人生だった。ところが、母乳育児というのは、どうがんばっても自分ではなんともできないことであったから、大きな挫折感を味わうことになった。

周りの人にできて、なぜ私にはできないのだろう、とも思ったし、最初の頃はもっと「がんばらねば」とも思った。まあ後から思えばそのストレスが出ない母乳に追い討ちをかけていたのだろう。

子育てというものは、自分の思い通りにならないことの連続なのであろうから、早い時期にそれを身をもって体験させてもらったのは、それはそれでありがたいことだったと思う。

ということで迎えたきっかり3ヶ月目。その日、いつも通り40分くらい吸わせた後、好きなだけ粉ミルクを飲ませることにした。念のために多めに200ml作った。そしたら、ごくごくごくごくおもしろいように飲む。一気に200を平らげたときは、ああ、これまでお腹すかせてたんだなぁ、としみじみ思った。

それから1ヶ月ほど、先に母乳を吸わせはするものの、粉ミルク主体で授乳をしたらみるみるうちに体重が増えてきた。5~7日に一度という排便が毎日一回となりった。授乳回数も一回減ったし、なんといっても夜中の授乳が必要なくなったのだ。最初の2週間は夜通し眠ってくれたし、その後夜中に起きるようになっても授乳しなくとも背中をトントンするだけですぐに眠りについてくれた。これはありがたい。私の体力も気力もずいぶん回復したように思う。

それからも母乳は未練がましくあげ続けていた。というより、どうやってやめればいいのかわからなかったので(やめ方の体験談はネット上では探しきれなかった。みんな変更したという記述のみなんで)、だらだらやっていたある日。いつもはこちらが口を外してやるまで吸い続けているすぬたが、ぱくっと自ら口を外し私の顔をじっとみつめる。すぬたは、母乳で満足したことがないため、自分から口を外すことは絶対ないので、おかしいなぁ、と思いつつ、反対の乳をやったら1分ほどで同じ結果に。。その目は「おっぱい、出てへんでぇ、かあちゃん」と言ってるようだった。そういうふうに私は解釈した。初めて自ら口を外したこのときを潮時としよう。そう思って、それから一切母乳をやらなかった。すぬたは、自分で悟ったことだからか、全くおっぱいに執着はなかった。赤ちゃんが自らやめるのを待つのを卒乳、親がやめる日を決めることを断乳と呼ぶらしいが、全く見事な卒乳であった。

長文すみません。次回につづきます。


2年前の今頃 その1

2006-05-27 | 感じること
2年前の今頃、どんな生活してたのだろう、とふと考えた。

3月にすぬたが産まれてもうすぐ3ヶ月という頃。私の母乳の出が悪かったので、ずっと混合授乳(母乳中心ながら、粉ミルクで足りない分を足すこと)をやってたが、とりあえず3ヶ月までがんばろう、と思いながら、1時間かけての授乳、その後1時間開けてまた次の授乳というなかば、2時間単位のマンネリな生活を送っていたように思う。

この授乳体制の悲しいところは、外出がゆっくりできないということである。できて近所のお散歩か、すぬたはすぬ夫に見てもらってちょっとした買い物に出かけるか程度だった。いったん授乳を始めるとその場から1時間動けないのであるから、外出先の無理な姿勢で授乳するより家に帰ってやろう、という気持ちだった。4月のイースターでは、義母宅で初めて授乳をしたが、せまい義母宅で目のやり場に困るおじさん方を思いやって、私たちは2階に移動したが、あの孤独感は今でも忘れない。

それに50分ほど吸い付かれているとエネルギーは消耗し、中一時間では思うように食事を作ったり食べたりする時間もない。おまけにすぬたは寝ない子であった。赤ちゃんが寝ているときにいっしょにお昼寝などしたことなかった。どうせ続けて30分寝ればいいところだし、その間にすることは山ほどあるのだ。おまけに泣く子だったので、あやしていれば自分の時間などすぐなくなる。

今から思えば、混合授乳も他にやりようがあったようにも思うが、私はかたくなに訪問看護婦の言いつけを守って母乳の後60mlの粉ミルクを与えていた。一日に一回粉ミルクだけの授乳というやり方だったならば、ひょっとしたら私の体も少しはラクだったかもなぁ、とも思う。でも頻繁にあげなければ出なくなるということを恐れていたからそれはそれで自分の選択に納得せねばならない。

幸い10時過ぎの授乳を終えたらあとは夜中に一回授乳するだけで寝てくれたので、参考になるサイトを片っ端から調べた。軌道に乗るまで3ヶ月はかかる、と。頻回授乳で吸わせていれば出るようになる、と、もう少しがんばって、と。

これまで一生懸命がんばってきた私に、この「がんばって」はつらかった。体力気力限界の中、これ以上何をどうがんばればいいのだろう。和食中心で食事に気をつけるようにとも書いてあったが、これは最低限できるだけのことしかできなかった。時間的に物理的にできないのだ。1ヶ月目から母乳が出るようになるというハーブのサプリメントを2種類、20錠くらい飲んではいたけれど、大きな変化はなし。

2ヶ月でもう粉ミルク中心にしようかとも思ったけど、あと1ヶ月やってみることにしたのだ。そう、2年前の今頃は、外の春景色も知らずに3ヶ月を心待ちにしていたのだった。


最近のすぬた 2歳3ヶ月

2006-05-26 | 息子のこと
先週末のこと。

いつも家の大工仕事をお願いしているジョージおじさんが大きな病気をした後のリハビリをかねて、うちの花壇にお花を植える手伝いを申し出てくれました。

すぬたはジョージおじさんが大好き!今日はジョージおじさんが来ているというのが窓越しにわかると、そそくさとお外に出る準備。それで小さいシャベルを持たせて庭に出ると、すぬたも早速パンジーを植えるお手伝いを始めました。

すぐに飽きてほっぽり出すかと思いきや、結構長い間一生懸命土を掘り起こそうとしたり、お花をジョージおじさんに渡したりとなんかお手伝いしているのです。、普段はいつ庭から走って歩道や道路にでるかわからないし、途中でほっぽり出すことにもなりかねないと、すぬたと庭仕事なんてほとんどしたことなかったのですが、そういえば、少し前からこういうこともできるようになってたみたいです。芝生の上の落ち葉かきをしていても拾ってゴミ箱に棄てたりやってたもんな。

ということで、水遣りをやらせることにしました。おもちゃのじょろを持って鉢植えに「どぼどぼ~っ」と水をやってます。ちょっと満杯に汲みすぎたときは、ぼとぼと足元にこぼしながら花壇まで歩いてるんで、必ず靴とズボンがぬれますが、結構はまってるようです。小さめの普通のじょろのほうが機能的かな、とも思うこのごろ。

この庭仕事に関連して、最近姉が送ってくれた「こどものとも年少版・ちいさなはたけ」という本をよく読みます。

同時に名作「おおきなかぶ」も最近初めて読んでみました。どうかな。。まだ早いかな、と思いながら読みましたが、3回目くらいで「うんとこどっこいしょ」を一部だけ「。。とこ。。っしょ」くらい一緒に言うようになりました。この本が大好きだった甥っ子のしょーちゃんには、幼稚園の遠足で、大きな切り株をみつけ、お友達や園長先生まで巻き込んで「うんとこどっこいしょ」と言いながらみんなで連なって切り株を抜こうとしたエピソードがあります。こういう素直な心が育っていることがすばらしいなぁ、とそのときつくづく思ったので、すぬたもこの本が好きになってほしい、と思い購入していたのでした。

今は、主にお風呂のあと、寝るまでの間にだいたい30分くらい本を読みます。今日は、すぬ夫と交替で一時間読んだな。なかなか寝たくないのか、本が好きでたまらないのか「ぶっく~?」と言いながら本を探し、だいたい本のタイトルを言いながら、わたしに渡します。ベッド脇においてる20冊近くの本、ほぼ全部タイトル覚えてるのには感心します。

ちなみに福音館書店の「こどものとも」という月刊誌は、船便で海外発送もやってくれるので、割りに安価で毎月本が入手できます。本を送るのは送料が高くつきますが、こどものともの年少版は、薄っぺらい冊子のようなので送料も安いし。。今読んでる本も福音館のが多いので、こどものとも、頼んでみようかとも思ってる昨今であります。

最近、「これ、なぁ~に?」という質問が始まりました。今までも「これ」「なに」は言ってましたが、こうやって改まって聞かれると正式にお答えせねば!という気になってきます。女の子を指差して「これ、なぁ~に?」と聞かれると単に女の子、とだけ答えて、彼の疑問を満足させてやってるのかと不安になり、あれこれ付け足してしまい、はては、オチはつけなくていいのかな、などと心配しております。しかし、返答に困るものとかあるんだなぁ、すでに。「これ、なぁに?」で戸惑っておれば「どうして」攻撃が始まったらどうすればいいのでしょう(笑)

なんだか、とりとめなくなってきたので、また思いついたら書きます


子ども連れ、飛行機対策

2006-05-22 | 2006年日本里帰り話
里帰りから帰ってきてずいぶんになりますが、まだまだネタはあります(笑)。

長時間子ども連れで飛行機に乗るときに頭を悩ますのが、飛行機でご機嫌に過ごしてくれるかどうか。2歳前ということもあり、まだすぬたの席は取っていません。飛行機での対策には年齢によってうまく行くことと行かないことがあると思いますので、あくまで2歳前のすぬたの場合、として以下参考になればいいかと思い、書いておきます。

余談ですが、某カナダ発行日系の新聞に1歳児さんの飛行機対策のアドバイスのようなものが掲載されていたのですが、そのうちの3つまでが私ならやらないこと、すぬたには合わないだろうことでした。一つは、暇だから頻繁にオムツを換えに行く、というものでしたが、これは絶対おすすめしません。むしろ逆です。長いフライトの間に万が一下痢でも起こしたらどうするのでしょう。オムツは大変貴重です(笑)また、周りに同年代の子がいないか探しに出かけ、早々に友達になろう、というもの。。そんな自分の席以外に楽しいことがあるとわざわざ教えることはないと私は思います。回りのお客さんの迷惑にもなるんじゃないかな。だからあまり私の記事含めて個人の体験というのは鵜呑みにしないほうがいいのかな、とも思います(爆)あくまで参考程度に。。

今回、往きは、朝6時発の飛行機で出発、計2回乗り換えで、西海岸の休憩地(3泊)には私の地元時間で到着は午後8時くらいか。希望の飛行機会社ではそういうルートしか取れなかったせいではありますが、アメリカ大陸は広い。。

結果的にこの細切れ移動は、すぬたのスケジュールにうまく対応したと思います。朝の活動時間に、ボストン空港内の遊び場で思いっきり遊んで、その後ランチをしてからゲートへ。次のフライトが安定飛行をしだしたころ、お昼寝の時間。2時間ほど寝てまた空港内で走り回る。食事してフライト。。だから必ずしも乗り継ぎ便がしんどいわけではない、と思いました。

それにしても往きも帰りもずっと普通の席(スクリーン前の足元の広い席をリクエストはしましたが、もっと小さい子に優先されるとのこと)、またずっと満席で、席に全くの余裕はありませんでした。こんな狭いところでよくぞまあおとなしくしていてくれました。スクリーンの前の席は肘掛が上がらないが、普通の席で肘掛が上がり、私とすぬ夫の間でうまく姿勢を調整して眠ってくれました。足元の余裕はないが、肘掛があがるとスペースが広がる。また走り回っていいところではない、ということがわかってるのか、全然歩かせろということもなく、トイレ行くときもずっと抱っこ。何度か暇つぶしにトイレに行き、トイレで手洗いの水を出したり、栓を抜いたり、遊ばせてもらった。もちろん、これは混み合ってるときは避け、ほどほどにはしなければならない。

機内誌も十分な遊び、もといひまつぶしになった。これは、例の日系の新聞で薦められていたことの全く逆です。シートの前のポケットの機内誌などはすぐに片付けて、必要なおもちゃなどを入れてしまえ、ということでした。どうせ、ポケットなどいろいろ入れる余裕などないので、楽しんでしまおう、というのが私たちでした。今度の機内誌はカタログになっていて、時計に動物に船に車に飛行機に、すぬたの好きなものが満載であった。ここで、相撲という言葉を覚えたのは以前ご紹介したとおり。

数日前からお気に入りのおもちゃを隠して、機内で出す、という技はすぬたにはあまり効果はなかった。というより車などのお気に入りのものは大きすぎて持ってこれなかったが、大いに役に立ったのがポータブルDVDプレイヤーであった。普段あまり見ていなかったしまじろうのDVDと新しく買ったベビーアインシュタインにずいぶん救われた。私たちが25分ずつ休憩時間を取ることができた(笑)。乗り継ぎ空港のレストランで料理が来る間に見せてたら、隣の人からこりゃいいアイデアだね!と感心されました。

それから、電車やトラックのスティッカーブック(何度も貼ったりはがしたりできるもの)は、長い時間遊んでくれました。飛行機が好きなので、飛行機の本とおもちゃも持って行って気分を盛り上げました。

すぬ夫は、出張で飛行機をよく利用しますが、離着陸時の耳が痛くなる対策をしてない親をよく見かける、といいます。つい先日など、離陸後大泣きし始めてただなだめるだけで何もせず、あまりにひどく泣くのでついには親が切れて「Stop it!!」などと子どもに言い始めたらしく(笑)。よく、離着陸時に乳児にはおっぱいを飲ませ、大きい子は飴玉をなめさせろと聞きますが、幼児に飴は無理です。私たちが医者に確認したとき、とにかく「ごっくん」させれば耳抜きの助けになるのだと。。赤ちゃんせんべい、クッキー、ジュース、などなんでもいいのだということです。よってこういうちょっとしたお菓子や飲み物の類は多めに用意します。普段甘いものを控えておられるおうちでも、ちょっとくらい多目にみる価値はあります。また食べ物については、機内食が口に合わない場合もあるので、そのへんも考慮して機内に食べ物を持ち込むことをおすすめします。うちは、マフィンと保冷剤を詰めたランチバックにアップルソースとヨーグルトを持っていきました。

最近、カナダ人のママ友が何人も2歳間際の子どもと飛行機に乗るのは大変だわ、と言ってます。膝に座っててくれないのだ、と。。そう聞くと、すぬたは大変にお利口さんにしていてくれたのだなぁ、とつくづく思うのであります。

最後に。西海岸から東京まで13時間くらいでしたっけ(もう忘れた・汗)一番長時間のフライト中、そりゃ寝てくれたらラクですが、例え細切れにしか寝てくれなかったとしても、悲観的になることはないです。日本に到着後、夜すぐ寝てくれます。時差ボケ解消が早かったような気がします。

すぬたの場合。。でした。