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うつ病になる運命

うつになる前、なってから自分の変化、周りの変化など思ったことを書きたいと思います。

親子の愛

2007年05月17日 16時32分06秒 | ガラスのこころ
私が、交通事故に遭った時のことがよみがえってきたので
ここでちょっと書きたいと思います。

救急車で運ばれ検査を受けた後、特別なお部屋に彼と入れられました。
私は痛すぎて言葉が出ませんでした。

その後、母がかけつけてきて一晩ともにしたのですが、
お互い何も言わず泣いていました。

その後、なぜ泣いたのかなんてことの話はなかったけど
これが親子なんだなぁと思います。

その後、彼氏は軽症で済んだので3日の入院で退院して行きました。
あまり見舞いにも来なかった彼氏。最悪です。

ほとりさんのブログの子供さんを愛しているというのを見て
蘇ってきた話でした。

ちなみに、私そこの病院で40日寝たきりだったんですが
母はその日からずっと私につききりの看病をしてくれました。
冬だったにもかかわらず、地べたに寝させたのは今考えても
泣けてきます。
このことで20数年間の愛情の証を見せ付けられた気がします。

私は子供がいないけど、やはり子供は親にとって分身みたいなものだと思います。

私が小さい頃、私をほったらかしにしたり、かばってくれなかったり
ひどいことをしたことずっと憎んで恨んでた。
でも母が弟に手がかかったのと、父親のことで
かなりイライラしてて私に当たっていたのは今なら想像はつきます。

母が私と弟が小さい時、ノイローゼになりそうだったともらしてたから。

その精神状態で私に愛を与えることはおそらく無理だったのでしょう。

でも今考えて、私が一番愛を欲しているのは母親なんだと思います。
もしかしたら、この病気も母が少し変わってくれることで
何かきっかけが出来るような気がしている今日この頃です。

この怒りをどこへもっていったら?

2007年05月10日 19時04分54秒 | ガラスのこころ
今日の2時過ぎに小学校からずっと仲良くしている親友から電話があった。

私の家の近くにある水を取るところ(無料)までの道がわからないと言うような内容。

「場所がわかりづらいし、私も入れに行く予定だからすぐ行こうか?」と言うと
「ごめん、すみれちゃんと会う時間ない。これから別の友達とあうかもしれないから。」と言われ
「とにかくまっすぐね!!」と言ってそそくさと切られてしまった。

切った後、ぼーぜんとしてしまった。

ただの道案内ですけど・・・。私も行く予定なんですけども。

前々から今週は用事があるから会えるのは来週と彼女が言っていたから、
別に話するつもりはない。
私と会ったら、話しなければいけないと思ったのだろうか?

でも「あなたとは会う時間ない」という言葉を発せられるというのはどうなんだろう?この言葉に異常反応。今まで初めて彼女にむかついた。
私だったら考えも及ばないこの言葉。
言葉っておそろしい。

事実ショックで涙が止まんない・・・。

私がもしその言葉を発するならば、大嫌いな男性にしつこくされた時かな、
なんて考えた。それでもこういう言葉使うかな??
私にはやっぱないこのキーワード。

考えてみれば、大人になってからというもの私はいつも彼女に予定を合わせていた。そういうオーラをだせる子なのかもしれない。

でも彼女のこの日じゃないと会えないみたいな言い方されると
私はいやおうなしに予定を合わせるしかなかった。

そんなこんなでいろいろ考えていると昔のことが蘇ってきた。

もう彼女に合わせるのはよそう。
自分が傷つくだけのような気がする。

こんなことで泣いてる私ってやっぱ子供かなぁ。
電話を切った後、怒りがこみ上げてきたのでたくさんの薬を飲んで
しばらく横になった。

結局、今日は何もやる気がおきず、水汲みは行くのやめた。

愛されること

2007年04月23日 18時49分25秒 | ガラスのこころ
私は人から愛されることの実感がわかない。

高校の時、彼氏から「こんなに大好きなのにわからない?」と聞かれ、
即答で「わからない」と答えた。

いや、確かに相手のモーレツぶりは私にも良くわかったのだが、
どうなったら愛されているといえるのかが全くわからなかった。

それから何人かと付き合うも、やはり分からないまま・・・。

そして、今現在もこの「愛される」ということがなんなのか全くわからない。

別にうつだからわからないとかではない。

そして、夫から言われた。愛されることの実感がないんやろ?
そう・・・。あなたは、なぜわかる??

私は今まで悲しいかな1度も「あぁ、この人から愛されているんだなぁ」と実感したことがない。もちろん、自分も大嫌い。

これも夫から言われたことだけど、小さい頃に親から愛されていると思ったことないよね、だからだよ。夫には親のこととか話してたから・・・。
あぁ、なるほどね。

ずっと自分でもなぜだかわからなかった。
相手は必死で私にわかってもらおうと努力する。そして、その努力もむなしく
みんな散っていった。
結局、いつも私は振られるのだ。

私は小さい頃に母親からも、父親からも「大事だよ、愛してるよ」と
抱きしめられたこともなければ、温かい団欒もなかった。
弟がひきつけを起こすので、私はいつもほったらかし状態だった。

母親は私が手がかからなくていいと思っていたようだが、実際寂しかったし、
いい子でいようといつも一人でいることが多かった。甘えようにも出来ないし、
なんか変に大人ぶった子供だった気がする。
今考えると怖いけど、裏山に一人で行って絵を描いたりして遊んでいた。

うちの母は外の子にはすごくやさしいのだが、自分の子には手厳しい。
なので、いつも友達や、いとこ達からうらやましがられた。
私はそのギャップに耐え切れず、いつのまにか母親を憎むようになっていった。

父親はきちがいで、私がキッチンに入ろうとするとほうきでたたく。
何もしていないのになんで?いつも泣きながらトイレへ逃げ込む。
しかし、母親は知らんぷり。

こんな毎日が小学校、中学校に繰り返され、私はついに人から愛されることを
知らずに大人になってしまった。
唯一、見方になってくれた祖母も早くに亡くなり、私の心は空洞に。

どうしたら、愛されているって実感できるようになるのか知りたい。

子供は抱きしめて育てるもの。ずっと私が思ってきたこと。

もうほとほと疲れました・・・

2007年03月27日 12時56分46秒 | ガラスのこころ
夫と別れようと本気で思った。

もう夫と喧嘩ばかりして、それも理不尽なことばかり言われて
叩かれて。もう限界だと思った。

彼は私がうつになった時のことを知っているのでもっと理解があると思っていた。

彼と出会ったのはまだ私が仕事をしていて帰りがいつも遅く、電話でしか
あまり話すことができなかった。なので、電話を何時間もして睡眠が
かなり削られて辛かったのを思い出す。
実は出会って半年もたたないうち私はうつ病を発症した。

彼は私になんかもったいないほどの人だといつも思っていたし、
頭脳は天才だし、元モデル。口もたつ。昔から随分もてていたそうだ。

昔の写真を見てみると、学年に1人かっこいい人がいるよね、ってなタイプ。
私にはとうてい縁もゆかりもないことはすぐにわかる。

だからずっとなんで私と付き合うことになったのか不思議でならなかった。

しかし結婚したら随分と口調やら、男尊女卑的な言葉を発してくる。

お前はなんのために結婚したの?(俺の世話をする為やろ?)
なんにもしないなら結婚せんかったらよかったやん。
お前は女としての魅力が全く無い!
俺の言うことを聞いておけばそれでいい、口答えするな。
あと、実家に帰るのは盆暮れ正月だけ、帰る必要がない。
部屋が汚い、食事もちゃんとしたの食べたことがない。
家のこと全部ちゃんとせんか!普通の主婦はちゃんとしてる。
全部したくないからと言ってうつのせいにするな。
俺はお金を入れているんだから何もする必要がない。

この言葉を何度も聞かされた。

私はあなたのお母さんじゃない。家政婦でもなんでもない。

彼にはすごいプライドがある。そしてなにもかも私のせいにする。
エリートに多い症状らしい。

もう私が何を話しても、無駄だということがわかった。
何日か前、髪の毛をつかまれて投げ飛ばされた。

お前と別れるときは死ぬ時だ、と言われた。

死にたい、死にさえすれば彼は私を解放してくれるんだから。
だからベランダへ行った。その時髪の毛をつかまれたのだ。ずっと頭が腫れていた。ずっとずっと泣いていた。

私はなんでこんな人と結婚したんだろう?
少しでもうつを理解してくれていると思ったから・・・?
でも違った。

結婚したらもっといろいろしてくれると思っていたと言われた。

結婚してうつが無くなるならば誰でも結婚するだろう。
どんなに言われようが、したくても出来ない。

私にも理想があった。結婚したら、こうしてああしてと小さい頃から
夢もあった。しかし理想と現実はあまりにも違う。
彼にも申し訳ないと思っている。

ここまでののしられてただただうつむいているなんてもう嫌だ。
結婚生活の中でお箸を持ってきて欲しいと言った事が許せなかったらしく
俺にそんなことさせるな、と言われた時は何かがプチ-ンとはじけた。

ここ何日もぶつかって殴りあいの喧嘩までしたけどやはりもう
私のことを理解するのは無理だと思う。

しばらく休戦です・・・。



誰にもわかってもらえない

2007年01月29日 01時07分11秒 | ガラスのこころ
うつになる少し前から、私は両親と一緒に暮らしていない。

だから私が「うつになった、具合が悪い」と言っても彼らはどこが悪いのか、なんでそういうふうになったのか全くわからない。

まず、うつの病気がどういうものであるのかがわかってない。
そりゃそうだろう。

私もこんな病気になって初めて「うつ病」と言う病気のことを知ったくらいだから。そのころ今よりもうつ病をマスコミで取り上げてくれることも無く・・・。

私の親友がある日こんなことを言ってきた。

彼女「すみれちゃん、聞いて!私の友達が同窓会(うちわ)の幹事なんだけど、そのことで電話かけると、メールにしてって言われたんよ。」

私 「ふーん。」

彼女「でもいろいろ打ち合わせがあるから電話かけると、もう電話してこないで!って言うんよ、それってなくない?私は親切心でやってるのに。」

私 「なんで、電話してこないでっていうの?」

彼女「わからん、そこがなぞなんよ。あまりに連絡がないから何度も電話したからかねぇ?幹事ができんなら、私がするって言ったんだけど・・・?」

それから私はその人、うつじゃないかな?とピンときた。

で、彼女にいろいろ友達のことを尋ねてみると案の定、体調が悪いと言っていたとか、会社でのストレスがひどいとのこと。

それは完全に精神が参ってるじゃん。私は彼女に友達は疲れてうつ状態かもしれないから、電話はしないほうがいいよ、とアドバイスした。

しかし、彼女はどうもこうも納得がいかないふうで「電話をしてくるな」と言われたことにすごくご立腹のようだった。

でもね・・・、うつ病だとしたら電話ってかなりストレス、ストレス、いやそれどころか恐怖以外なにものでもない。

私は彼女に何度もその友達の心理(本当はわからないけど)を言ったがやはりわかってはいなかった。

そうなんだ。結局、なんでもそうだけど目に見えない病気になると誰もわかってくれない。もし、手足が無くなったり誰でも目で見てわかる病気ならば「この人悪いんだ」ってわかる。

しかし、彼女は私がうつ病であると知っているにもかかわらず、彼女の友達が言った一言にすごく腹をたてて訴えている。ごめんけど、私も電話攻撃されたらその友達のように言うかもしれないよ・・・。

うつの初期はとにかく外部との遮断で身を守る。いや、勝手に体が外部との交流を拒否してしまう。はっきり言って自分の本当の意思じゃない。

さっきも書いたように「うつ病」は精神の病気(脳みその病気)だから、誰もわかりゃしない。

去年までそのことが私自身、正直わからなかった。

「なぜ、わかってくれないの?こんなにきついって言ってるのに!」
と相手に自分を理解してくれと懇願していた。わかってくれない相手にイライラしてみたり。

今年になって今までのことを振り返り考えると、人間どんな病気でも自分がならないとわからないのだということがわかった。(ちょっと遅すぎ)

「わかってもらえない」じゃなく、逆立ちしようとも「わからない」のだ。

憎しみがあるから・・・

2007年01月27日 22時25分27秒 | ガラスのこころ
最近、睡眠障害がひどく、朝9時ごろまで眠れずにいた。

そこで、1人ぽっちになるわけである。

そんな時間は結構辛い。テレビとかネットとかそういうものをする気分にもならず、もんもんと過去を振り返る。

小さい頃のこと、大きくなってからのこと。

私は、心の中に大きな塊を持っている。

そう、憎しみ・・・。

幼児期の憎しみは大きくなっても消えない。他人にはそんなことばかばかしいと思うかもしれない。

今の今でさえ、私は両親を許すことができはしない。

この憎しみこそが私のうつの根本にあるように思う。

苦しみ、憎しみはその時から止まってしまっている。

事実、私は仕事を辞めた時のまんま時が止まっている。

もう5~6年年もたつのに私は仕事を辞めた時のあのなんともいえない気分で一杯。
しかも、その時の憎しみが消えず、人の関係も止まっている。

でも考えてみると、今、仕事をしている人にとって私のことなんて忘れている。

私だけが時がとまったまんま。

うつを治すには、たぶんこの考え方を変えなければいけないのだろうか?と最近思っている。憎しみは何も生まないことはわかっている。

しかし、憎しみは消えない。

例えば、小さい頃いじめられた経験を持つ者にとって、この憎しみがずっと消えないのと同じなのではなかろうか?いじめた者はいじめられた人に何十年も憎まれながら生きていくのだと言うことを覚えておいてほしい。

今このようにうつになってしまったことは、自分のこのあふれでる憎しみからくるものだと痛感している。

根深い痛み

2006年11月08日 18時13分15秒 | ガラスのこころ
最近、外部のものと接触がなく、夫としかしゃべってない。

この前、お医者さんとはしゃべったけど、あれはしゃべったうちに入らない。

だんだん自分の視野が狭くなってきている気がする。

誰かとしゃべりたい、と思う日はくるのだろうか?

最近、親しかった友人にさえ、会いたくないし、しゃべりたくもない。

ここ1、2年くらいになろうか、両親としゃべると具合が一層体調が悪くなる。

これは私の小さい頃からの両親との確執があってのことなのだ。すごくうつになる。もう、気持ちが下がって下がって立ち直れないくらいになる。

本当にそれは深刻で、横で見ている夫が動揺するくらい落ち込む。

しかし、子供の頃のこと、大きくなってからのこととかもう忘れるように、と夫から言われてもどうしても心の傷が癒えない。人からみると甘えている、子供のようだと思われることなのかもしれない。

この前、夫が見かねて「用事がある時は自分にかけてください」とうちの両親に頼んだのに、のどもと過ぎると、依然として私の携帯にかけてくる。

両親のことはどうしても許せない。

おもらしばあさん

2006年10月18日 02時04分26秒 | ガラスのこころ
私は小さい頃からとても傷つきやすい子供だった。

小学6年の頃、母親に連れられて「サロンドなんとか?」というマダム達が行くような高い美容室に行った。そこで、どういういきさつだか覚えてないのだけど、髪を信じられないくらい短く切られてしまった。

これは、まさしくモンチッチ・・・。

なんか母親にも腹が立つやら、サロンドにも腹が立つやらで、泣きながら帰った。私の黒髪を返して、と心底思ったけど、もうどうにもならない。

なぜそこに連れられて行かれたかというと、親戚の結婚式に行くため。

で、結婚式の前に私は祖母の家に泊まったのだけど、そこで大阪から来た全く知らないおばあさんと会う。大阪の親戚と共にやってきた。

そして私がこたつでうたた寝をしている時に、大阪のいとこに「あの子、男?女?どっちかわからへんな。」などと言っていた。いとこは大笑い。この2人信じられない。

私はショックでコタツ布団をかぶり泣くしかなかった。母がサロンドなんとかに連れて行ったショックもあいまって、かなりのダメージをうけた。また心にキズがはいってしまった。小学生の多感な子供にこれは結構きつかった。

確かに見た目はモンチッチである。しかし、そんなこと言わなくてもいいじゃない。まぁ、疑問に感じたのはわかるけど。

しかし、あのおばあさんは平気でおもらしとかしていたので、今はもうこの世にはいないだろう。その時、母達はみんなで、彼女のおしもの世話をしていが・・・。私はあまりにも悔しかったので、母に「あのばあちゃん、くさい」と小声で言ったけど。今考えると、やっぱそれは言ってはいけなかったと思う。

ロッテンマイヤーさん2

2006年10月09日 07時59分50秒 | ガラスのこころ
私は幼稚園からオルガンを習っていたのだが、ちょうどその日に限って例のまりこちゃんが居残りをさせられてしまった。

今日は、予定があるからロッテンマイヤーに言って送るの無しにしてもらおう。
オルガン教室は前通っていた幼稚園の講堂で行われていた為、結構遠いし、始まりの時間も早い。

「あの、今日はオルガンの日なので時間がないから、帰らせてください。」と言うと、「オルガン?そんなのうそ。なんでそんな嘘つくの??ダメよ、ちゃんと送ってってもらいますからね。」と言われた。

私も食い下がる。「え?いや、本当に幼稚園の頃から習っていて早く帰らないと間に合わないんです。」等伝えるも、ロッテンマイヤーは私がうそを言っているといって聞かない。「そうやって嘘をついて送っていきたくないんでしょ」とまで言われた。

今でもなんであの時、知りもしないくせして嘘とか言ったのかわからない。しかし本当のことを言っている幼い私に嘘つくな、なんて良くも言えたよね。

もうそうとう腹が立つやら、悲しいやらでしばらく呆然としていた。なんか、まりこちゃんが憎い。なんで私が嘘つき呼ばわり?なんか涙が出てきた。パリーンとなにかがはじけた。その後まりこちゃんと無言で帰った。

かなり遅れてオルガン教室に行くといつのまにか先生が変わっていた。優しかった先生からなんかきつそうな先生へ。

遅れていった私と母に今ここやってます、みたいなこと全然教えてくれなかった。母がいつも隣の子のお母さんに聞いていた。いつも気まずかった。

そうやって時間に遅れて行くのが重なり、とうとうオルガンの先生は怒り始めた。しかもなんか嫌がらせもしてきた。「なんで、練習してこないの!」と言われましても。

絶対音感なんてのもガンガンしてくるし。そんなのわからない。3つの音とか同時にされてもわからない。わからない私ににらみをきかす。

あの先生嫌い。もちろん、ロッテンマイヤーもまりこも。

とうとう母とやめることを話し合った。もちろんまりこちゃんのことも。
結局、大好きだったオルガンをやめるしかなかった。もったいなかったなぁ。

常識論展開中!(常識論2)

2006年10月06日 15時54分01秒 | ガラスのこころ
以前の支店から歓送迎会をしてくれるというので少しきつかったが、行くことになった。若い子から花束と記念品を贈られた。

「ありがとう。」と笑顔で言ったものの、なぜだかあんまりうれしくなかった。

私は支店長と次長に取り囲まれるように座った。支店長は申し訳なさそうにしている。いつか私が苦しんでる時、「役所の異動が嫌だったら、あの時、断ってくれたらよかったのに。」と言った言葉が浮かんできた。まぁ、そんなことはいい。

私は思わず、流れで旅行の話を支店長にしてしまった。気分転換に良かった、とでも言っておきたかったのかもしれない。支店長は、にこにこ聞いてくれていたのだが、これに次長が噛み付いた。

「きみ、休んでいるくせに旅行とはなんだね、みんな一生懸命働いてるのに。きみがいなくなって大変だったんだからっ。長期療養といいながら、旅行に行くなんて信じられない。」頭おかしいっちゃない?的な言い方。またもや常識論を展開していく。

「すみません・・・・・。」そう言うしかなかった。確かにそうだもの。その意見正しいです。

あまりの言われように支店長が間に入ってくれてフォローしてくれた。「気分転換になってよかったね。こういう病気は気分転換せないけんのよ。」
しかし次長はなおも常識論を展開中。支店長とも、もめだす始末。
言葉一つ一つが私を苦しめた。泣きたいくらいに。

だって、旅行したら治るかもしれないと、病院の先生が・・・。とかそういうことは口がさけても言いたくなかった。

あーあ、私が口を滑らしたが為にこんなことになってしまったよ。言わなければ良かった。バカ、バカ、私のばか。

その間、宴会は順調に進んでいき、幹事が私に挨拶をどうぞ、と言ってきた。
よし、やっときたぞ!
私は言うことをもう決めていっていたのでここぞとばかりに挨拶。

「今日はどうもありがとうございました。本部へ異動になりましたが、皆様の支店がこれからも繁栄するよう願っております。(中略)・・・私もこれから違うところで皆様を見ておりますのでがんばってください。私もがんばりたいと思います。」

ちょっと意味深なことを言ったように思う。うつだから私はがんばってはいけない。がんばることが一番ダメ。
なのにみんながんばれ、私もがんばるとか言ってる。ははは・・・、たぶんこれが精一杯のいやみ。

私はまた一人の上司から常識を指摘された。この人はいい人だと思っていたから、余計ガビーンときた。もうこんな会社辞めたい・・・。いやもう辞める方向で考えよう。ここは私のようなうつ病患者に冷たいし、知識がなさすぎ。そう思って宴会場をあとにした。