我々は何時の間にか、自分で面白さを探り求める習性を失ってきてはいないか。既成概念に縛られ、自分の頭で考えずにオピニオンリーダーに操られ、誘蛾灯のように誘いかけてくるものについ追従し振廻されてはいないか
そういう人こそピーターになる。もう十何年も春秋観鳥に来ている人もいるし、ただ癒しのために何度も来島する人もいる。そんな人には観光施設などは無縁であり、逆にありきたりの施設を期待して来た者は失望する。
疲れて宿に帰っては、昔ながらの百年一日とも思われる、何のてらいもない飛島料理。要するに施設らしいものなど何もないが、観察ポイントを指摘されながら自分の眼と足を通して島の良さを肌で感じると満足する。
島影、地質地形の特徴、植生、野草やありふれたしかし豊富な山菜や木の実、祭りの時以外は忘却されそうな氏神様など。これらを足と眼で確かめながら行くと、日頃の歩くことに抵抗感ある人も島の真価がわかるようだ。
島を案内する時コースにもよるが僅か二時間ばかりの歩きに抵抗感を覚える人がいるが、島巡りの面白さを指摘しながら歩を進めると、すくに関心はそちらに向く。野鳥の囀りをBGMにして、空気のうまさと海の色の碧り
都会に住む人の中には、何処へ行くにも百米以上なら自転車で五百米以上なら自動車でと決めつけて人がいる。ゴルフでもホールからホールへはカートで廻り、やる運動量はクラブのスイングだけという人がいるという。
日帰り、一・二泊組など顔を見て対応を判断する。案内の基本方針は何か?歩せる、只それだけだ。バスや自家用などないからそれしかないし、島は狭いから各自自前の足で充分に足りる。歩ることに抵抗感ある人多いが。
そんなことはない。外来者に脚で島の深さを教えてあげればよい。自分のことで恐縮だが年間何組もの訪問者を案内する。海外留学生団体など一組50人以上のこともある。大切なのは来訪者により対応を考慮することだ。
耕地が甦り、間伐下草刈りで林に風通しがよくなれば島はまた息ずき、それが結果的には遠来の観鳥者に絶好のバードウオッチングの場を与えることになるのだ。バードのための整備でなく島の環境と島民の復活のためだ。
観鳥者が希望するのは観察台ではなく里山の整備だ。放置農地が増え森林が荒れてブッシュが増えそれが鳥の行動と観察を邪魔するからだ。過疎化で荒れた島の整備は必要だ。それは観鳥者が鳥を見易くするためではない。