someday never come

いまでしょ!

バーチャルに欺されるな?

2024年07月30日 19時30分51秒 | 迷走する日々
テレビCMをみていたら、かき氷のうえにフルーツが落ちた。
フルーツは、かき氷の上を跳ねた。
まるで、スポンジの上に落ちるように。



ふわふわかき氷が美味そう!
食べたいな!
そう感じた。

たぶん・・・CMクリエーターの思いどおり。

だが、これって、リアルなんだろうか?
いくらふわふわでも、フルーツは跳ねないんじゃないか?

CGで作られた映像だと思われるが、バーチャルにもリアルなのか気になった。



同じように気になったCMがこれ!


プルプル震える寿司ネタ!
スローモーションで跳ねる寿司ネタ!
これはそそる。
やっぱり、食べたくなる。

でも、これも、リアルなんだろうか?

VR(バーチャルリアリティ)とは、仮想空間で再現される現実だ。
言いかえれば、現実にあり得ることを、コンピューターで再現することだ。

本当にリアルなの?

そんなことを考えていたら・・・。
でも、これって、美味しそうなんだから、欺されてもいいかも?
そんな気がしてきた。

美味しさを表現するのに、現実的かなんて、必要ないような気がしてきた。
あとは店に行って・・・
かき氷の上にフルーツを落としたり・・・
寿司を10cmくらい落下させてみたり・・・

確認すればいいのかな?
なんて思った午後だった。

(^_^;)


短絡してはいけない高齢ドライバー問題

2024年07月23日 07時40分16秒 | 迷走する日々
さきの東京都知事選挙で、石丸伸二氏とバチバチのバトルをした古市憲寿氏が、以下のようなことを言った。



この記事の中で、古市氏は、以下のように述べている。
==========================
15歳の子供たちは仮にどんなに運転がうまくでも免許が取れないわけじゃないですか。
免許って年齢差別をしているわけですよ。
下限があるんだから本来、上限があっても別にいいと思うんですよ。
もちろん90歳でも、本当に乗れる方と乗れない方、両方いらっしゃると思うんです。
下の年齢は18歳で区別している以上、上限もつくっていいのでは。
上限をつくった方が家族にとっても安心かなと思う。
本人がどうしても免許を手放したくなくて、それで家族が困っていてる。
だからそこは国とか行政が悪者になって、この年齢では運転できませんとしてあげた方が結果的に幸せなんじゃないかなと思っちゃいます
==========================

この発言を聞いた第一印象は、「深く考えたのだろうか?」ということ。
また、「深く考えた結果なら、なんと浅はかな意見だろう?」とも思う。

まず前提に問題がある。

15歳の子供たちが、免許を取得できないことを、年齢差別を言っているが、そうではない。
車の運転には、知識と体格と体力が必要だ。
言わずもがなだが、幼稚園児に車の運転はできない。
ゆえに、運転可能年齢の設定は必要だ。
議論するなら、18歳という年齢の妥当性だろう。

また、下限を決めたなら、上限もつくれという主張は、あまりにも短絡的だ。
だったら、
上限は何歳にすべきなのだ?
その根拠は何だ?
一律、資格を剥奪することに、法律上の問題はないのか?

もし、この発想を拡大解釈すれば、選挙権だって、酒やタバコの年齢だって、上限を設定すべだ。
ということになりかねない。

言いたいのは、一律で上限を決めることへの、危うさということ。年齢で区別するのは、それでしか管理する術がなかった、昭和以前のことだ。

いまは、個々の技量を判断したり、それによって行政勧告することも可能だ。実際、免許更新では、実施されている。

進むべきは、個々の能力をみて、さまざまな勧告をする仕組みづくりの深化だ。それが、個人の尊厳を尊重することになるはずだ。

進むべき道に目を背け、古い感覚で短絡してはいけない。
と思う。




女子体操選手の五輪辞退に関し

2024年07月19日 18時48分56秒 | 迷走する日々
ネットのニュースや、ソーシャルメディアのコメントで、いつも気になることがある。
個人や個々の組織のコメントを、さも全体総意のように言うことだ。

たとえば、
中国人が犯罪を犯すと、「だから中国人は」と反応したり、
痴漢のニュースに「男っていうものは」と言ったりすること。

最近のことではない。
ソーシャルメディアが浸透する以前から、その傾向があったように思う。
だが、最近、その傾向が顕著になっているように感じる。


もうすぐパリ五輪が始まるが、女子体操選手の飲酒喫煙スキャンダルが報道され世間を賑わせている。
選手は出場を辞退したが、その処分のあり方に、いろいろな議論がわき上がっている。

そんな中、作家で元東京都知事の猪瀬直樹氏が、以下のようなメッセージを、X上にポストした。


ああ、またか、というのが第一印象だ。

「つくづく日本人は劣化している」との書き出しで、事実を日本人というスケールに拡大し、それを俯瞰する自分をアピールしているようで、感じ悪い。
対象は、女子体操界の幹部であり、日本人全体で無いことは自明である。

また、「規則尽くめの杓子定規が日本をダメにしてきた」という主張にも、論理的に無理がある。
規則尽くめ&杓子定規と日本をダメにしたが、対等であるはずもなく、個人の感想でしかない。

ぼくも、今回の処分については、同情的だ。
ルールを破ったのだから、ペナルティーは必要だと思うが、それが辞退とは重すぎる。

五輪に出場するには、人並み以上の努力が必要だ。
大きな犠牲も、払ってきただろうと想像すると、同情の念を禁じ得ない。
ここだけのはなし、未成年の飲酒や喫煙なんて、ぼくの回りでは、普段の風景だ。

できるなら、本人が反省の弁を述べ、五輪へ出場させて欲しい。
そして、未成年の喫煙や飲酒撲滅の、アイコンになって欲しい。
こころから、そう思う。


東京都知事選挙が終わって

2024年07月14日 10時47分15秒 | 迷走する日々
埼玉県民のぼくは、東京都知事選挙に、直接的な影響はない。
だが、関心を示したい。
なぜなら、東京都と関係する人が、ここには多く住むからだ。

過去には、ぼくもその一人。
約30年ほど、日比谷、田町、浜松町で働いた。
飲食などで、ずいぶん東京都に貢献したと思う。

東京都の行政は、埼玉県民に影響する。
いや、関東各県民にも影響する。

東京都知事選挙は、マスメディアの予想どおり、小池百合子さんが当選した。
上位の得票結果は、以下のとおりだ。



(出典:NHK首都圏ナビ)

小池百合子さんの当選は、やっぱりそうかという感想で、驚きはない。
だが、石丸伸二さんの選挙活動が、リアルな街宣とネットで盛りあがり、もしかしたら、という期待があったことも事実。
二期8年続く小池行政は、マンネリ化を否定できず、新しい視点での発想が必要だ、と考えたからだ。

だが、驚きもあった。

地上波テレビで扱われることのなかった無名の安野貴博さんに、15万票も集まったことは、改革ではなく、革新的な都政を求める声であるように感じられる。

また、石丸幸人さんが得票を伸ばしたのは、石丸伸二さんへの勘違い票も、多く入ったのではないだろうか?
投票方法を見直しを示唆しているように思う。

それと、ひまそらあかねさんの得票も、ぼくの予想をはるかに上まわった。
知事への意欲や野心が、いまいち伝わっていなかったが、それでも11万票を獲得した。
反石丸伸二票だったのかが気になる。

成田悠輔さんが、ReHacQに出演し、今回の選挙結果は、絶望でしかないと言った。
まったくの同感である。
石丸伸二さんの選挙戦が、本人曰く、出来ることはやり切ったのなら、やり切らなかった小池都知事が再選されたことは、選挙の意義に疑問を感じる。

選挙のたびに思うのは、期間のことだ。
2週間の選挙戦で、個々のマニフェストを伝えることも、有権者が理解することも、難しいと思うからだ。
結局、知名度が結果に結びつく。
過去の都知事は、有名人が名を連ねている。

個人的には、選挙の公示を半年前にして、論戦を行わしてはどうだろう?
街頭演説は現行通りにしても、そこに至る立候補者に政策を知ることは、とても有意義に思える。
ソーシャルメディアなら、立候補者全員を総当たりにして、一対一のディベートを行うことだって可能だろう。

それと、あの選挙ボードの存在は、見直す時期にきていると思う。
組織力のある立候補者が有利になるのは、公平性に疑義を生じる。
いまは、デジタルサイネージが、町にあふれる時代である。
もうデータを差しだせば、表示できるようにすべきだ。
そうすれば、公序良俗といった判断も、事前にチェックできるはずだ。

今回の都知事選は、時代の大きな転換点のような気がする。
都政だけでなく、国政における選挙も、バージョンアップする時期である。
と思う。