「
人はなぜストーカーになるのか/岩下久美子/文春文庫PLUS」
ストーキングはまず、極めて一方的な思い込みから始まる。
「俺が好きなんだから、彼女も自分を好きに決まっている」
この傲慢な思い込みの元は、自分の感情と相手の感情を同一化してしまう所にある。
自他未分化な感情は、ストーカーに特有の兆候だ。
この思い込みを現実化するために、徐々にストーキングを開始する。彼女に関する情報を集めることから始まり、しつこい電話やファックス・レター、手紙に続いて、プレゼント攻勢…。相手が、「迷惑だ」とはっきり断っても、彼はそれを自分に都合がいいように解釈する。
「彼女は恥ずかしがってるんだ。遠慮しているんだ」などという自分勝手な思い込みと決めつけ、彼らは相手の立場になって考えることがまるでできない。
「君のことを永遠に愛する」「僕には君だけしかいないんだ」などと言ったところで、その実はまったく相手のことは見えておらず、自分の中で勝手に作り上げたイメージを愛しているだけなのだ。
そこには、他者への想像力が完全に欠如している。
そして、自分勝手に都合よくこしらえた妄想に取り付かれたまま、欲望通りにストーキングを繰り返すのである。思い余って彼女が強く拒絶しても、彼はその現実を受け入れることができない。相手が自分の思い通りにならないことが許せない。意のままにならない相手が悪いと考える。
「相手が悪い」 この心理こそが、ストーキングという行動へ突き動かす原動力となる。
また一方で、ストーカーの心理としては、相手が拒絶するのは、自分の気持ちをちゃんと理解してくれていないからだ、という思いも強い。
だからこそ、相手に自分自身のことを話す必要があるし、相手はその話を聞くべきだ。もっと自分の存在を知らしめなくてはいけない。そして、何でもいいから常に相手と繋がっていなければならない―― そう考える。
(おまえの発する存在感、空気感に生理的嫌悪感を感じてるんだから何をしても無駄)
たとえ、罵倒されようが、嫌がられようが、相手から反応が返ってくることには違いないのだから、何らかの関係は成立している。ストーカーにとっては「反応がある」イコール「つながっている」。そこにリレーションがある限り、いくら険悪な関係であっても、彼は諦めずにどこまでもつきまとう。
嫌がる相手を追い回し続けることで、「まだ拒絶されていない」と思い込もうとするのだ。