STAY GREEN

家族との生活記録です。宜しくお願いします。

2018/04/25(水)

2018年04月25日 | 2018年
うちの父が4/20に他界しました。
昭和39年に入居開始した柏市の豊四季台団地に住んでおり、
老朽化の為に順次、建替えをしており実家も10年ほど待ってようやく4/11に引越でした。
引越に伴い、なるべく新品に置き換えたいために、家具や家電選び、
そして配置のレイアウトも父は楽しみに考えておりました。

4/11に引っ越しし、翌日4/12に私も手伝いに行きました。
そのころから、父は風邪で体調が悪く、一度が近所の診療所に行きながらも
薬が合わないのか、持病の高血圧がかなり低下したり吐き気など体調が悪くなり、
4/15(日)に総合病院に入院となりました。

父親のスマホをから通話音声記録が見つかりましたが、4/14(土)には薬局に血圧が下がり
苦しいことの相談や、趣味である空手を休む電話音声が入っており、
かなり声がきつそうでした。

そして4/15(日)から大腸検査等を実施し、様子を見ていくという中で
CTスキャンでは肺が白く映り、酸素濃度が下がっていました。
酸素マスクで最大濃度15L/分でも厳しいことから、チューブを入れて対応しようとしたところ

吐血をしてしまい、口と鼻から出血し窒息した状態になり亡くなって4/15(日)23:00過ぎに
肺炎として亡くなりました。

私は22:00過ぎに、柏市に住んでいる妹から「父親が危ないかも」という鳴き声で電話があり、
急いで柏の総合病院へ向かいましが亡くなってから15分ほど経っており、
母、兄弟の姉と妹が父の体をきれいにしているところでした。

その後、私も体を拭かせていただくのと髭をそらせて頂きました。
そのときはまだ、父の温もりはありました。

その後、葬儀会社の安置室へ移動し、朝方まで葬儀の打合せをし、
5:00くらいに父親のところへ行った際には、冷たくなっており耳のあたりも変色してしまっていました。

そこからは仮眠もなく、朝一で親族や趣味仲間へ電話し、
通夜への準備(写真集め、趣味の品物、音楽 等9をしていました。

また合間を見て年金、保険、証券、相続、公共料金等の父から母への名義変更等の依頼をしました。
人が亡くなると、家族は悲しむ暇もなく忙しいといいますが、自分も初めて体験させて頂きました。


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