STAY GREEN

家族との生活記録です。宜しくお願いします。

2007/04/14 (土)

2007年04月14日 | 2007年
ジム帰りにヨーカドーで買い物をしてきました。スイカの角切りがあったので、買っ
てしまいました!
スイカ大好きです!

今日、新入社員の人が寮に来ました。自分も一年前に来たんだなぁと思ったり。
一年前見た、福島の町並みと、今見える福島の町並みは変わりました。
落ち着いたら、せっかく福島にいるので原子力発電所に行こうと思います。
大学生のとき、エネルギー施設工学という講義を受講してたときに、講師に「福島の原発に行ってみるといいよ」なんて言われて行こうと思ったまま遠くて行けなかった記憶があります。「原発=怖い」というイメージがどうしても抜けないですね。思い
返すと、小学生のときに、チェルノブイリの原発事故の写真集をっ図書室で見つけ
て、「放射能で遺伝子異常を起こしてデッカイタンポポが発生した写真」とか見て不気味な気分になりました。ああいう写真って、カラーじゃなくて、白黒だと余計に不気味さを感じさせます。小学高学年になると、日本地図を眺めてるのが好きになり、原発の位置を確認したりもしました。ほとんどが大都市の近くに原発を置いているんですよね。中学生の頃に、何冊が原発に関する本を読んだことがありますけど、記憶にあるものだと、日本では茨城県東海村に原発を最初に誘致しましたが、他にも立候補にあがったところがあり、群馬県の渋川方面(だったかな?)だったり、岡山県
だったりと各地で原発を誘致してくれという話があったそうです。当時は、最先端技術で原発が村に来れば、雇用も村も活性化できると期待されていたのでしょうね。実際、東海村も原発の恩恵を受けて図書館とか立派ですからね。中学生の林間旅行が裏磐梯で、常磐道でいわき方面に向かうとき、東海村の文字が見えたら怖くて息を止めていたということも思い出したり。それだから、チェルノブイリ事故が発生した隣接する稼働中の原発建屋で働く人々を見たときも怖さを覚えました。
そんで、高校生になったときに東海村の動燃で臨海事故が起きて、当時高校が東京で毎日常磐線を利用していて、常磐線は東海村も走っているので、朝の通勤ラッシュ時に「東海村の臨海事故の影響で勝田以北、運転を見合わせています」というアナウンスがひたすら流れていたんですけど、それも不気味な感じだったのを覚えています。
鉄も放射線を浴び続けると、逆に放射線を放出するようになるので、電車は大丈夫なのかと心配しちゃったり。
今では、何でも心配してもどうしようもないということで過剰に怖がることはなくなりましたが・・・。親の実家がある大洗(一部鉾田市)も、常陽という原子炉を構えていて、いつも水戸方面から国道51号で鉾田に向かうとき前を通るんですけどね。
しかも、大洗の海水浴場でも何度も泳いだので本当に怖いなら入れないですけど。
万が一、福島原発でチェルノブイリのような事故が起きれば半径30km以内は立入禁止エリアに指定されて、福島市の一部も入ってもおかしくないんじゃないでしょうか。
中通りと浜通りの間には山があるから高レベルの放射能は来ないようにも思えるけ
ど、雨雲や風にのって簡単に100km以上は広がりそうだし(世界中に舞うんですけ
ど)。ちなみに、ビキニ島の原爆実験で、赤道海流や黒潮海流の流れがわかるようになったと聞いたことがあります。そうなると、お魚も食べられなくなりますね。別に原発を建てるなとまでは言いませんが、何年もしてから「臨海事故がありました」と言われても手遅れですとしか言いようがないなと感じてしまいます。万が一、起きてしまったときには迅速に報告して緊急避難できるようにしないと・・・。すぐヨウ素を口にすることで甲状腺がんを予防することができるかもしれないし、被爆者、被爆レベルを抑えることができるかもしれないんで。