2019年10月24日
久々の残念日記投稿となった。
今回はスマホから打ち込んでみることにする。(パソコンを開くのが面倒なのだ。)
直近の私はもっぱらYouTubeへの動画投稿に凝っており、チャンネル登録者数がいかにしたら増えるか、そのようなことばかり考えている。
登録者数を増やして何になるかと聞かれれば、何にもならないとしか答えようがないが、
自宅でうつ病で療養している休学中の大学生が出来ることなんてゲームかYouTubeかだと思っている。
あいにく家ですることもないので一日4本ほどレベルの低い動画を投稿しているが、
レベルの低さが原因か、何かが完全に欠落しているためなのか、まるでチャンネル登録者数が増えない。再生数も伸びない。
YouTubeへの投稿を初めて1ヶ月程になるが、まぁ初めて1ヶ月はこんなもんかと自分を励ますことしか出来ない。本当に哀れである。
私は収益目当てでチャンネル登録者数を増やしたいのではない。
どちらかというとたくさんの人に見られる感覚が欲しいのだ。ある種承認欲求を満たしたい感覚に近いのかもしれない。
昔からピアノの発表会やコンクールが好きだった。大した結果は残せなかったとしても大勢の人間の前で何かをして注目を浴びることに喜びを感じていた。
しかし大人になると余程のことをしない限り良いことで注目を浴びる機会は減っていく。
それでも注目を浴びたい私は大学の授業で遅刻をして授業の途中に教室に入るなど、悪目立ちをすることによってその欲求を満たしていた。
文章にするとかなり馬鹿馬鹿しいが、それを大真面目にやっていた人間がここにいるのである。
今までのそれに比べるとYouTubeでその欲求を満たすようになり幾分かはマシになったのかもしれない。
そう考えると、「目立ちたい」というだけの欲求が悪行を導くというのはあり得るのかもしれない。
(あくまでもYouTube内ではバカほど平和な動画投稿のみをやっていきたいと思っているが)
YouTubeの話はここまでにしておこう。
本日は私のうつ病の経過についてここに記録を残しておこうと思う。
明後日が通院日だからというのもあるし、自分の中で今の状況をまとめておきたいのだ。
そもそもうつ病とは脳内のセロトニンなどの伝達物質の量が減ることにより気分の低下や憂鬱さ、体が動かせないなどの身体症状を引き起こす病気である。個人的には脳の病気だとも言えると思うが、精神的な病気と言われていることで世間に誤解を生んでいる気がする。
なぜなら私の場合身体症状がメインだからだ。
そして原因は度重なるショッキングな出来事によるものだった。
ショッキングな出来事については詳しくはまた明日以降に記そうと思うが、大体は人間関係に関することだ。
人間関係で度重なるショックを受けた私は、ある日体が思うように動かせなくなった。
脳の指令が体の隅々に届かないのだ。それでも大学にいかなければならない私は体に鞭を打ち動かしていた。
そうして過ごしていくうちにとうとう全く手足に指令が届かなくなり、私は寝たきりの生活を送ることになった。
大学にもいけなくなった。実家に戻ることになった。新幹線が辛い。駅が辛い。街中が辛い。人がいる場所が辛い。うるさい。みんな黙れ。だまれ。だまれ。消えろ。
そんなことを考えながら地元に帰省した。
今思えばその日が一番キツかったかもしれない。
死にたいと何度も思った。
こんなに辛いことばかり経験していたらそう思うのもえむを得ないだろう。
でも、これがうつ病の一番恐ろしいところだ。
死にたいと思っているのは私自身ではなく、うつ病がそうさせているのだ。
私は実際死にたいなんて思っていない。
セロトニンの減少が私の気分低下を促し、何一つ楽しくない、死にたいという感情を導いているのだ。
恐ろしいことにそのことに当の本人は全く気づかないし、周りの人が何度も「それは間違いだよ、君は死にたいなんて思っちゃいない」なんて言ったところでうつ病の人にそれは届かない。
実際私は何度も本気で死のうと考えた。
しかし私は幸いなことに薬学部で3年間ではあったがうつ病のメカニズムは学んでいた為、死にたいと思ったら何度もこれはセロトニンの減少が導いているんだと言い聞かせることで体をソファにじっとりと横たわせ、何度も死ぬのを我慢した。何度も行動に移さずじっと、うつ病のせいで満足に動かせない体を所有することを許した。自分が存在することを何度も何度も否定して何度も何度も生きた。生き続けた。現状を変える手段は死ぬことしかなかった。この状態を変えるには死ぬしかなかった。
でも、私は変えないという選択をした。
死にたいのは私が感じている感情ではなく、セロトニンの減少が原因の憂鬱さなのだ。
セロトニンが減っているなら?増やせばいい。
増やすにはどうしたらいい?薬を飲むことだ。
うつ病治療には薬を飲むしかない。それしか治療の方法がないのだ。
何らかの事件で減ったセロトニンの量を調節して元々の量に戻さなくてはならない。(それに時間がかかるのだが)
私はいろいろな薬を試し、続けた。
何度も死にたくなったが、
そんな時は、うつ病が治って、世界を私の本当の目で見れるようになる日までは死ねないと思って耐えた。
うつ病が治った後、死にたいと思ったらその時はその時だ。死ぬのはその時でいいんじゃないか。
もしかしたらすごく美しい世界が広がっているのかもしれないんだから。
それを期待して今も薬を飲み療養している。
いつか世界が美しい色に見える日を信じて。
今の私には世界はドブ色に見える。全てが汚い、うるさい、臭い。
半年前かはマシになったとは思うが、それでも満足に体は動かせないし、インフルエンザかってくらい毎日体はだるいし、脳は動かないから本も読めない、テレビも音も光も情報が多くて見れない。
街中に行くなんて正直もってのほかだ。
余程体調がいい日しか行けない。
でも、前よりは良くなった。、
そう信じる事しか今はできない。
そしてきっと治るまでに少なくとも3年はかかるだろう。
私は自分がうつ病になるまでまさか自分がうつ病になるなんて思ってなかったし、まさかこんな小さなことでうつ病になるなんて思わなかったし、まさかこんなに辛いなんて、思ってなかったしまさかこんなに身体症状が強いなんて思ってなかったし、
まさかこんなに治るまでに時間が馬鹿みたいにかかるなんて思ってなかった。
脳内のセロトニン量が安定するまでは時間がかかるらしい。
本日もこのように論理的な思考で日々を乗り越えていくしかない、
うつ病を抱えた残念な薬学生であった。