残念日記

残念な女の日記です。

遠出

2019-10-29 12:42:00 | 日記
本日から東京の方に用事があり二泊三日の遠出をすることになっている。

とは言っても実質用事は中日の二時間程度なのだが、なんといってもうつ病患者にとっての上京は一般の人の海外旅行並みに過酷で準備を整える必要があるのだ。
たった二時間とはいえ前泊をして翌日泊まで気を抜けないのである。
それくらいうつ病は気まぐれで、私をひどく振り回す厄介者なのだ。

東京での移動は基本タクシーになるとは思うがもしかすると電車移動になる場合も考えられる。私は電車が怖い。ぎゅうぎゅうき詰められ、騒がしい車内でじっとりと汗を流し、速まる鼓動を抑え、平静を装っていなければならない。そんなこと出来るのだろうか。

普段はほとんど外出はせず、移動も車であるため久しく電車移動をしていないのだ。
電車だけではない。もちろん東京までの移動手段である新幹線でじっと座っていなければならないことも私にとってはひどく苦痛だ。

狭い席の中に押さえ込まれる自分、充満する酸素濃度の低い空気、誰かの異臭、喋り声や赤子の鳴き声などが響き渡る車内。

想像するだけで吐き気を催しそうだ。

うつ病になる前でも神経質であったとはいえここまで五感に敏感では無かったと思う。
今では上記のようなものがひどく苦手だ。
赤子の鳴き声に対し勿論理解があるのだが、体が追いつかない。
どうしても「辛い」と感じてしまうのだ。

遠出に関しては、たくさんの不安が私を襲うが、三日間何とか無事にやっていけることを祈ってエチゾラムを携え家を出るのであった。



本を読めない

2019-10-27 19:06:00 | 日記
タイトル通り、本を読めないという話だ。
まるで本が読めない。
うつ病になる以前は今よりは読めていた気もするが、
ほんのたまーに村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ程度だ。
村上春樹は好きだ。村上春樹を読んだ後は世界が少し違う色に見える。
世界の雰囲気が変わるのだ。
私は本を読んだ後のあの雰囲気を味わいたいがために本を読む。

そして私の今なりたい職業にも読書は必須だ。読書量が仕事の腕を左右すると言っても過言ではない程だ。

うつ病の場合頭に情報が多くなるとショートを起こし脳の指令が全く末端に届かなくなるという身体症状が引き起こされる。
これが恐ろしくてなかなか自ら情報を頭に入れるということが出来ないでいる。

実際うつ病ではよく言われるように文字を文字として脳みそに入れることができない。
何かの記号だと思えてしまったり、
長い文章は特に脳が拒否をしてしまいTwitter徘徊ですらキツいのに読書など出来るはずもない。

ああ、早く読書が出来るようになりたい。
英語を勉強できるようになりたい。
そんなことをずっと考えていたところでうつ病が早く治る訳でもないのだが。
わたしには今薬を飲んで何もない時間を過ごし、そんな自分が存在する事を許すことしかできないのだ。

やりたいことがあって、やりたいことはなんでも出来た、そんな時はどれほど幸せだっただろう。
周りの友人たちの挑戦出来ることの素晴らしさを羨ましく思っている。
いつやりたいことが出来なくなるかも分からないのだから、思いついたらやるべきなのだ。
じゃないときっと後で後悔する。

まぁこの回り道のおかげで私は自分の本当に進みたい道に辿り着けたのだから、回り道も時には悪くないのかもしれない。

2019年10月27日

2019-10-27 18:46:00 | 日記
2019年10月27日

本日はたくさんのことが頭の中に浮かんでは消える。何か考えていたと思った次の瞬間には忘れているような、恐らく薄い掘り下げ方しか私がしなかった為だろうとは思うが。

なので本日の残念日記も何かを書こうと思ってスマホを開いた訳ではない。
しかし、何か書ける気がするのだ。
なのでそんな一縷の望みに懸けてみることにする。

とりあえずうつ病の話を。
前回の通院から急に体が動かせなくなりベッドやソファで寝たきりの生活となっている。
薬の量を減らしたわけでもなく以前と変わらない量を服用しているはずなのだが、気圧の変化も特に異常もなく、全くもって理由の分からない怠さがずっと続いているのだ。
今はエチゾラムでなんとか力の入らなさを抑えて残念日記を書いている。
脳の伝脱物質不足のせいで体は全く動いていないが、何かを考える脳の部分は活発に動いているから今日は色々考えてしまったのかも知れない。
体が動かないというのはなかなか辛いもので、私は普段から落ち着きが無いため突拍子もなくジャンプをしたり走ったり、無駄に体を動かす動作が多い。そうしないとやってられないのだ。(もしかしたらこれらの落ち着きのなさはADHDが原因なのかも知れないと思っている。実際に診断された訳ではないが、あくまで私が疑っているのみである。)
しかし、うつ病の身体症状によりこれらの動作が出来ないというのは思ってても指令が末梢に届かないのだからイライラもしてくるし思い通りにならない歯痒さも生まれる。
そして他に困るのが、コーヒーカップなどを持ち上げた時力が入らないため落としてしまうことだ。周囲には注意の無い人だと思われてしまうだろうが、本当に急に手に全く握力が無くなるような感覚に襲われ気付いたらカップが滑り落ちているのだ。
これほどまでに手足に力が入らないのだからもちろんこんな日は外出するなんてもっての他だ。ソファで動かない体をじっとりともたげながら何もできない自分と向き合う事しかできなかった。
そんな「残念」な1日が今日も終えようとしている。

たまにいつまでうつ病に振り回される日々が続くのだろうと恐ろしくなる時がある。
4年ほどかかるという話も聞いたことがあるし、あくまで人それぞれなのだろうが、
私とて早く社会復帰したいかと聞かれれば実はあまりそうではないのだ。

私は所謂社会不適合者だ。
まるで社会が合わない。
何かに組み込まれること自体が向いていない。
1人でいるときに一番成長出来る。
部活やバイトは続かない。人にあわせるということが出来ない。
これ以外にも沢山私の社会に似合わない理由は腐るほど言える。

これを私の欠点だ、クズだ、なんて言ってしまえば楽なんだろうが、それでも私はこれからの人生を生きていかなければならないのだ。

クズだゴミだと言ってくる人はあくまで他人の人生だからそう言えるかもしれないが、私はこんな特性を抱えた私の人生を生きていかなければならないのだ。

自分に合う職業を見つけていかなければならないと最近はよくそのことを考える。

そうしてある職業を見つけた。1人で出来る、社会に馴染めない私でも出来る、好きなこと。
今の私の夢はこれだ。

うつ病を治し、みんなと同じような世界の見方を出来る様になり、自分にとって働きやすい環境で働くこと。

私の仕事における目標はニートをするより楽しい仕事だ。楽しいと思える仕事。本当に好きな仕事。このためなら寝食を忘れられるような没頭出来る仕事。

そんな仕事に就きたい。

うつ病が治ってない今そんな夢を語れる立場になんていないと思うが、私はもともと上昇志向なのだ。(うつ病でかなり抑えられていたが)

恋愛なんてものにうつつを抜かす暇があれば自身のスキルアップに使いたい。
早く脳の動きが早くなり、たくさんの文章を書けるようになりたい。英語の勉強をしたい。
今ある時間を有効に使えるようになりたい。

そんなことを切に願いながらも本日もYouTube投稿とTwitter徘徊を、ソファに横たわりながら行って1日を終えるうつ病の女であった。

ざんねん。


2019年10月24日

2019-10-24 02:12:00 | 日記
2019年10月24日

久々の残念日記投稿となった。
今回はスマホから打ち込んでみることにする。(パソコンを開くのが面倒なのだ。)
直近の私はもっぱらYouTubeへの動画投稿に凝っており、チャンネル登録者数がいかにしたら増えるか、そのようなことばかり考えている。
登録者数を増やして何になるかと聞かれれば、何にもならないとしか答えようがないが、
自宅でうつ病で療養している休学中の大学生が出来ることなんてゲームかYouTubeかだと思っている。

あいにく家ですることもないので一日4本ほどレベルの低い動画を投稿しているが、
レベルの低さが原因か、何かが完全に欠落しているためなのか、まるでチャンネル登録者数が増えない。再生数も伸びない。
YouTubeへの投稿を初めて1ヶ月程になるが、まぁ初めて1ヶ月はこんなもんかと自分を励ますことしか出来ない。本当に哀れである。
私は収益目当てでチャンネル登録者数を増やしたいのではない。
どちらかというとたくさんの人に見られる感覚が欲しいのだ。ある種承認欲求を満たしたい感覚に近いのかもしれない。

昔からピアノの発表会やコンクールが好きだった。大した結果は残せなかったとしても大勢の人間の前で何かをして注目を浴びることに喜びを感じていた。
しかし大人になると余程のことをしない限り良いことで注目を浴びる機会は減っていく。
それでも注目を浴びたい私は大学の授業で遅刻をして授業の途中に教室に入るなど、悪目立ちをすることによってその欲求を満たしていた。
文章にするとかなり馬鹿馬鹿しいが、それを大真面目にやっていた人間がここにいるのである。

今までのそれに比べるとYouTubeでその欲求を満たすようになり幾分かはマシになったのかもしれない。
そう考えると、「目立ちたい」というだけの欲求が悪行を導くというのはあり得るのかもしれない。
(あくまでもYouTube内ではバカほど平和な動画投稿のみをやっていきたいと思っているが)

YouTubeの話はここまでにしておこう。

本日は私のうつ病の経過についてここに記録を残しておこうと思う。
明後日が通院日だからというのもあるし、自分の中で今の状況をまとめておきたいのだ。

そもそもうつ病とは脳内のセロトニンなどの伝達物質の量が減ることにより気分の低下や憂鬱さ、体が動かせないなどの身体症状を引き起こす病気である。個人的には脳の病気だとも言えると思うが、精神的な病気と言われていることで世間に誤解を生んでいる気がする。

なぜなら私の場合身体症状がメインだからだ。
そして原因は度重なるショッキングな出来事によるものだった。
ショッキングな出来事については詳しくはまた明日以降に記そうと思うが、大体は人間関係に関することだ。

人間関係で度重なるショックを受けた私は、ある日体が思うように動かせなくなった。
脳の指令が体の隅々に届かないのだ。それでも大学にいかなければならない私は体に鞭を打ち動かしていた。
そうして過ごしていくうちにとうとう全く手足に指令が届かなくなり、私は寝たきりの生活を送ることになった。
大学にもいけなくなった。実家に戻ることになった。新幹線が辛い。駅が辛い。街中が辛い。人がいる場所が辛い。うるさい。みんな黙れ。だまれ。だまれ。消えろ。
そんなことを考えながら地元に帰省した。
今思えばその日が一番キツかったかもしれない。
死にたいと何度も思った。
こんなに辛いことばかり経験していたらそう思うのもえむを得ないだろう。
 

でも、これがうつ病の一番恐ろしいところだ。
死にたいと思っているのは私自身ではなく、うつ病がそうさせているのだ。
私は実際死にたいなんて思っていない。
セロトニンの減少が私の気分低下を促し、何一つ楽しくない、死にたいという感情を導いているのだ。
恐ろしいことにそのことに当の本人は全く気づかないし、周りの人が何度も「それは間違いだよ、君は死にたいなんて思っちゃいない」なんて言ったところでうつ病の人にそれは届かない。

実際私は何度も本気で死のうと考えた。
しかし私は幸いなことに薬学部で3年間ではあったがうつ病のメカニズムは学んでいた為、死にたいと思ったら何度もこれはセロトニンの減少が導いているんだと言い聞かせることで体をソファにじっとりと横たわせ、何度も死ぬのを我慢した。何度も行動に移さずじっと、うつ病のせいで満足に動かせない体を所有することを許した。自分が存在することを何度も何度も否定して何度も何度も生きた。生き続けた。現状を変える手段は死ぬことしかなかった。この状態を変えるには死ぬしかなかった。

でも、私は変えないという選択をした。

死にたいのは私が感じている感情ではなく、セロトニンの減少が原因の憂鬱さなのだ。

セロトニンが減っているなら?増やせばいい。
増やすにはどうしたらいい?薬を飲むことだ。

うつ病治療には薬を飲むしかない。それしか治療の方法がないのだ。
何らかの事件で減ったセロトニンの量を調節して元々の量に戻さなくてはならない。(それに時間がかかるのだが)

私はいろいろな薬を試し、続けた。
何度も死にたくなったが、
そんな時は、うつ病が治って、世界を私の本当の目で見れるようになる日までは死ねないと思って耐えた。

うつ病が治った後、死にたいと思ったらその時はその時だ。死ぬのはその時でいいんじゃないか。
もしかしたらすごく美しい世界が広がっているのかもしれないんだから。

それを期待して今も薬を飲み療養している。
いつか世界が美しい色に見える日を信じて。

今の私には世界はドブ色に見える。全てが汚い、うるさい、臭い。
半年前かはマシになったとは思うが、それでも満足に体は動かせないし、インフルエンザかってくらい毎日体はだるいし、脳は動かないから本も読めない、テレビも音も光も情報が多くて見れない。
街中に行くなんて正直もってのほかだ。
余程体調がいい日しか行けない。

でも、前よりは良くなった。、
そう信じる事しか今はできない。
そしてきっと治るまでに少なくとも3年はかかるだろう。

私は自分がうつ病になるまでまさか自分がうつ病になるなんて思ってなかったし、まさかこんな小さなことでうつ病になるなんて思わなかったし、まさかこんなに辛いなんて、思ってなかったしまさかこんなに身体症状が強いなんて思ってなかったし、
まさかこんなに治るまでに時間が馬鹿みたいにかかるなんて思ってなかった。



脳内のセロトニン量が安定するまでは時間がかかるらしい。


本日もこのように論理的な思考で日々を乗り越えていくしかない、
うつ病を抱えた残念な薬学生であった。


2019年10月2日

2019-10-18 19:06:49 | 日記

2019年10月2日


前回の残念日記から4か月ほど経過したようでただただ驚きを隠せない。

今の私はというとめっきりうつ病と病院で診断され、治るかもわからない病気に薬を飲みながら対応しているだけだ。
これは戦っているとは全く言えないと思う。
だって完全にあちら側の圧勝なんだから。

私にできることは死にたくなった時、手足が動かなくなった時にエチゾラムを飲んでそれを鎮静化することだけだ。なんて無力なんだろう。でも私はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

ああ、なんで今日の真夜中私は壊れかけのパソコンをわざわざ開いてこんな拙い文章を書き込んでいるのかの話をしなければならない。

この四か月の間に色んなことがあり、直近の私はというとめっきりユーチューブへの動画投稿に意識を奪われている。そこで気づいたことがあるのだ。
私はまるで人に心を開いていないのだということだ。


いや、私、完全に文章力が落ちている。打つスピードもまるで遅く、手と脳が同時には動かないようだ。今日も長くはかけないだろうが決めたことは書いておく。

私は書くことが好きだ。エッセイストになりたい。今もこうして書いている時間がなんだかんだ楽しい。どんなに私の紡ぐ文章が拙いものであったとしても、私の頭の中にあるもやもやが文章として撃ち込まれるのをぼーっと見ているのはまるで楽しいものがある。私の手がロボットであるかのように感じるのだ、そう考えると脳は本当にコンピューターなんだなあと実感する。

こう書いている間にもこの残念日記に対する心の開き方が微妙にわからなくなっている、脳の動きも極端に鈍い、やっていることもスマホゲーム、ボールペン時講座的なもの、おしゃべりくらいだ。それくらいしかできない。
あまりにも悲しいのでこれからできるだけここに残念日記を記録していく。
私のざんねんな日常を、刻んでいく。あいにく打つことは結構好きなんでね。
そして前回のうつ病と分かる前の私、本当にお疲れ様である。そんなに考えれるなんてすごいね、病気で何も考えられなくなってしまった私からは編み出されない文章だよ。

あと4か月後にきみ、実家でめちゃめちゃ休んでるよ、毎日サイコーだよ、ヒルナンデスも見に行くよ、楽しいね、楽しみだね。

自分が動かなくてはたぶん何も始まらないんだと思う。私は恋愛から離れて得たことがたくさんある。一人遊びだ。本当に楽しい。一人ジェンガ、ユーチューブ投稿、文章書き、絵描き、おしゃれ、着回し、メイク、、、、楽しいことばかりだ。きっとこれでこそ人生という感じがする。でも考えることはあまりしていない。しなければ。

だって私、今鬱でもう完全に脳みそストップしてます。文章もあんまり浮かんでこない、こんなんじゃ私って言えないでしょう。

考えたい、たくさん書きたい、なのでここに書きます。読みにくくてごめんね、でも正直薬学部に戻れるとは思っていない、怖い、あの環境が、私を殺してしまいそうで、恐ろしいのです。こうやって暮らしていきたいけれど、手に職は持ってないと、いつか貯金が尽きるでしょう。何か働かないと、できれば没頭できるもの、タイ焼き屋さんでアルバイトしようかしら。なんて。

ああ、誰だ、これ。まあいいけど、そんなこんなで文章書きが私の一番の武器かなって思った。楽しいし、一番自分を表現できる気がする、でも問題なのは私は苦しんだ時に一番いい文章が書けるってこと、今はかけない。

困ったけどしょうがない。これから編み出してたくさんいろんな文章が書けるようになります。

今の私にできるのはこんなとこかな