残念日記

残念な女の日記です。

2019年6月続き

2019-10-18 19:01:49 | 日記

ああ、医者になりたかった。

将来のことなんて何も考えず、とにかく私は医者になりたかった。

入って目の前に置かれたことをひたすらこなして、それでいいって。
結婚なんてしなくても医者は忙しいから仕方ないって。
意識をやけに高くしなくても年収は一千万円はもらえる。
そんな医者になりたかった。

薬剤師の何がダメとかじゃない。
医者になってから他の何かをつづけられなかったとしても医者だけは何としてでも続けて、それだけで存在価値が欲しかった。
医学部に入るまで努力して、それからはただ与えられたものを頑張るだけでもう十分になりたかった。

私は医者になることをあきらめてからどうも省エネで生きている気がする。
あれは諦めちゃいけなかったのか?

昔は挫折なんて珍しかったけど今じゃ挫折だらけだ。
成功したのいつだろう?思い通りに事が運んだのっていつだろう?

むなしくて仕方ない。

大人になるって苦しいことだと初めて気づいた。
もしかしたら時間はあるが経験のない今だからこそこんなに苦しいのかもしれない。
慣れていく、ともっと楽になるのかもしれない。
分からない。
とりあえずわかるのは、今は極上の幸せじゃないってことだけだ。

でも私に今できることなんてレポートを仕上げて明日一限に間に合うってことだけだ。

今私はネガティブモンスターに襲われているのか?

わからないけど、今じゃ若林でさえ敵に見えるのだ。

YouTubeで動画投稿をしています

2019-10-18 18:57:00 | 日記
YouTubeで動画投稿をしております。
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こちらは比較的明るい動画ばかりを載せています。
引き続き残念日記の方もよろしくお願いします。


2019年6月

2019-10-16 08:44:01 | 日記
はあー疲れたな
なんでこんなに疲れているのだろう
不毛に考えるのはよくないと分かっているが、この土日の過ごし方は明らかに不毛であった。よって私がこう無駄な考えに頭を悩ませているのも仕方ないというやつなのだろう。

人生というのはまるで思い通りにはいかないものである。自分が思っている以上に。
何が幸せかなんてその人によって異なるし、私が好きな人が私を好きだなんてことはふつう、起こりえない。
好きじゃない人に限って好かれたり、そういうものだ。

それが人生だとわかっていながら、人間は希望というものをすぐに探し求める。
いつ死んでもいいなんて言いながら本当は人一倍幸せになりたくて、喜びを感じたくて、平凡な日常に懲り懲りしていて、

何から始めればいいかもわからずさんざん不毛な時間を過ごした挙句私は日常に戻り、目の前のことをただこなすだけの、(この時それぞれのクオリティーなんてものは完全に無視している)ロボットになるのだ。

今は時間があるからそんなことを考えるのだ、と言われても今は今で必死で生きているのだからそんなことまで発想が及ぶはずもない。
ただただ、何とも言えぬ虚無感を、物足りなさ、喪失感を感じながら私は今生きている。
先日起こった川崎無差別殺人事件。未来のある小学生や立派に働いている人たちを殺し、挙句自分も包丁で刺して死んだらしい。おぞましい事件だ。
しかしそういう事件を見るとなんであんな立派な人たちが未来を絶たれなければならないのだと思うのだ。私ならよかったのに、、、と。
こう思うまでには今イカれている。希望がない、生きる意味が見いだせない。
惰性で日々を生きている。人と関わっていないと自分の存在価値がまるで見いだせない。

残念で不出来なあやつり人形だ。
せめて操り人形らしく勤勉に暮らせばいいのに。
ユーチューブを笑いながら見て、次の瞬間には死んだほうがましと思っている。

いつになれば楽になれるのだろう。きっと、半年、いや一年はかかるのだろう。
確かに少しずつは良くなっている。でもそれはうまくごまかせているというだけで一切根本的解決にはなっていない。
私がこのような状態だってことなんて周りにいる人は誰も、気づくはずもない。
その証拠に私は周りの人がどんなことで悩んでいて、希望を本当に持っているのかも何一つ知らないからだ。

人は本当に見かけによらない。
優しいだけと思っていた人がものすごい野望を抱いていたり、女の子らしいと思っていた子が実はものすごく男性的な発想を持っていたり、、、

私は何なのだろう。
裏表がない感情に任せた生物。(友達に昨夜言われた)
ふむ。まあ確かにそうだろう。
でもたぶん私の特徴は、死ぬほど「幸せ」について無駄に考えていることだ。
死にたいと言いながらも実は人一倍幸せに貪欲なのだ。
もっと幸せになりたい。それだけだ。そのために日々試行錯誤をしているのだ。
しかし幸せなんてひどく抽象的な話で、私はそのために何をやればいいのか、20年生きてもよくわからない。
幸せはジェットコースターの間のソフトクリームのようなものだと言われても正直、
え、そんなもんなの、、、?
としか思えない。私は金が欲しいわけでも名誉でも、地位でも家でも服でも時計でも、
そんなもの求めていないのだ。

極上に幸せになりたいのだ。それも一生続くやつ。

何かを買ってうれしいという幸せは手軽な分幸せの賞味期限が非常に短い。
趣味だって始めても結局中途半端だ。それをやりたいからやるのではないから続かない。
私のこんな生き方より「大企業のバリキャリになり高収入を希望する学生」のほうがスムーズに生きれるのだろう。
私は年収や地位を幸せと思っていないのだからそれを目標に努力出来るはずない。

私はめちゃくちゃ厄介だ。もう、人に頼れる程の厄介さじゃない。頼った人を不幸にしてしまう。
自己処理するしかないのだ。

そしてそんな私が編み出した生き方、「人のために生きる」
もう正直これしかないと思うんだ。年収も気になんないし、ある程度暮らしていける給料は薬剤師をしていればもらえると思うし。
でも質のいい薬剤師にはならないと、人のためには働けないな。
そのために私は今あらゆることを自制して勤勉に暮らさなくてはならないのだ、きっと、わからないけど。

人のために生きると言ってもかなり抽象的だし、イメージしにくい、それを勉強のモチベーションにつなげられる訳でもない。
そうなると勉強を頑張らない理由ばかりが出てきてしまうのだ。私は意識を上げる方向に持っていきたいのに。

そしたら現実逃避をしたくなる。恋愛だ。人を好きになってしまえば自動的に毎日を楽しく幸せに暮らせる。(それで後々傷ついたとしても)

正直まだ傷心が癒えたわけではない。
でも苦しみのピークは確かに超えた。今はじりじりと続く後遺症に悩まされているという感じだ。まあ特効薬を使用して副作用に悩まされるよりはマシだったとは思うが。
みじめな女だ私は。もう今なんて酒を飲む時が一番楽しい。
三日連続で大量の酒を飲んだなんて人生で初めてだった。

初めてのことなんて久しぶりかもしれない。年を取るごとにどんどん初めてが減ってきてときめくことも減ってきて、
そんなときは好きな人を意図的に作るぐらいしかもう生きる意味なんて見当たらないのだ。
あとはオードリーのラジオを聞いてわざとらしく笑うくらいしか。
本当にみじめな女で、みじめな大人だ。
こうなるために産まれてきたのだろうか。

もう何を目標にして生きればいいのかわからない。