時間軸がまったく逆に展開し、物語は結末から語られる。それは映画の開始早々エンドロールが上から下に、逆回しで描かれるという徹底振りだ。物語を開始まで遡ることで、結末を観客に新たに捕らえなおさせる。
美しい恋人アレックスのいる幸せな日々を送るマルキュスは一転、絶望のどん底に落ちる。連れ立って出席したパーティでつまらない喧嘩を演じ、一人で帰ってしまったアレックスは、その途中で暴漢に襲われ心身に取り返しのない傷を負ったしまう。悲しみと怒りで理性を失ったマルキュスは、アレックスのかつての恋人、ピエールとともに犯人を探しだそうと身を乗り出す。
起こってしまった悲劇とそれが生んだ復讐がまずは描かれ、その後でもって失われてしまった幸福の過去が描かれる。目の前の闇に待ち受ける残酷な未来を知る由もない、彼らの笑顔に背筋が寒くなる。そんな作品のねらいをきちんと踏まえたうえでの画の撮り方というものを感じる。前半は猥雑とした夜の街を復讐鬼と化したマルキュスが駆け回る。緊迫したドキュメンタリーのように、画面の中央に捉え切れていないカメラワークが見事にハマり、描かれた惨劇による観客への打撃力をさらに強める。続く後半部分のおだやかなやりとりが、すでに目にしてしまった結末の重さをリアルなものへと変える。衝撃で麻痺していた憂いと悲しみの感覚が徐々に作品を支配する。映画の全てをシーンごとのワンカットで収めた手法も、過ぎてしまった時間というものをあらわすにはこの上ない手法であろう。奇妙に浮遊し回転するカメラも時間軸を逆にたどっていくこの映画には似合いのものだ。ギャクパー・ノエ監督の悲劇の演出するの計算の緻密さに凍りつく。主演をつとめるふたり、ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチは実際の夫婦でもあるのだが、そうであるからこそ体現しうるリアルな空気も、起こる悲劇をさらに生々しいものにする。キャスティングによる狙いも成功しているだろう。
物語の冒頭、映画にとっては結末近くなのだが、自身が妊娠したこと知り喜ぶアレックスの姿は観客は息を飲む。晒された悲劇の裏には、さらに重要な悲劇が隠れていたのだ。その事実を知らず、復讐鬼と成り果てたマルキュスが、やがて手にする悲しさはいかほどのものだろうか。そもそもアレックスが一人で夜道を行くきっかけになった些細な喧嘩は、軽薄なマルキュスが父親になることへの不安と苛立ちからである。この映画の中では幸福が不幸とつながっているのだ。神の手による残酷すぎる因果。そんな言葉さえ浮かんでしまう。ふって沸いた凄惨な悲劇を描いた物語ではない。これは失ってしまった幸福の姿を描いた物語である。
ラストシーンは公園で転寝するアレックスの姿、何の物語も動き出す前の穏やかな彼女の姿をもって描かれる。「時は全てを破壊する」 冒頭に示されるこの言葉の、なんとおそろしいことか。
あ、ちなみにこの映画は18歳未満の方は御覧になれません。あしからず。。。
美しい恋人アレックスのいる幸せな日々を送るマルキュスは一転、絶望のどん底に落ちる。連れ立って出席したパーティでつまらない喧嘩を演じ、一人で帰ってしまったアレックスは、その途中で暴漢に襲われ心身に取り返しのない傷を負ったしまう。悲しみと怒りで理性を失ったマルキュスは、アレックスのかつての恋人、ピエールとともに犯人を探しだそうと身を乗り出す。
起こってしまった悲劇とそれが生んだ復讐がまずは描かれ、その後でもって失われてしまった幸福の過去が描かれる。目の前の闇に待ち受ける残酷な未来を知る由もない、彼らの笑顔に背筋が寒くなる。そんな作品のねらいをきちんと踏まえたうえでの画の撮り方というものを感じる。前半は猥雑とした夜の街を復讐鬼と化したマルキュスが駆け回る。緊迫したドキュメンタリーのように、画面の中央に捉え切れていないカメラワークが見事にハマり、描かれた惨劇による観客への打撃力をさらに強める。続く後半部分のおだやかなやりとりが、すでに目にしてしまった結末の重さをリアルなものへと変える。衝撃で麻痺していた憂いと悲しみの感覚が徐々に作品を支配する。映画の全てをシーンごとのワンカットで収めた手法も、過ぎてしまった時間というものをあらわすにはこの上ない手法であろう。奇妙に浮遊し回転するカメラも時間軸を逆にたどっていくこの映画には似合いのものだ。ギャクパー・ノエ監督の悲劇の演出するの計算の緻密さに凍りつく。主演をつとめるふたり、ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチは実際の夫婦でもあるのだが、そうであるからこそ体現しうるリアルな空気も、起こる悲劇をさらに生々しいものにする。キャスティングによる狙いも成功しているだろう。
物語の冒頭、映画にとっては結末近くなのだが、自身が妊娠したこと知り喜ぶアレックスの姿は観客は息を飲む。晒された悲劇の裏には、さらに重要な悲劇が隠れていたのだ。その事実を知らず、復讐鬼と成り果てたマルキュスが、やがて手にする悲しさはいかほどのものだろうか。そもそもアレックスが一人で夜道を行くきっかけになった些細な喧嘩は、軽薄なマルキュスが父親になることへの不安と苛立ちからである。この映画の中では幸福が不幸とつながっているのだ。神の手による残酷すぎる因果。そんな言葉さえ浮かんでしまう。ふって沸いた凄惨な悲劇を描いた物語ではない。これは失ってしまった幸福の姿を描いた物語である。
ラストシーンは公園で転寝するアレックスの姿、何の物語も動き出す前の穏やかな彼女の姿をもって描かれる。「時は全てを破壊する」 冒頭に示されるこの言葉の、なんとおそろしいことか。
あ、ちなみにこの映画は18歳未満の方は御覧になれません。あしからず。。。