この世界は完璧でしょうか。完璧と言える人はいないでしょう。
不完全だからこそ、天国や極楽というような完璧な世界を創造するのですから、この世界は不完全であろうと思います。
この世界はくだらないのでしょうか。そうではないのでしょうか。その中間でしょうか。
どちらかと言うつもりはありませんので、皆さん自身で考えてみてください。
著者:この世界はどのような所なのでしょうか。
ソクラテス:人生を謳歌するべき場所であり、そういう意味では素晴らしい場所だよ。
著者:そうでしょうか。この世界は、憎悪と暴力と欲望とゴマカシ、自尊心の比べ合い等、人間たちの醜い争いが支配している世界だと思います。
ソクラテス:それは一面に過ぎないだろう。人生とはすばらしい面があり、その点に目を向けたならば、代え難い天国にいるかのような感覚を受けることになる。
著者:そうでしょうか。一時的、一面的はそうかもしれませんが、多くの場合、くだらない世界に私には感じます。
著者:しょうもない自尊心から自慢したり、その自尊心から人をさげすみ、バカにして、機能的ではないブランド物を身に着け、悦に入っている。人から批判されれば、頭ごなしに否定し、攻撃し、感情のままに行動する。そのようなことが何かの役に立つと言えば、何の役にも立たない。ただ、自我が満たされるかどうかという観点だけで、行動を決定していく。その行動によって、自分以外の人々が目に涙を浮かべたとしても、気に掛けず。
ソクラテス:確かにそういう人々も存在するということを否定するつもりはない。しかし、それは一部の人々であり、その一部を全体化するというのは、無茶なことだろう。現実的なアプローチではない。
著者:そうでしょうか。そのようなくだらない人々は、そのような状況に置かれたため、その潜在する意識というか、自我、エゴ、どろどろした原初的な本当的な意思が、タガが外れたように生じてきただけではないでしょうか。つまり、多くの人々は発現するというシチュエーションに恵まれず、潜在しているだけで、本来は誰しもが内蔵しているグロい存在なのではないでしょうか。
ソクラテス:わしはそのようには考えたくはない。潜在的にはそのような要素があるとしても、哲学と知恵、忍耐によって、そのような要素を緩和または皆無にすることができると思っておる。
著者:抑制するということでしょうけれども、抑制するということは、悪いものを押さえつけているのであり、いわゆる根本的解決になっていないですね。潜在しているのですから、いつかタガが外れたときに、一気に、または徐々に表面化してくることになります。これは、事態の先送りをしているだけであり、現実から目を背けることです。何らの解決にもならないです。世界、人間の憎悪等が潜在している以上、いつか必ず表面化してくるはずです。
著者:むしろ、問題を潜在化し、問題意識を低下させ、問題解決までの時間を延ばし、覆い隠そうとしているのですから、厄介です。解決するきっかけ、機会を隠すのですから。
ソクラテス:君は、一部のサンプル、例を取り出し、それがあたかも全体を示しているような話し方するね。あくまで、一部であり、全体的に見れば、程度の差もあるはずだ。君は人間は全て一律の性質を全く等しく持っているとで言うのかね。君の言うことは、極端である。
著者:その意味することは理解します。しかし、そうは言っても、程度の差こそあれ、人間に共通する要素もあります。一部ではない。如何とし難い、抜き差し難い性質が、人間全体に存在しているのです。
ソクラテス:そうかもしれない。しかし、程度の差があることも認めている。程度が低ければ、わしが言っているように、哲学と知識、知恵によって、その君が言う潜在的悪徳がずっと表面化することがないのではないだろうか。それではダメなのだろうか。
ソクラテス:君は理想主義のようだ。一方、わしは現実主義のようだ。いくら悪徳があろうとも、それを抑制し、より良い人生を形作るということ力点を置いている。君は、何が何でも一粒の悪徳も許さず、神や仏になるべきだ、ならなければならないというニュアンスを感じる。どうかね。
著者:私は、今の世の中あまりにも悪徳が勝っていると思うのです。だから、とてもその部分が目につき、その悪徳を何とか無くすべきだという想いがあったのだと思います。
ソクラテス:わしも、抑制されない悪徳なぞ、全く寛容にはなれない。わしは、とにかく、哲学と智慧を人々にはよくよく学んで、身に着けてほしい願っている。
著者:それは同感ですね。
不完全だからこそ、天国や極楽というような完璧な世界を創造するのですから、この世界は不完全であろうと思います。
この世界はくだらないのでしょうか。そうではないのでしょうか。その中間でしょうか。
どちらかと言うつもりはありませんので、皆さん自身で考えてみてください。
著者:この世界はどのような所なのでしょうか。
ソクラテス:人生を謳歌するべき場所であり、そういう意味では素晴らしい場所だよ。
著者:そうでしょうか。この世界は、憎悪と暴力と欲望とゴマカシ、自尊心の比べ合い等、人間たちの醜い争いが支配している世界だと思います。
ソクラテス:それは一面に過ぎないだろう。人生とはすばらしい面があり、その点に目を向けたならば、代え難い天国にいるかのような感覚を受けることになる。
著者:そうでしょうか。一時的、一面的はそうかもしれませんが、多くの場合、くだらない世界に私には感じます。
著者:しょうもない自尊心から自慢したり、その自尊心から人をさげすみ、バカにして、機能的ではないブランド物を身に着け、悦に入っている。人から批判されれば、頭ごなしに否定し、攻撃し、感情のままに行動する。そのようなことが何かの役に立つと言えば、何の役にも立たない。ただ、自我が満たされるかどうかという観点だけで、行動を決定していく。その行動によって、自分以外の人々が目に涙を浮かべたとしても、気に掛けず。
ソクラテス:確かにそういう人々も存在するということを否定するつもりはない。しかし、それは一部の人々であり、その一部を全体化するというのは、無茶なことだろう。現実的なアプローチではない。
著者:そうでしょうか。そのようなくだらない人々は、そのような状況に置かれたため、その潜在する意識というか、自我、エゴ、どろどろした原初的な本当的な意思が、タガが外れたように生じてきただけではないでしょうか。つまり、多くの人々は発現するというシチュエーションに恵まれず、潜在しているだけで、本来は誰しもが内蔵しているグロい存在なのではないでしょうか。
ソクラテス:わしはそのようには考えたくはない。潜在的にはそのような要素があるとしても、哲学と知恵、忍耐によって、そのような要素を緩和または皆無にすることができると思っておる。
著者:抑制するということでしょうけれども、抑制するということは、悪いものを押さえつけているのであり、いわゆる根本的解決になっていないですね。潜在しているのですから、いつかタガが外れたときに、一気に、または徐々に表面化してくることになります。これは、事態の先送りをしているだけであり、現実から目を背けることです。何らの解決にもならないです。世界、人間の憎悪等が潜在している以上、いつか必ず表面化してくるはずです。
著者:むしろ、問題を潜在化し、問題意識を低下させ、問題解決までの時間を延ばし、覆い隠そうとしているのですから、厄介です。解決するきっかけ、機会を隠すのですから。
ソクラテス:君は、一部のサンプル、例を取り出し、それがあたかも全体を示しているような話し方するね。あくまで、一部であり、全体的に見れば、程度の差もあるはずだ。君は人間は全て一律の性質を全く等しく持っているとで言うのかね。君の言うことは、極端である。
著者:その意味することは理解します。しかし、そうは言っても、程度の差こそあれ、人間に共通する要素もあります。一部ではない。如何とし難い、抜き差し難い性質が、人間全体に存在しているのです。
ソクラテス:そうかもしれない。しかし、程度の差があることも認めている。程度が低ければ、わしが言っているように、哲学と知識、知恵によって、その君が言う潜在的悪徳がずっと表面化することがないのではないだろうか。それではダメなのだろうか。
ソクラテス:君は理想主義のようだ。一方、わしは現実主義のようだ。いくら悪徳があろうとも、それを抑制し、より良い人生を形作るということ力点を置いている。君は、何が何でも一粒の悪徳も許さず、神や仏になるべきだ、ならなければならないというニュアンスを感じる。どうかね。
著者:私は、今の世の中あまりにも悪徳が勝っていると思うのです。だから、とてもその部分が目につき、その悪徳を何とか無くすべきだという想いがあったのだと思います。
ソクラテス:わしも、抑制されない悪徳なぞ、全く寛容にはなれない。わしは、とにかく、哲学と智慧を人々にはよくよく学んで、身に着けてほしい願っている。
著者:それは同感ですね。