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聖教新聞に学ぶ

日々の聖教新聞から人間学を学ぶ

全国代表協議会〔下〕

2006-07-11 23:05:18 | スピーチ
一、先日、創価大学法科大学院のヘンリー幸田(こうだ)教授から、天才エ
ジソンが発明・製作した蓄音機(1913年、エジソン社製)をお贈りいただ
いた。
 幸田教授は日米知的財産権問題の権威で、アメリカで弁護士として活躍して
こられた。エジソンの発明品の収集家としても知られる。現在、蓄音機は、民
音音楽博物館(東京・信濃町)で、大切に展示されている。

◆≪発明王 エジソン≫
           ── 人間の欠陥は すぐあきらめること
           ── 成功するには もう一度やってみよ!
           ── 頭は鍛えるほど強くなる

◆「私にとって仕事は楽しみだ」
 一、教授からは蓄音機とあわせて、自著『天才エジソンの秘密 ── 母が教
えた7つのルール』(講談社エディトリアル)を頂戴した。
 その中から、いくつかエジソンの格言を紹介させていただきたい。
 「私にとって仕事は楽しみだ。義務と思ったことは一度もない」
 その通りだ。人間、こういう気概があってこそ、偉大な仕事ができる。
 「人間の最大の欠陥はすぐにあきらめることにある。成功するための最善の
方法は、もう一度やってみることだ」
 大事なのは、忍耐である。決してあきらめない執念である。その人に最後の
勝利は輝く。
 さらに、エジソンは言った。
 「頭は筋肉と同様、鍛えるほど強化される」
 確かに、学ぶことに限界はない。
 愚かでは広宣流布の指揮はとれない。リーダーは、常に学ぶことを怠っては
ならない。
 『三国志』の英雄・諸葛孔明(しょかつこうめい)も、指導者にあってはな
らない「八悪」の一つとして、「智慧に欠ける。したがって未知の事態に備え
ることができない」点を挙げたと伝えられる。〈守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』
徳間書店から〉

◆国家悪との闘争
 一、今年もまた、師弟の魂を刻む7月が巡り来る。「創価の師弟」の殉難の
歴史は、永遠に輝きわたる。
 ご存じの通り、正法正義(しょうほうしょうぎ)を掲げ、国家悪と戦い抜い
た牧口先生、戸田先生は、昭和18年(1943年)7月6日に逮捕。
 牧口先生は昭和19年11月18日に獄死され、戸田先生は昭和20年7月
3日に出獄された。
 法華経を持ち行ずる人は、必ず迫害される。
 「悪口罵詈(あっくめり)」され、「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の難を受
ける。
 これが法華経に説かれた方程式であり、広宣流布を成し遂げんとする人にと
っての、いわば"宿命"である。
 この経文の通りに、牧口先生も戸田先生も、弾圧され、投獄された。
 第3代の私も、さんざんに嫉妬された。追い落とすために、どれほど、あり
もしない作り話を書かれ、迫害を受けてきたことか。
 広宣流布を前進させたがゆえに、私も両先生と同じく、権力の迫害を受け、
牢に入った。「大阪事件」である。
 しかし、法華経の眼(まなこ)から見れば、それらは、むしろ名誉なことだ。
最も正しく、広宣流布を成し遂げている証拠だからである(大拍手)。
 〈「大阪事件」は、1957年(昭和32年)の参院選大阪地方区補欠選挙
で、一部の会員に公職選挙法の違反者が出たのに伴い、同年7月3日、支援責
任者だった名誉会長が不当逮捕された事件。
 事件の背景には、急速に発展する学会への、当局の警戒感があったと考えら
れる。
 大阪地裁での裁判で検察側は、一連の違反のうち戸別訪問が池田名誉会長の
指示によるものとの主張を展開。しかし公判を通じて、検察側の言い分は崩さ
れた。「禁固10カ月」が求刑されたものの、昭和37年1月25日、田中勇
雄裁判長から、名誉会長の「無罪」の判決が下された。
 もとより無実の罪であり、当然の公正な判決であるが、月刊誌「潮」で連載
中の「平和と文化の大城池田大作の軌跡」によれば、田中裁判長はのちに、「池
田会長は他の人と違う。輝いている。この人は将来、ものすごく偉くなる人」
と周囲に印象を語っていた。
 また、公判担当の検察官も、判決の直後に、池田名誉会長に「このような結
果になるのではないかと思っていた」と語りかけたという〉

◆逮捕直前まで折伏、座談会へ
 一、きょうは、牧口先生、戸田先生の遺徳を偲びつつ、両先生が逮捕された
経緯がどのようなものであったのか、あらためて確認しておきたい。
 牧口先生は昭和18年7月2日、二人の会員を伴い、伊豆の下田へ折伏に行
かれた。2日、3日、4日と連日、折伏のための座談会に出席。5日も現・下
田市須崎へ赴かれている。同行した友の父親を折伏するためであった。
 そして6日の朝、須崎で特高(とっこう)刑事二人に同行を求められる。下
田署まで4・7キロの道のりを歩かれ、逮捕された。
 暑い季節。しかも老齢の先生である。どれほど、お疲れであったろうか。
 この先生が連行された道沿いには、先生の殉教から60年となる2004年
1月に「下田牧口記念会館」が開館し、敷地内には「牧口常三郎先生法難頒徳
之碑(ほうなんしょうとくのひ)」が立っている。
 先生の逮捕の容疑は「治安維持法違反」ならびに「不敬罪」であった。
 すでに逮捕の数年前から、弾圧の手は伸びていた。
 昭和17年5月には、機関紙「価値創造」が廃刊に追い込まれる。座談会等
も昭和16年ころから特高刑事に監視されるようになっていた。
 昭和18年5月には、牧口先生が約1週間、東京・中野署に留置され、神札
(かみふだ)問題について取り調べを受けている。
 そういう状況にあってなお、牧口先生は、遠路、折伏に赴(おもむ)かれ、
座談会に出席された。
 逮捕のその時まで、広宣流布に一身を捧げておられたのである。
 一、戸田先生も同じ7月6日朝、同じ二つの罪状で、東京・白金台(しろか
ねだい)の自宅で逮捕され、高輪署(たかなわしょ)に留置された。
 一方、牧口先生は翌7日、下田署から警視庁に移される。
 逮捕の際には、牧口先生の目白の自宅をはじめ、創価教育学会本部、時習学
館(じしゅうがっかん)も家宅捜索され、御書や牧口先生の著作などが押収さ
れた。
 結局、翌年までに、逮捕者は21人に上った。
 その中で、ただお一人、戸田先生が、牧口先生とともに法難を忍び、獄死し
た師匠の遺志を継ぎ、師匠の仇を討つために立ち上がったのである。
 「師弟」「師弟」と口で言うのは簡単である。
 しかし戸田先生の牧口先生に対する思いがどれほどのものであったか。
 私はそれを、だれよりも知っている。そして、戸田先生が牧口先生にお仕え
したのと寸分違わぬ決意で、私は、戸田先生にお仕えしてきた。
 お二人の大闘争を偲び、世界に宣揚してきた。ご遺族も、誠心誠意、お守り
してきた。
 創価の3代にこそ、仏法の精神が脈動している。「師弟不二」がある。これ
以上に尊い人間の関係はないと、私は信じている。

◆「先生、お丈夫で」とただ一言
 一、逮捕から2カ月後の9月、警視庁特高課の取調室で、牧口先生と戸田先
生は一緒になられた。
 牧口先生の7回忌の法要で、戸田先生は、牧口先生が特高刑事に怒鳴られた
時の悔しさを述懐されている。
 〈家族からの差し入れの中にカミソリがあり、牧口初代会長がそれを懐かし
そうに手に取ると、特高刑事が大声で「牧口、おまえは何をもっているのか。
ここをどこと思う。刃物をいじるとはなにごとだ」と怒鳴った。
 戸田第2代会長は法要で、「先生は無念そうに、その刃物をおかれました。
身は国法に従えども、心は国法に従わず。先生は創価学会の会長である。その
ときの、わたくしのくやしさ」と心情を述べている〉
 そして同じ9月、牧口先生は、警視庁から巣鴨(すがも)の東京拘置所に移
送された。
 そこは3畳間の独房であった。
 移送の途中、警視庁内で、戸田先生は牧口先生と出会われた。
 「先生、お丈夫で」
 戸田先生が声をかけられると、牧口先生は無言でうなずかれた。これがお二
人の最後の別れとなった。
 以後、東京拘置所において、思想検事による、牧口先生への本格的な取り調
べが始まった。

◆主張を曲げず看守をも折伏
 一、「特高月報(とっこうげっぽう)」(昭和18年7月分)は、逮捕理由
になった牧口先生の言動について、こう記している。
 「会長牧口を中心とする関係者等の思想信仰には幾多不逞不穏(ふていふお
ん)のものあり」
 「『法華経、日蓮を誹謗すれば必ず罰が当る』『伊勢神宮など拝む要はない』
等不逞説法を流布せる」
 国家神道を全国民に強要した戦時下にあって、それが、どれほど勇気ある発
言であったか。
 牧口先生は、過酷な尋問に対しても、主張を曲げなかった。看守を折伏され、
絶えず御書を拝しておられた。
 あまりにも偉大な「創価の父」であられた。
 「特高月報」(昭和18年12月分)には、牧口先生の起訴状が掲載されて
いる。
 主な起訴理由として、逮捕までの約2年間に、「毎月約1回、幹部会を開催」
「4回にわたり総会を開催」「約240余回の座談会を開催」「10回の地方
指導」などを行ったことが列挙されている。
 「特高月報」が、厳然と、先師の偉大さを証明しているのである。

◆権力を恐れた宗門の卑劣な行動
 一、それでは、両先生が広宣流布のため、命をかけて国家権力と戦っている
間、宗門はどういう行動をとったのか。
 あろうことか宗門は、牧口・戸田先生が逮捕された7月、両先生らを「登山
止め」「末寺参詣禁止」処分。さらに、牧口先生を「信徒除名」にした。
 同月、牧口先生の留守宅に宗門の坊主が訪れ、ご家族に、牧口先生に退転を
勧めるよう要請し、断られている。
 すべて、宗門に累が及ぶのを恐れての、卑劣な行動であった。
 宗門は戦時中、神札容認など、さんざんに謗法をくり返したあげく、昭和2
0年6月17日に、大石寺で火災を起こした。神札が祭られていた書院をはじ
め主要な建物を焼失し、時の法主・日恭(にっきょう)は、逃げ遅れて焼死し
ている。
 この時、宗門には、広宣流布の「信心の血脈」は途絶えていた。
 ただ創価学会にのみ、厳然と流れていたのである。

◆「悔いない戦いは作戦で決まる」
 一、ここで再び、戸田先生のご指導を紹介したい。
 「"私はつまらない人間ですが、広宣流布にお使いください" ── と、そ
ういう人間になれ」
 よく先生が、青年に言われた言葉である。
 後継の青年たちが、一生涯、謙虚な気持ちを忘れないよう教えてくださった。
「弟子の生き方」を示してくださった。
 求道の心を失い、慢心に陥れば、ただちに人間としての堕落が始まる。それ
を教えてくださる師匠の存在は、本当にありがたいものである。
 「悔いのない戦いとは、事前の作戦にかかっている。これから将来にわたっ
ての広宣流布の法戦も、この原理を忘れてはならない」
 このように、先生は「作戦」の大切さを力説してやまなかった。
 よく考えよ、頭を使え、周到に準備せよ、と。勝負の大部分は、作戦の段階
で決まってしまうからだ。
 面倒くさがって準備をおろそかにしたり、作戦を軽視することは、敗北の「因」
をつくっていることになる。すべてリーダーの責任である。
 また戸田先生は、外交のできない人間は深く信頼できないと言われていた。
とくに青年に対して、外部とのしのぎを削る打ち合いの中でこそ、人間の地金
が磨かれることを教えられた。
 ゆえに私は、先生の教えのままに、先生のもとで、あらゆる外交戦の矢面に
立って戦った。


◆◆ 若さは生命力から湧く
◆◆≪戸田先生の女子部への指導≫
    ── 「信行学に励んで自分の生命に盤石の福運をつけることです」

◆女性よ勇敢に
 一、続いて、女性に対する戸田先生のご指導である。
 「女性は、常に勇敢に働ききっていく生命力を持ちなさい」
 「若さとは、生命力から湧くものだ」
 年は若くても、老いた感じを受ける人がいる。何歳になっても、若々しく輝
いている人がいる。
 その差は、「生命力」にある。
 とくに女子部の皆さんに、次の先生の言葉を贈りたい。
 「女性の幸福は青春時代では決まらない。青春時代は一生の幸福の土台を築
く鍛錬の時代だ」
 先生は、女子部が一人残らず、幸福になることを願われていた。
 どれほど外面を飾っても、真実の幸福はつかめない。妙法によってこそ、崩
れざる絶対的幸福の基盤を築くことができる。そのための信行学の実践である。
 「信行学に励んで、自分の生命に、盤石の福運をつけることです」と、厳し
くも温かく、先生は女子部を激励なされた。

◆「苦労をしても卑屈になるな」
 一、「だれでも苦労すると人間が卑屈になるが、それではいけない。どんな
に苦労をしても、いつまでも伸び伸びとしていなければね」 ── これも女子
部に対するご指導であった。
 人生に悩みはつきものである。悩みのない人生などありえない。
 ましてや、深き使命に生きる皆さまは、さまざまな壁にぶつかることがある
だろう。しかし、決して負けてはいけない。
 苦労が自分を磨き、鍛えてくれる。妙法を持った女性が幸福になりゆくこと
は、絶対に間違いない。
 最も苦しんだ人が、最も幸福になる。それが妙法である。

◆虚栄に生きるな
 一、鍛えなくして、強い人間にはなれない。
 「厳しく言われ、また厳しく言われながら、時が経てば、どんな人でもよく
なるのだ」と、先生は言っておられた。
 戸田先生は、青年が社会で生きる姿勢について、「その職場、職場で喜んで
生きていくことだ。青年は、自分の使命に生きることが大切である」と訴えて
いた。
 そして、「人生は地道に生きよ! 虚栄のために生きるな。真実に生きよ!忍
耐強く生きよ! 」と励ましてくださったのである。
 一、また、「捨て身でない狭い根性は人に好かれない」とのお言葉も忘れら
れない。
 自分のことばかり考えている、ずるい人間、利己主義の人間は嫌われる。リ
ーダーが、人から好かれなくなったら終わりである。
 広布のリーダーは、公平でなければならない。
 自分自身の利害が、いつも念頭にあるような人間は、公平に人を見ることが
できない。そうならないためには、深き信心に徹するしかない。
 「『組織の目』だけではなく、つねに『信心の目』で人を見なければならな
い。とくに、役職は高くなくても、本当にまじめな信心の方がおられる。その
方々を尊び、心から讃え、励まし、守っていく心が、自分自身の信心の証であ
ることを忘れてはならない」
 幹部の皆さんは、この戸田先生のご指導を肝に銘じていただきたい。

◆「仏弟子が仏法を破壊する」
 一、最後に、御聖訓を拝したい。
 「外道や悪人は、如来の正法を破ることはできない。必ず、仏弟子らが仏法
を破るのである。師子身中の虫が師子を内から食うとはこのことである」(御
書957ページ、通解)
 外の敵ではない。内部から仏法は破壊されるとの御金言である。
 仲間うちから、反逆の輩が現れる。これが方程式である。
 同志を裏切る卑劣な行いは、永久に許してはならない。
 仏法が、どれほど「恩」を重視しているか。
 御書には、「二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が
皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよ
りも過ぎたことである」(同435ページ、通解)と仰せである。
 二乗の心とは、利他を忘れて、自らの利に執着する心である。それでは恩に
報いることができない。ゆえに、十悪や五逆罪を犯すよりも、成仏の道を閉ざ
すことになるのである。
 名声、学歴、権力、地位を持った人間は、忘恩の心に陥りやすい。
 忘恩の人間は、例外なく苦悩の底に沈んでいく。その末路は悲惨である。私
はこれまで、大勢の人間を見てきたが、まさしく大聖人の御言葉の通りであっ
た。
 だからこそ仏法では、不知恩、忘恩を厳しく戒めるのである。


◆≪ロマン・ロランの名作の言葉≫
      「私は ただ勝利によって 己の道を開いているのだ」

◆正法の大善人をいかに遇(ぐう)するか
 一、日蓮大聖人は、いかなる困難をもかえりみず、ひとえに国を思い、民の
幸福を思い、正しき道を為政者に指し示した。
 ところが当時の権力者は、その正義の声に耳を傾けるどころか、大悪人と結
託し、命にも及ぶ迫害で報いた。
 これについて大聖人は、「『大悪人を用いる大罪』と『正法の大善人を辱め
る大罪』という二つの悪が、鼻を並べて、この国に出現したのである」(同3
57ページ、通解)と仰せになり、だから「前代未聞の大事」(同ページ)が
この国に起きたのであると述べられている。
 「正法の大善人」をいかに遇するか。それによって、その社会の未来は決ま
る。
 一、大聖人は「人に食を施(ほどこ)す」功徳について、「力を授けること
で、人間界、天上界に生まれて威徳を備えた人となって、多くの人々がその周
りに集まる」(同1237ページ、通解)等と言われている。
 日夜、勇気と希望の励ましに奔走し、人々に「生きる力」を送っておられる
皆さまの功徳も、きわめて大きい。
 生々世々(しょうじょうせぜ)、各界のリーダーとなり、多くの人が周囲に
集まってくる立場となっていくことは間違いない。
 一、結びに、フランスの文豪ロマン・ロランの名作の一節に、我らの決意を
託したい。
 「予(よ)はただ勝利によって己が道を開いているのだ」(豊島与志雄訳『ジ
ャン・クリストフ』岩波文庫)
 私どもも、これで行こう!
 勝利によって「道」を開こう!
 どこまでも、学会のために、勝っていこう!(大拍手)
 私は、後に続く皆さんのために、盤石なる広布の基盤を整えておく。
 それは、私の、後輩に対する贈り物である。そのために今、着々と手を打っ
ているとお伝えし、私のスピーチを終わります。
 きょうは、長時間、本当にありがとう! (大拍手)