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聖教新聞に学ぶ

日々の聖教新聞から人間学を学ぶ

友誼の道74

2007-07-28 08:49:24 | 新・人間革命
遂に別れの朝が来た。それは、永遠なる友誼への新しき旅立ちの朝であった。
 午前八時、山本伸一の一行は、宿舎の広東迎賓館を出発した。
 広州駅で、北京到着以来、一緒であった中日友好協会秘書長の孫平化、陳永昌と別れた。
 葉啓ヨウと殷蓮玉は、出迎えてくれた深センまで送ってくれるという。
 一行の乗った列車が、中国最後の駅である深セン駅に到着したのは、午前十時五分であった。そこから、往路と同様に、徒歩で香港側の羅湖駅に向かった。
 狭いところでは川幅が数メートルほどの小さな川が、中国とイギリス領香港との境界線である。この川に架かる鉄橋で、葉啓ヨウと殷蓮玉ともお別れである。
 伸一は二人に言った。
 「大変にお世話になりました。お二人のご恩は生涯、忘れません。
 私たちの友情は永遠です。また、お会いしましょう。ぜひ、日本にも来てください」
 伸一は、二人と固い握手を交わした。
 そして、伸一は葉啓ヨウの、峯子は殷蓮玉の肩を強く抱き締めた。
 それから、訪中団のメンバー全員が、この二人の案内者と握手した。
 名残は尽きなかった。
 「謝謝。再見!」(ありがとう。さようなら)
 伸一は笑顔で言うと、歩き始めた。
 葉と殷は目を潤ませ、一行の後ろ姿に、いつまでも手を振り続けた。
 伸一たちも、何度も振り返っては、「再見!」と叫んで手を振った。
 まさに、そこに確かなる友誼の実像があった。
 伸一は、歩きながら、深く心に誓っていた。
 “この中国の友人たちのためにも、中ソの戦争は絶対に回避しなければならない。さあ、次はソ連だ!”
 彼の胸には、中ソの平和を実現するための、新たなる闘魂が赤々と燃え上がっていた。
 「私は今までやっていた仕事が仕上がったその日に、次の仕事を始めたものであった。一息入れて休むということは絶対にしなかった」(注)
 これは、伸一が対談を重ねたトインビー博士の信念である。大業を成すための要件といえよう。
 なお、博士は、伸一の訪中の直前に、心からの喜びの声を寄せてくれていた。



友誼の道73

2007-07-28 08:48:48 | 新・人間革命
一切の予定を終えた山本伸一は、孫平化秘書長をはじめ、中日友好協会の関係者と、宿舎の広東迎賓館で、三時間近くにわたって懇談した。
 ここでは、人間をどうとらえるかをめぐって、議論が交わされた。
 伸一は、人間を集団化された階級としてとらえて判別するのではなく、一個の人間という視点に立って、人間を見ていくことが、今後の中国の発展のうえで、大きな力になるのではないかと語った。
 彼は友人として中国の繁栄を願い、誠実に自分の思いをぶつけ、対話に努めた。
 自分の接した身近な人と、信義と友情に結ばれてこそ、本当の意味での国と国との友誼の道も開かれる。眼前の一人と、どこまで心を結び合えるかである。
 また、伸一は、中国滞在中の関係者のこまやかな配慮に、何度も、感謝の言葉を述べた。
 「皆さんと出会え、皆さんの真心に接し、毎日が感動の連続でした。有意義な中国訪問となりました。皆さんと友人になれたこと自体が、訪中の最高の収穫です」
 一国の印象も、身近に接した人によって決まってしまうものだ。大切なのは人である。
 伸一は、最後に、中日友好協会の関係者に、次々と真心の句を色紙に認めて贈った。
 秘書長の孫平化には、「晴れの日も 雨にもかわらぬ 友誼かな」と。
 滞在中、親身になって世話をしてくれた葉啓ヨウと殷蓮玉には、「忘れまじ 世々代々の 歴史旅」「中日の 心と心の 金の橋」と詠んだ。
 北京から同行してくれた陳永昌という青年には、「ともどもに 人民の道 友の旗」との句を贈った。
 すると、孫平化も筆を執った。まず、伸一と峯子に、「中日友好 松柏長青」(中日友好は松、柏のように永遠に)、「友好伝万代」(友好は万代に伝う)と揮毫してくれた。
 さらに訪中団全員のために、「為人民服務」(人民に奉仕する)と認め、その下に四人が署名して贈ってくれたのだ。
 「ありがとうございます。これこそ学会の精神です。共々に、日中の人民、世界の民衆の幸福のために奉仕しましょう」
 伸一と孫平化は、固い握手を交わし合った。


友誼の道72

2007-07-28 08:48:06 | 新・人間革命
中国訪問も、間もなく終わろうとしていた。
 翌六月十四日の昼、山本伸一たちの一行は、上海を発って、空路、広州に向かった。
 中日友好協会の孫平化秘書長は、広州まで、行動を共にしてくれた。
 広州には午後三時前に到着し、夕方、「広州農民運動講習所」を訪ねた。ここは中国革命の原動力となった場所である。
 一九二四年(大正十三年)七月に開校し、中国全土から集って来た青年が講習を受け、農民運動を果敢に展開していったのである。
 毛沢東も数カ月の間、この講習所の所長を務め、周恩来も講師として教えている。
 青年たちは、ここで軍事教育も受け、故郷に帰って農民を組織するなどして、旧体制の巨木を切り倒していったのだ。
 だが、残念なことには、その途上で、多くの若人が亡くなっている。
 何が無名の農村青年たちを、一騎当千の革命の旗手に育て上げていったのか――伸一の関心は、そこにあった。
 もちろん、背景には、地主や役人の横暴や、疲弊し切った農民生活の惨状があったことはいうまでもない。
 この講習所で毛沢東が使ったという部屋を見ると、質素そのものであった。置かれていたベッドも、いかにも硬そうな、木製のものである。
 つまり、指導者も、質実剛健に徹し、青年と一緒になって生活し、行動していたのだ。
 そのなかで、強い共感と同志の絆が育まれ、青年たちは志を固めていったにちがいない。
 また、食堂を見学した折に、案内者は、こう教えてくれた。
 「中国の北からの学生には、彼らの習慣にしたがって、麺類を用意し、豚肉を食べない少数民族の青年たちには、牛肉が用意されました」
 厳しい講習の日々のなかでも、指導者の温かい配慮が光る話である。
 その思いやり、気遣いに対する感激と感謝が、青年たちの闘魂を燃え上がらせ、人間を強くしていったのであろう。真心が人間を育んだのだ。
 訪中最後の夜となるこの夜、一行は広州市の要人たちと食事を共にした。伸一も、峯子も、懸命に対話に努めた。友誼の道を開くために、最後の最後まで情熱を燃え上がらせるのであった。



友誼の道71

2007-07-25 09:44:40 | 新・人間革命


 人民公社での青年たちとの語らいは、結婚観から、「労働についての考え方」「物質的
な繁栄が実現したあとの課題」など、多岐にわたった。

 青年同士が友好を深めるうえでも、中国を知るうえでも、実に有意義な語らいとなった。

 この夜、山本伸一たちが上海でお世話になった方々を招いて、宿舎の錦江飯店で答礼宴
が行われた。

 出席者を出迎えた学生部長の田原薫が、一人の青年を見て声をあげた。

「あっ、ここでお会いできるとは!」

 その青年は、四カ月前に来日した中国青年代表団の一員であった。

 この代表団を歓迎する学生大集会が、東京大学で行われ、創価学会学生部は、この実行
委員会の要請を受けて、田原らがこれに参加し、熱烈歓迎したのである。

 席上、あいさつに立った田原は、伸一の「日中国交正常化提言」の精神を踏まえて、
「日中の永遠の不戦」「平等互恵の精神で両国の発展を推進する」「日中両学生の友好で
アジアの平和と繁栄を図る」ことを訴えた。

 さらに、「あらゆる体制やイデオロギーの壁を乗り越え、中国の青年の皆さんと共に、
世界の民衆の幸福のために、力強く前進していきたい」と呼びかけたのである。

 その集会で田原は、この青年と固い握手を交わしていたのである。

 そして、思いがけなくも、ここで対面したのだ。

 伸一は一九六八年(昭和四十三年)の学生部総会で「日中国交正常化提言」を行った時、
日中の青年が手に手を取って、友好と平和を誓い合う日を思い描いた。

 彼は、今、手を握り合って再会を喜ぶ二人の青年を見ながら、その夢が実現しつつある
ことを感じるのであった。

 渓流も、やがては大河となる。日中の友好は青年に受け継がれ、何をもってしても止め
ることのできない、時代の本流となるにちがいない。

 ビクトル・ユゴーは叫んでいる。

「光の点は大きくなります。光の点は時々刻々と大きくなります。それは未来です」(注)

 ゆえに、未来のために、今、火をともし、光を掲げることだ。今日、何をするかだ。

 青年の友情が燃え輝くなかに、上海の夜は過ぎていった。


友誼の道70

2007-07-25 09:44:08 | 新・人間革命


 青年は頬を紅潮させて語った。

「人びとに励まされ、頑張り抜いたという体験は、私の大きな自信になりました」

 続いて、親元を離れ、ここで初めて農作業を経験したという女性も、体験を語り始めた。

「最初は激しい労働に疲れ果て、体も痛み、食べ物も喉を通りませんでした。そんな日が
続き、農業などやめて、両親のもとに帰りたいと思うようになりました」

 彼女は「その迷いを先輩に聞いてもらい、弱い心に打ち勝って、自分を強くすることが
できました」と言う。

 先輩は、解放前、多くの人民が餓死し、虐殺されていった様子を、自分の生々しい体験
を通して語り、こう訴えた。

「人民が苦汁をなめた時代に、絶対に逆戻りさせてはならない。そのために苦労に耐えて、
人民のための社会を、さらに完成させていくのよ」

 その先輩との触れ合いから、彼女は、「人民に奉仕する」自分をつくるには、よき先輩
の触発が大事であると強調した。

 人間は一面、弱いものだともいえる。一人になれば、何かあると、思想も、信念も、揺
らぎがちなものだ。

 それだけに、自分を励まし、啓発してくれる人が必要となる。

 また、彼女は、解放前の人民の苦しみという原点を忘れないことが大切であると言う。

 そして、若い世代にとっては、先輩から、当時の人民の様子や解放のための苦闘を聞き、
体験を共有し合うことが、原点になると語っていた。

 原点に立ち返るならば「なんのため」という根本目的が明らかになり、力が出る。ゆえ
に、心に原点を刻んだ人は強い。

 新中国の成立から、すでに四半世紀が過ぎようとしている。解放前と比べ、中国は発展
したが、かつての惨状を知らない世代が育っている。

 草創の魂、革命精神を失えば、どうしても安逸に流され、腐敗、堕落が始まる。そうな
れば、建国の理想は崩れ去っていく。だからこそ、中国は「自己変革」の方途を、必死に
なって模索しているのであろう。

 山本伸一は、中国の青年たちに活力があることが嬉しかった。青年が生き生きと活躍し
ているところには、希望の未来があるからだ。


友誼の道69

2007-07-25 09:43:33 | 新・人間革命


 山本伸一の一行は、この六月十二日の午後十時過ぎに上海に戻った。

 そして、翌十三日午前には、上海市普陀(プートゥー)区の「曹楊新村」(ツァオヤン
シンスン)を訪れた。

 ここは、一万五千世帯、七万人の人びとが住む労働者団地である。

 伸一と峯子は、託児所や幼稚園も訪れた。子どもたちに頬ずりし、時には膝の上に抱き
ながらの参観であった。

 子どもたちは、かわいらしい歌や踊りを披露し、歓迎してくれた。それは、まるで天使
の踊りのようであった。

 伸一は、お礼にとピアノに向かい、「さくら」「春が来た」「むすんでひらいて」を演
奏した。

 子どもたちはニコニコして、リズムに合わせて手や首を動かしながら、その演奏を聴い
ていた。

 心は、深く、強く、通じ合っていった。

 子どもたちに寄せる伸一の親愛の情を、誰もが感じ取ったようだ。

「音楽は人類普遍の言語である」(注)とは、アメリカの詩人ロングフェローの言葉であ
る。

    
 一行は午後には、虹橋(ホンチャオ)人民公社を訪れ、工場や地下用水路などを見たあ
と、この公社で働く七人の青年と語り合った。

 伸一は率直に尋ねた。

「『人民に奉仕する』ということは、新中国の根本をなす教育思想であると思います。

 しかし、その精神に立てない青年もいるのではないでしょうか。そういう青年に対して
は、どのように啓発を行っていますか」

 すると、一人の青年が、自分の体験を語った。

「私は農業に従事していますが、農作業を始めたころは、天秤棒を使って土を運ぼうとし
ても、すぐにバランスが崩れ、歩くに歩けませんでした。

 その時に、私をなぐさめ、勇気づけ、畑仕事を一生懸命に教えてくれたのが、かつて貧
農であった人でした。

『頑張るんだよ』との、温かい励ましは、忘れられません。

 この素朴な触れ合いを通して、私は人間の真心を、すばらしさを実感し、この人たちに
奉仕しようと決めました」

 人民と行動し、苦楽を共にし、人民に学ぶことが、人民への奉仕の心を培うというのだ。

友誼の道68

2007-07-25 09:43:03 | 新・人間革命


 山本伸一は、居合わせた壮年に、笑顔で声をかけた。

「私は日本からまいりました。西湖の美しさは日本でも有名なんです」

 伸一の笑顔に、壮年も笑顔で応えた。

「日本の桜も有名ですよ。桜の季節は美しいと聞いています」

 二言、三言、言葉を交わすうちに、たちまち心は打ち解けていった。

 伸一は言った。

「では、日中の友好を願って、桜に関係する歌を皆さんにお聴かせしましょう」

 同行のメンバーが「桜花爛漫の歌」を合唱した。


  桜花爛漫 月朧ろ
 
 胡蝶の舞を …………


 歌い終わると拍手が起こった。

 伸一は、雨宿りをしていた人のなかに一人の少年を見つけると、励ましの言葉をかけた。

「君たちが二十一世紀の主役です。しっかり勉強して、立派な人になってください。日本
へも、ぜひ来てください」

 通訳が伝えると、少年は、はにかみながら笑いを浮かべて頷いた。

 また、経験豊富な鉱山労働者だという人には、こう語りかけた。

「力を使い、大変であるかもしれませんが、尊い仕事です。どうか、いつまでも長生きを
してください。

 あなたが元気であるということが、人民の勝利です」

 その壮年は、嬉しそうに答えた。

「そう言われると、やる気が出るね。頑張ろうという気になるよ。あんたも元気でな!」

「ありがとう。お互いに永遠の青年でいきましょう」

 二人は、笑顔で握手を交わした。

 花港観魚公園をあとにした時、同行していた学生部長の田原薫が、伸一に尋ねた。

「先生は、いつ、どこにあっても、相手の心を的確にとらえた、励ましの言葉をかけられ
ますが、その秘訣はなんなのでしょうか」

 伸一は言った。

「秘訣などあるわけがない。私は真剣なんだ。

 この人と会えるのは今しかない。そのなかで、どうすれば心を結び合えるかを考え、神
経を研ぎ澄まし、生命を削っているのだ。その真剣さこそが、智慧となり、力となるんだ
よ!」


友誼の道67

2007-07-25 09:42:21 | 新・人間革命


 杭州(ハンチョウ)の街は雨に霞んでいた。水に濡れた梧桐や柳の緑が、一段と鮮やか
さを増していた。

 六月十二日、山本伸一の一行は、西湖と絹織物で知られる浙江省の省都・杭州にいた。

 前日の十一日、上海で少年宮を訪問したあと、午後七時半に列車に乗り、深夜十一時近
くに杭州に着いたのである。

 伸一は、車中での三時間余、同行してくれた孫平化秘書長と、創価学会が何をめざして
いるか、また、日中関係の未来などについて、盛んに意見を交換し合った。

 孫秘書長は、創価学会を理解してくれている中国の友人である。しかし、さらに深く、
創価学会の現状と真実を知ってもらおうと、伸一は必死であった。

 学会を取り巻く状況は刻一刻と変化している。そのなかで、常に正しい認識をもっても
らうには、対話し続けていくことが大切になる。また、その内容も、より深まっていかな
くてはならない。

 十二日午前、伸一たちは、錦の織物工場を訪問したのである。

 製造過程の説明を受けたあと、製品が色鮮やかに織り上げられ、完成するまでを見学し
た。優れた技術であった。

 午後、一行は西湖に案内された。西湖は周囲十五キロほどで、緑の山に囲まれた風光明
媚な湖である。

 北宋の詩人・蘇東坡が「山色 空濛として 雨も亦奇なり」と詩ったように、雨の西湖
には、風情があった。

 船で湖上を巡ったあと、湖畔の花港観魚公園を訪れた。雨は、まだやまなかった。

 一行は、公園の休憩所で雨宿りした。そこには二十人ほどの人が、雨がやむのを待って
いた。

 伸一は、気さくに声をかけた。中国の民衆と触れ合うことができる、よい機会である。

 彼は、なんのための訪中かを思うと、わずかな時間も無駄にはできなかった。一人でも
多くの人と対話し、友好の絆を結びたかった。

 八億といわれる中国人民である。一人ひとりとの対話は、あまりにも小さなことのよう
に思えるかもしれない。しかし、一滴の水が大河となるように、すべては一人から始まる
のだ。一人から開けるのだ。ゆえに、一人を大事にすることだ。


友誼の道66

2007-07-25 09:41:49 | 新・人間革命


 山本伸一も、峯子も、子どもたちのなかに入って、楽しく交流した。一緒に輪投げもし
た。五目並べもした。

 模型飛行機を製作している部屋にも足を運んだ。楽しそうに作業に励んでいた少年に伸
一が話しかけると、少年は胸を張って語った。

「大きくなったら、本物の飛行機を造って日本へ行きます」

 伸一は答えた。

「その時は、ぜひお会いしましょう。その飛行機にも乗せてください」

 少年は、ニコニコしながら、伸一の差し出した手を、ぎゅっと握った。

 子どもたちは、訪中団のために、演奏や歌も披露してくれた。

 伸一は語った。

「今日は、皆さんの清らかな心に触れ、生命が洗われるような思いがしました。忘れがた
い半日でした。

 皆さんは、未来からの使者です。人類の宝です。皆さんのことは、日本のお友だちにも、
必ず伝えます」

 すると、一人の少女が代表して言った。

「山本のおじさん。私たちは、中日両国の友好のために、山本のおじさんが大変に努力し
てくれたことを知っています。

 私たちは、日本の子どもたちと、友情を結びたいと思います。

 今日のことは、学校で、みんなに伝えます」

 一行は、子どもたちの笑顔と歓声に送られ、少年宮を後にした。

 伸一は、少年少女たちの、さわやかさ、清らかさに、感動を覚えた。その余韻は、いつ
までも消えなかった。

 彼は、この子どもたちのためにも、日本と中国の万代にわたる友好の絆を、強く、固く、
結んでいかなくてはならないと思った。

 さらに、頭に浮かぶのは、中ソの関係悪化の問題であった。

“ひとたび中ソ間で戦争が起これば、この子どもたちはどうなってしまうのか……。

 かわいい少年少女たちのためにも、絶対に、中ソ間の平和を実現しなくてはならない。

 ソ連では、中国の人びとの思いを、力の限り、生命の限り、訴え抜こう”

 伸一は、固く拳を握りしめていた。

 強き信念と深き決意から発する、懸命にして誠実なる行動は、いかなる状況をも、必ず
切り開いていくものだ。

友誼の道65

2007-07-25 09:41:19 | 新・人間革命


 山本伸一は、笑顔で話を続けた。

「私は、日本の富士鼓笛隊の少女たちから、友情のしるしとして、プレゼントを預かって
きました。レコードとファイフ(横笛)二十本です。

 このレコードは、真心を込めて、自分たちで演奏した、『小朋友』(小さなお友だち)
というレコードです。また、ファイフを包んでいる袋も、全部、手作りです」

 さらに、語学の勉強に役立つようにと、伸一はテープレコーダーなどを贈るのであった。

 その時、一人の少女が立ち上がった。

「私たちの思いを詩にしましたので、聞いてください」

 即興詩の朗読である。

「おじさま、おばさまからの贈り物。

 私たちの心は、喜びに高鳴る。

 一つ一つのプレゼントから、友情が伝わる。

 中国と日本の人民の、心と心はつながる」

 伸一は、大きな拍手をした。

「すばらしい。ありがとう。大詩人です!」

 彼は、子どもに詩心が育っていることが、何よりも嬉しかったのだ。

 それから一行は、さまざまな教室を参観した。

 習字をしている部屋に入ると、七歳の少年が書いたという作品が壁に張られていた。見
事な字であった。


 爺爺七歳去討飯

 バーバ七歳去逃荒

 今年我也七歳了

 高高興興把学上

  
 <祖父は、七歳の時に物乞いになった。父は、七歳の時に飢饉のため、故郷を逃げて流
浪した。今年、私は七歳になり、このように喜んで学校で、勉学に励んでいる>

 戦乱や自然災害、封建的な制度によって塗炭の苦しみをなめてきた民衆が、新しい中国
が誕生し、飢えることなく、子どもは教育を受けられるようになった。

 詩には、中華人民共和国の不滅の初心がある。

 人民の解放、人民の幸福――そのための新中国の建設であったし、その実現に向かって
歩み始めた国を、人民は誇りとしているのである。

 国も、個人も、この初心を、絶対に忘れてはなるまい。常に、この初心に帰って、みず
みずしい心で挑戦を重ねていくなかに、新しき向上があるからだ。