徒然なるままに/ 脱原発「アンコウ」

徒然なるままに
原発・訴訟・原告

(ブログ開設1354日目の正月に)、戦後75年、自分80歳に、徒然なる思いを綴る!!

2020-01-03 16:12:07 | 徒然なるままに
1月3日の中日新聞社説が教えてくれたことが、’命は奇跡のつながり,でした。
小学5年生で西尾市の杉浦菜々実チャンが、作文に書いた言葉でした。90歳のひいおじいちゃんから聞いた、戦争が終わろうとする1,945年6月浜松空襲で、自分の隣の防空壕に逃げ込んだ親友が、爆弾の直撃を受けて亡くなったといいます。と同時にもう2年早く生まれていたら、戦争行かなければならなかった、と、とも語りました。この話を聞いて菜々実チャンは胸がどきどきしたといいます。と同時にひいじいちゃんが生きていたから、ひいおばあちゃんと結婚できて、わたしまでつながっています。と作文に綴られたのです。

80歳まで生き延びられた私が迎えた正月に、うえの話に出会い自分も、命の奇跡のつながりを、強く思い80年の歩みをい起こさせました。
ここ7年あまり、戦争の経験をしていない政治家が,先導・暴走して戦争に突き進んでしまうことを可能にし、憲法に反する法律:安全保障法関連法・「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法など、この国の在り方を左右する法律が、十分な論議を尽くさないまま、決めることが大事だと、議員の数をものに、矢継ぎ早にとおし成立させてしまいました。
これらは、私が生まれた1939年・昭和14年当時「命を粗末に扱う・危険満載の法律を許した大日本国憲法」下にあった悪法そっくりそのものです。
私たちの先輩は、これら悪法の下で国内を荒廃させた側面と、近隣諸国に多大な損害を与えた側面の両方を深く反省し、戦後の日本を日本国憲法で、命を一番に大切にする、平和主義の国家に生まれ変わらせ、75年も維持し続けています。この憲法は、永久に変えることはないとも認められています。いま、この憲法を取り急ぎ改正する事情は、何一つないと思います。
私は、終戦の明る年小学校1年生でした。この日本国憲法ができた年です。
命や・人生を語るとき、その基本にある社会・政治・憲法・考え方は、戦前と戦後ではまるっきり天と地との違いがあります。
私たちは、菜々実ちゃんをが感受した「命は奇跡のつなが
り」の、戦争の話など、国内を荒廃させた側面と、近隣諸国に多大な損害を与えた側面の数々のお話を、今こそ語りつなげねばと思います。年寄りは、年寄りらしくおだやかに!!
いま、ここに自分がいるのは「きせきのつながり」の結果だと。社説は、結んでいました。

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