先日、仕事中に食べた「文右衛門そば」で、気になることがあり聞いてみた。
「最初のお店はどこでしたか」
「大塚です」
「じゃあ、高橋さんだ」
「創業者ですね、今は経営が変りました」
一挙にいろんなことを思い出した。
彼は、私の90歳の母の女学校の同級生の息子で、40年前に、新しいそば屋
がやりたいといって、このチェーン店を創業したのだった。
じつは私が初めてテレビというものを見たのが、彼の父親のやっていた昔な
がらのそば屋の店内だったのだ。
都電荒川線の線路から道一本入ったあたり。昭和32年ごろ?
民放テレビの放映が30年からだから、だいたい合っていると思う。
ダイヤルを回す方式のチャンネルで、数字は6までしかなかった。
受像機の値段は月給の5~6倍はしたろう。高い位置にあって、ほとんど神
棚状態。番組などは全く覚えていない。
もちろん白黒。でも衝撃は大きかった。
えらい親切にしてもらったあの「新ちゃん」は今どこで何をしているのだろ
うか。(2010.8.1記)
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