牛山センセイの「秘境駅へ行こう」を見ていたら、張碓駅の扱いが特別だったので
うれしくなった。
20年前の私は、夏の日曜日のほとんどをこの駅のまわりで過ごしていたので、
多分誰よりも詳しいだろう。
冬は無茶だが、無雪期なら今でも簡単にアクセスできるはず。
なんたって明治末までは、札幌ー小樽間の道路はここにしか通っていなかったのだ。
その道路上に北炭(いやまだ開拓使だった)は無理くり鉄道を通した。
ほとんど路面電車みたいなものだ。
当時の地図をみると、踏切らしきものが無数にある。
時速20~30㌔だからなんとかなったが、危険なことこのうえない。
ロシアとの関係が怪しくなると、張碓峠を越える山道が切り開かれた。
今も断片的に残る軍事道路。
しかしカーブがきつくて車は通れない。
昭和5年頃やっと今の国道5号線が崖の上に通って、下の道は鉄道専用になったわけ。
だから今でも明治以前の道がそのまま残っている。
線路で寸断されているので、使えるとは限らないが。
それでも軽自動車なら張碓駅の寸前まで入れるはず。
少なくとも20年前はそうだった。
小樽から札幌に向かい5号線を途中で左折、
トンネルの上部をかすめるルート。
知人はそうやって張碓の海で泳いでいたのだ。
8月も下旬になると、さしも賑わう海水浴場も人っ子一人いない。
それをいいことに水着を持たず、トップレスどころかボトムレスで
海に入るのが最高に気持ちいいのだとか。
脇を快速列車がビュンビュン飛ばしているところで、裸で甲羅干しをするのが
趣味の30代女性。
これは現実の光景である。
「なぜここに駅を」との質問だが、後背地に結構な人口をかかえ、
船着場まであったのだから当然。
張碓は江戸時代からの大集落だし、もともとニシン場。
国道にバスなど走っていなかったことをお忘れなく。
別の知人(今70代)は高校時代ここから札幌に汽車通学した思い出を語ってくれた。
鉄道の駅の有無が死活問題だった時代。
私は語り部になってしまったのか?(2012.4.28記)
他の方の近況レポートを見ているとなかなかアクセスに苦労しているようなので、
私も10数年ぶりに現地に行ってみることにした。
今でも簡単に行けるはずだが、結果はご報告します。
なにしろヒマなので。
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