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茨城県南を中心に活動しているジャズビックバンドです

12/23曲目解説⑧

2006年12月22日 09時22分24秒 | コラム
【Twinkle twinkle little star】

有名な童謡「きらきら星」ですね。

この曲は、元々、18世紀に流行したフランスの民謡(シャンソン)「Ah! Vous dirais-je, Maman(あのね、お母さん)」なのだそうです。童謡では無かったそうです。

イギリスの詩人、ジェーン・テイラーの1806年の英語詩 “The Star” による替え歌 “Twinkle, twinkle, little star”(きらめく小さなお星様)が童謡として世界的に広まり、世界で愛唱されるようになったのだそうです。

英語のアルファベットを覚えるための「ABCの歌」としても、メロディーが使用されていますね。

モーツアルトの作曲によるピアノ曲「きらきら星変奏曲」が有名ですが、彼は、当時流行っていたメロディーを元に変奏曲を作曲したのだそうです。

英語の歌詞は・・・

Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky.
Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!

きらめく、きらめく、小さなお星様
なんて不思議なことでしょう
世界の上でそんなに高く
まるでお空のダイアモンドのように
きらめく、きらめく、小さなお星様
なんて不思議なことでしょう

です。でも、日本で有名なのはこちら・・

きらきらひかる おそらのほしよ
まばたきしては みんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ

きらきらひかる おそらのほしよ
みんなのうたが とどくといいな
きらきらひかる おそらのほしよ

ですよね。

明日は、ビックバンドとオルガンで演奏します。
綺麗な星の夜空になると良いですね。
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曲目解説⑦

2006年12月20日 16時39分53秒 | コラム
【The Christmas Song】

これも、有名なクリスマスのスタンダードソングです。クリスマス時期に街角で流れていますよね。

1944年にメルトーメが作曲(19歳のときに!)、1946年にナットキングコールが歌い、大ヒットさせました。色々な歌手がカバーしていますが、定番と言えばナットキングコールなんだそうです。

ナットキングコールは、1919年アメリカ生まれの歌手・ピアニスト。本名はナタニエル・コール。キングは愛称だそうです。「スターダスト」「ルート66」「モナ・リザ」「ホエン・アイ・フォーリング・ラブ」等、有名な持ち歌が沢山あります。1965年死去。結構若くして亡くなっていますね。娘のナタリー・コールも有名なジャズシンガーです。

歌詞は

All thru' the year we waited
Waited thru' Spring and Fall
To hear silver bells ringing at Wintertime
Bringing the happiest season of all

Chestnuts roasting on an open fire,
Jack Frost nipping at your nose,
Yuletide carols being sung by a choir,
And folks dressed up like Eskimos.

Everybody knows a turkey and some mistletoe,
Will help to make the season bright,
And tiny tots with their eyes all aglow,
Will find it hard to sleep tonight.

They know that Santa's on his way
He's loaded lots of toys and goodies on his sleigh,
And ev'ry mother's child is gonna spy,
To see if reindeer really know how to fly.

And so I'm offering this simple phrase,
To kids from one to ninety-two,
Although it's been said
Many times, many ways
"Merry Christmas, Merry Christmas,
Merry Christmas to you."

一年中、皆んな待ってたんだ、
春から、秋を通して、
冬の銀の鐘が鳴るのを、
一番幸せな季節が遣って来るんだ、
栗が火に焼けて、
冬将軍が鼻を刺して、
聖歌が、コーラスに唄われて、
人々はエスキモーみたいに着飾ってる。
誰もが知ってる、七面鳥とヤドリギが、
このシーズンを輝かせてるのを、
小さな子等が皆んな目を真っ赤にして、
眠れないのを感じる今夜。
彼等はサンタが遣って来るのを知ってる、
荷物は、沢山のオモチャとお菓子をソリに積み、
皆んな誰だって、調べるのさ、
トナカイが本当に空を飛ぶのかを。
そして、僕は贈ります、この簡単な一行を、
1歳から92歳の子供達に、
前からずーっと、
何度も、色々と言われてるけど…、
メリー・クリスマス・トゥ・ユー。

クリスマスは誰しもワクワクし、子どもに帰るのでしょうね。
いくつになっても・・。

皆様にもステキなクリスマスが訪れることを祈って演奏します。
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曲目解説⑥

2006年12月20日 10時17分08秒 | コラム
【White Christmas】

この時期になると、必ず街のどこかでかかっている曲ですね。
皆さんも良くご存知の曲だと思います。

作詞作曲は、前述のアーヴィング・バーリン。歌はビング・クロスビー。

この曲は、最初、ミュージカル2大スター ビング・クロスビーとフレッド・アステアが共演したミュージカル映画「スウィングホテル」(1942)の挿入歌の1曲として大ヒット。その後、1954年に、ビング・クロスビー、ダニー・ケイの共演で、映画「ホワイトクリスマス」が作成され、この曲が主題歌となり、再び大ヒットしました。

作曲者のアーヴィング・バーリンは、1888生まれ。ロシア(現ベラルーシ)のテムンで生まれました。幼いときにアメリカへ移住。幼いころから家計を助けるために旅芸人、給仕兼歌手として働いていました。

見よう見まねで作曲を試み、1911年に「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を発表、大ヒット。ソングライターとしての名声を確立しました。 遊んで暮らせるほどの富を築きましたが、1929年の大恐慌で破産。「おかげで好きな仕事に戻れた」と作曲を続け、「ホワイト・クリスマス」などのヒット曲を立て続けに世へ送り出して、アメリカ一のポピュラーソングの作曲家となりました。「オールウェーズ」「ブルー・スカイズ」等の名曲を作り、ブロードウェイのレビューを次々に手がけ、映画音楽も数多く書いています。「アニーよ銃をとれ」も彼の作品の一つです。

ジェローム・カーンから「バーリンはアメリカの作曲家ではなく、彼自身がアメリカの音楽なのだ」と言われ、又、アメリカのシューベルトとまで謳われました。ジョージ・ガーシュウイン、リチャード・ロジャース、コール・ポーターとならんで、ブロードウエイミュージカルの作曲家の四天王のひとりと称された彼は、生涯で1500曲以上の作詞、作曲を行なっています。1989年に101歳の長寿を全うしました。

彼は音楽教育を受けておらず、音符も読めなかったそうです。そのせいか、「キーを変えるための特製のペダルの付いた独特なピアノを使用していた」とか「楽譜が読めなかった」とか「バーリン自身はとんでもない音痴で(だみ声だったかも)、その曲の作者であるという免罪符がなければ他人が聞けたモノではなかった」などという噂があったそうです。

ビング・クロスビーは、1904年アメリカ生まれ。高校時代に音楽に興味をしめしバンドを結成。大学では司法を専攻するが、歌手としての夢を捨てきれずジャズ・バンドを結成。大学中退。その後、ポール・ホワイトマンに認められて、「ホワイトマン楽団」に加入し、活躍。31年にはCBSラジオで『ビング・クロスビー・ショー』が放送され、彼の甘い歌声は全米の視聴者を魅了して20週間にわたって放送されるヒット番組となりました。彼に目をつけたパナマウント社と契約。映画界でも大きな成功を収め、『ミシシッピ』(35)など彼の歌を中心にしたミュージカル映画が続々と製作されました。その後、ミュージカル・スターから演技派俳優への見事な転身を果たし、アカデミー主演男優賞を獲得しました。『アラスカ珍道中』(46)『ブルー・スカイ』(46)『皇帝円舞曲』(48)『喝采』『駅馬車』(66)など大ヒット映画に次々出演しました。芸能生活50周年を記念するコンサート・ツアーの最中、スペインのマドリッド郊外で趣味のゴルフを楽しんでいたところ、心臓発作で亡くなりました。享年73歳。

最も売れた彼のレコードはクリスマス・ソングの定番「サイレント・ナイト」だそうですが、これは宗教音楽と認められたために、全ての収入はクロスビーではなく慈善事業に寄付されたそうです。また、人気テレビ・ドラマ『刑事コロンボ』のコロンボ役をオファーされたが、都合がつかずに出演は実現せず、代わってピーター・フォークが抜擢されるなどの裏話もありますね。

最初に「White Christmas」が登場した映画「スウィングホテル」のあらすじは、

「歌手ジムは芸人仲間のライラと婚約していたが、彼女はジムを裏切って彼の友人のダンサー、テッドと結婚。傷心のジムは都会を離れてコテージ「ホリディ・イン」を開業する。彼は芸人志望の女性リンダと出会い二人の間にほのかな恋が芽生える。しかし、ライラに逃げられてホリディ・インにやってきたテッドもリンダに恋してしまい、2人はリンダをめぐって新たな恋愛合戦を開始する。」

というもの。

主題歌となった映画「White Christmas」のあらすじは、

「第二次世界大戦後、恩人のデイヴィスとコンビ組んで大きな成功を収めた人気歌手のウォレス。戦友の姉妹と知り合った二人はバーモントでクリスマス休暇を取るが、彼らが泊まった山荘ホテルのオーナーは戦時中の恩師ウェイバリー将軍だった。雪が降らずに山荘の経営が悪化していることを知った二人は、お客を集めるために山荘でのショウを企画する。」

というもの。

「White Christmas」の歌詞ですが、

I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen
To hear sleigh bells in the snow

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white

私は夢見ています ホワイト・クリスマス
私がむかし経験したような クリスマス
樹冠が きらきら輝いて
子供たちが耳を澄ませて
そりの鈴の音を聞く 雪の世界

私は夢見ています ホワイト・クリスマス
1枚1枚クリスマスカードを書きながら
あなたが楽しく明るく過ごしますように
あなたのクリスマスが銀世界でありますように


・・・明るく暖かい夢のこもった歌詞ですね。

今回は、アップテンポな編曲でおおくりします。
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曲目解説⑤

2006年12月20日 10時07分12秒 | コラム
【Through the Fire】

Chaka Khanの名バラード。TVでも良く流れている有名な曲ですね。
作曲者のデヴィット・フォスターが、ぜひChakaに歌って欲しいと願って作った曲なんだ
そうです。念願叶って歌われた訳ですね。

Chaka Khanは、1953年生まれ。本名はYvette Marie Stevens。アメリカの女性R&B歌手です。驚異的な歌唱力で1970-80年代にR&Bの女王と呼ばれ、以降も精力的に活動を続けています。非常にアクティヴな性格で、レコーディングの際、殴りあうこともあったそうです・・。ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J・ブライジ、吉田美和等、多くの女性歌手に多大な影響を与えました。彼女が歌った曲も、多くの歌手にカバーされています。

Chakaはアフリカの言語で「炎」という意味。Khanは最初の夫の姓。

代表曲は「I Feel For You 」「Tell Me Something Good」等、多数。

「Through the Fire」の歌詞は・・

I look in your eyes and I can see
Weve loved so dangerously
Youre not trusting your heart to anyone
You tell me youre gonna play it smart
Were through before we start
But I believe that weve only just begun

When its this good, theres no saying no
I want you so, Im ready to go

Through the fire
To the limit, to the wall
For a chance to be with you
Id gladly risk it all
Through the fire
Through whatever, come what may
For a chance at loving you
Id take it all the way
Right down to the wire
Even through the fire

I know youre afraid of what you feel
You still need time to heal
And I can help if youll only let me try
You touch me and something in me knew
What I could have with you
Well Im not ready to kiss that dream goodbye

When its this sweet, theres no saying no
I need you so, Im ready to go

Through the test of time

Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever
Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever

女性が、2人の燃え上がる恋の炎を歌った情熱的な歌ですね。歌詞も、物凄く情熱的です。

何でも、最近は、結婚式で良く使われている曲なんだそうです。

今回は、Eikoが恋の炎を歌います。
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12/23曲目解説④

2006年12月19日 14時54分41秒 | コラム
【Blue Skies】

これもスタンダードナンバーの名曲。数年間、日本でもCMで流れていました。
作詞作曲は、かの有名なアーヴィング・バーリン。

1927年の映画「The Jazz Singer」の中の1曲として、主演のアル・ジョルスンが歌い、大流行。この映画は、初のトーキー長編映画であり、初のミュージカル映画という記念すべき作品だそうです。

その後、1942年にバーリン作曲の名曲を集めて作られたミュージカル映画「ブルースカイ」のメインソングとしても取り上げられました。

映画「The Jazz Singer」の内容は・・

「ユダヤ教会の司祭長(ラビ)の一人息子ジェイキーは、跡を継ぐことを嫌って家出し、ジャズ・シンガーとして生活費を稼ぎながら、ブロードウェイのスターになることを夢みていた。女優メアリーの助けもあり、歌手として成功を収め、念願のブロードウェイでのデビューのチャンスを手に入れる。しかし、舞台前日、病気で倒れた父親に代わって教会の先唱役を務めることを頼まれてしまい、夢を実現するか、家業を継ぐかの決断を迫られる。」

主演のアル・ジョルスンは、1886年、ロシア・レニングラードに牧師の息子として生まれ、幼少の頃アメリカに移民。ミンストレルショー(米国初期の大衆芸能)の舞台で注目を浴び、1911年からブロードウェーのスターとして活躍します。1918年「スワニー」を舞台で歌い、ジョージ・ガーシュインを世に送り出したことでも有名です。1927年、世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」に主演し、世界的な大ヒット。太平洋戦争の開戦後は積極的に兵士を慰問。1946年、ジョルスンの大ファンだった映画プロデューサーの企画により「ジョルスン物語」(主演;ラリー・パークス)が公開されるやアカデミー賞にもノミネートされる大ヒット。続編も制作され、再び脚光を浴び始めた1950年、朝鮮戦争の慰問から帰国後心臓発作で死去しました。

「The Jazz Singer」は、元々、牧師の息子で歌手になったジョルスンがモデルの小説でしたが、舞台化されるにあたり、製作側とジョルスンが決裂、他の歌手が舞台に立ちました。そして大ヒット→映画化。映画になるにあたり、今度はその歌手との交渉が破棄。そして、ジョルスンが少ない出演料にも関わらず、喜んで出演することになったのだそうです。ジョルスンは、大きな声でシャウトするタイプの歌手だったそうです。

1942年の映画「ブルースカイ」の方は・・

「第一次世界大戦後のブロードウェイ。人気ダンサーのジェドは舞台の相手役にメアリーを抜擢。彼女はジェドとのロマンスの噂を恐れて出演を断ってしまう。ジェドの親友でクラブ経営者ジョニーの説得でメアリーは出演を承諾し、舞台は大きな成功を収めたものの、メアリーはジョニーと結婚。メアリーに去られたショックでジェドは酒に溺れるが、足を折って踊れなくなったジェドはラジオのアナウンサーとしてカムバックを果たす。」

というあらすじ。ハリウッドミュージカル映画の2大スター、フレッド・アステアとビング・クロスビーが共演したことでも有名です。

作曲者のバーリンと、歌手のクロスビーについては、かの有名な「White Christmas」がありますので、後日・・・。

「Blue Skies」の歌詞は・・

Blue skies, smilin' at me
Nothin' but blues skies do I see
Bluebirds singin' a song
Nothin' but bluebirds all day long

Never saw the sun shinin' so bright
Never saw things lookin' so right
Noticin' the days hurryin' by
When you're in love, my, how they fly

Blue days, all of 'em gone
Nothin' but blue skies from now on.

「青空が私にほほえみかける。空の他は何もない。青い鳥が一日中歌っている。」
という内容です。結構、明るい歌詞なのですね。曲調は明るい感じだけではないようですが。

この曲も女性バージョンでEikoが歌います。






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12/23曲目解説③

2006年12月19日 12時01分40秒 | コラム
【Too close for comfort】

作詞作曲は、George Weiss、Lawrence Holofcener、Jerry Bockの合作。
1956年のブロードウェイミュージカル「Mr. Wonderful」の中の1曲です。。
「Mr. Wonderful」の主演はサミー・ディビスJr。サミーのミュージカル主演デビュー作だそうです。彼が歌って大ヒットしました。
その後も、イーディ・ゴーメ、シナトラなど様々な歌手が歌っています。
明るく、ノリの良い、スウィングの効いた曲ですね。

サミー・デイビスJrは、1925年ハーレム生まれ。ショー巡業を生業とする一家に生まれたため、幼少のころから歌・ダンス・楽器のレッスンを受けて成長しました。1944年には徴兵され、第二次世界大戦にも参戦したのだそうです。1954年に初のレコ-ドが大ヒット。
その後、左目を失明したり、ユダヤ教徒とアフリカンアメリカンの血を引いていることから差別を受けたり・・と苦労しながらも、フランクシナトラに見出され、20世紀を代表するエンタティナーとして活躍しました。1990年にビバリーヒルズで死去。64歳。
日本でも、1980年代のサントリーのCMに出ていましたね。

歌詞は・・

Be wise, be smart, behave, my heart
Don't upset your cart when she's so close
Be soft, be sweet, but be discreet
Don't go off your feet, she's so close for comfort

Too close, too close for comfort, please, not again
Too close, too close to know just when to say "When"

Be firm, be fair, be sure, beware
On your guard, take care, while there's such temptation
One thing leads to another
Too late to run for cover
She's much too close for comfort now

Too close, too close for comfort, please, not again
Too close, too close to know just when to say "When"

Be firm and be fair, be sure, beware
On your guard, take care, while there's such temptation
One thing leads to another
Too late to run for cover
She's much too close for comfort now
Too close, much too close
She's much too close for comfort now

「彼女が寄り添ってくれるのは何て心地良いんだろう!寄り添っているときに去ってしまわないように。僕のハートよ、慎重になっておくれ」というような・・歌です。
とってもロマンティックですね。

今回は、女性バーションで、Eikoが歌い上げます。





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12/23曲目解説②

2006年12月18日 17時09分06秒 | コラム
【How High the Moon】

有名なスタンダードナンバーです。1940作曲。エラ・フィッツジェラルドの録音が有名ですね。

最初は、1940年に、戦時中のロンドンが舞台のミュージカル『Two For The Show』で使われました。灯火管制の解けたあとのシーンで若者が歌う曲でした。その後、エラが歌って、人気を不動のものとしました。エラが、張りのある声で高らかに歌い上げています。

エラ・フィッツジェラルドは、1917年アメリカ生まれ。ビリー・ホリディ、サラ・ヴォーンと並ぶ偉大なジャズ女性シンガーです。13回もグラミー賞を受賞しました。
小さいころは両親の離婚、母の死により極貧生活をおくっていましたが、16歳のとき、ハーレムのアポロ劇場でのコンテストに優勝し、チック・ウェブス・バンドと契約。プロとしてデビューしました。その後は、ジャズシンガーとして、様々な作曲家の曲を歌い、世界的に活躍。高い評価を受けました。1996年死去。

彼女にとっての大ヒット曲となった「How High The Moon」の歌詞は以下の通りです。
大変ロマンティックな歌詞ですね。
今回はトロンボーンアレンジヴァージョンで演奏する予定です。

●How High The Moon (Nancy Hamilton/ Morgan Lewis, 1940)

Somewhere there's music
How faint the tune
Somewhere there's heaven
How high the moon
There is no moon above
When love is far away too
Till it comes true
That you love me as I love you

Somewhere there's music
How near, how far
Somewhere there's heaven
It's where you are
The darkest night would shine
If you would come to me soon
Until you will, how still my heart
How high the moon

何処かで、音楽が鳴ってる、
なんて、曖昧な音なの。
何処かに、天国があるんだ、
なんて高いの、お月さま。
月なんか無いんだよ、恋人が遠くに居る時は、
私が愛してるように、貴方も私を愛してくれる時が、
来るまでは。
何処かに、音楽があるの、
近くかな?遠くかな?
何処かに、天国があるの、
それは、貴方が居るところ、
暗い夜もきっと明るくなる、
貴方がスグ来てくれれば、
それまでは、なんて静かな私の心、
なんて高いの、お月様。



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12/23曲目解説①

2006年12月18日 10時45分08秒 | コラム
12/23のコンサートのプログラムは下記の通りです。


・Take the “A” Train
・How High the Moon
・When We're Together
・Too Close to Comfort
・Blue Skies
・Through the Fire
・Loop360
・Session Samba
・Twinkle Twinkle Little Star
・White Christmas
・The Christmas Song
・Black Orpheus
・Until We Love

これから毎日、曲の一部を解説して行きたいと思います。
ご興味をお持ちになられた方、ぜひご来場下さい!!

【Take the “A”Train】

ジャズといえばこの曲!!という印象をお持ちの方も多いと思います。街でもTVでも良く流れていますね。映画「スウィングガールズ」でもやっていましたね。

デュークエリントン楽団のテーマ曲ともいえる有名なナンバーですね。1941年作曲(第二次世界大戦中ですね)。実際に作曲したのは、エリントン楽団に多数の曲を提供していたビリー・ストレイホーンという方です。

まずデューク・エリントンですが、1899年(日本では明治時代の後半)ホワイトハウスの執事の子として生誕、幼少からピアノを始め、高校時代からピアニストとして活動。同時に音楽教師に作曲を学びました。1916年にピアニストとしてデビュー。1927年にニューヨーク・ハーレムの高級クラブ「コットンクラブ」と契約。1930~1940年代(昭和初期)にかけてピアニスト・バンドリーダー・作曲家として活躍しました。音楽界におけるアカデミー賞であるグラミー賞を9回獲得。1969年にはニクソン大統領より自由勲章が贈られました。1974年に亡くなりました。

他に有名な曲は、「サテンドール」、「キャラバン」、「スウィングしなけりゃ意味ないね」等々・・・多数。作曲家としても20世紀を代表する偉大な芸術家だったと評価されています。

ハーレムとは、ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークの北側にある地区です。アフリカン・アメリカンが多く住む地域で、黒人文化の中心地です。近くにコロンビア大学がありますね。1920年代はハーレムルネッサンスと呼ばれた時期で、上記のコットンクラブやアポロ劇場で黒人文化・ジャズ・ブルースが持て囃された時代でした。ただ、観客の多くは白人富裕層だったそうですが・・・。

この曲のモデルとなった列車ですが、ニューヨークで一番最初にできた地下鉄のことなのだそうです。だからアルファベットの最初の文字を取ってA列車というわけです。地下鉄A線は、マンハッタンを南北に走る線です。ウエストビレッジやタイムズスクエア、リンカーンセンター、セントラルパークの西側を通って行く電車だそうです。

本当は歌詞がありまして・・

You must take the "A" train
To go to Sugar Hill way up in Harlem
If you miss the "A" train
You'll find you missed the quickest way to Harlem

Hurry, get on, now it's coming
Listen to those rails a-thrumming
All aboard, get on the "A" train
Soon you will be on Sugar Hill in Harlem

この曲は「Aトレインに乗ってボス(エリントン)の住んでいる地区(
ハーレムのシュガーヒル)に行こうぜ!!」という内容の曲なのだそうです。

では、楽しいニューヨーク地下鉄の旅を・・・。
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