遊説隊員は毎日の練習の他に、外部の友人たちに公●党の候補への投票を依頼する「F活動」ということも行わなくてはなりません。
創価学会ではこの公●党支援活動を「法戦」と呼び、仏法の戦いと位置づけています。
なぜかというと、日蓮さんがかつて政治が乱れていた鎌倉時代に時の権力者である北条さんを書状をもって命がけでいさめたことがあり、
だから私たちも日蓮さんを見習って政治に関わり、正しい人材(公●党の議員)を送り出すことが必要だというのです。
確かに言っていることは分からないでもないのですし、時の権力者をいさめた日蓮さんの行動は偉いのでしょう。
でも、本当に公●党の議員さんが、日蓮さんのような働きができるのでしょうか?
公●党の議員さんは、絶対に間違わないのでしょうか?
そんな疑問を感じたことがありますが、いつの間にか、そんな疑問を感じることさえ、悪いことと思うようになってしまっていました。
話を戻します。
最初私は、遊説隊は遊説だけで忙しいのだから、投票依頼はそれほどしなくていいんじゃないかと甘く見ていました。
月曜日から金曜日まで仕事をして、夜と土曜日日曜日には練習。とてもそんな暇はありそうにありませんでした。
ところが、教官のお姉さんたちは言いました。
「目標(ノルマ)はF100!これを達成できなかった人は選挙カーに乗せませんッッ!」
選挙カーに乗れないという意味がどういう意味かは分かりませんが、
F100を達成しなければ厳しい叱責がある、落ちこぼれ扱いされるというのは明らかでした。
やらなければ、何だかやばいことになるぞ、という空気はびんびん伝わってきます。
ほとんどの人は教官のお姉さんの言葉にぽかんとしていたと思います。
Fの意味がよく分からず、100という数がどういう数なのかも分からず。
詳しい説明が始まります。
Fというのはフレンドの略で、友人一人に公●党の票を頼むとF1の成果になります。
つまり、100人の友人にFを頼まなければ、選挙カーに乗せてもらえず、しかも厳しい叱責を受けてしまうということなのです。
100なんて無理!と誰もがそう思ったと思います。
私も途方に暮れました。
連絡を取り合っている友達なんて、その頃でせいぜい片手の指の数程度。
学生時代のバイト先が市内にありましたが、そこの知り合いの人たちを合わせても二十もいきません。
就職した会社は市外にありますので、当然市内の人はいません。
市議会議員選挙なので、市外の友人には頼むことができません。
そこで教官のお姉さんは言いました。
「今度の日曜、小学校と中学校の卒業アルバムを持ってきてください」
卒業アルバム?
不思議に思いましたが、卒業アルバムには今は個人情報の問題があるのでどうか分かりませんが、
当時は同級生たちの住所が全員分書かれてありました。
何となくやらなければならないことを察した私は、泣きたくなりました。
要するに、教官のお姉さんは卒業アルバムに載っている同級生たちの家を片っ端からまわれと言っているのです。
確かに、小学校と中学校の同級生であれば、ほとんどが市内に住んでいます。
合わせればF100の達成も可能でしょう。
しかし、仲の良い子なら「遊説をしているから今回はこの候補に入れて」と言えますが、
卒業以来連絡を取っておらず、しかも学校時代もそれほど話をしたことのない子なんて
どんな反応をされるかを考えただけで恐ろしくなりました。
自分の知り合いがせいぜい二十程度しかいないのだから、
残りの八十はそういった縁の薄い同級生たちをまわらなければならないのです。
尻込みします。当然です。変な汗も流れてきます。
だけど、教官のお姉さんたちは檄を飛ばします。
「壮年部、婦人部の人たちも必死に戦っている。私たち遊説隊員が戦わずして申し訳ないと思わないのか!?」
さらには「選挙は数の勝負。だから功徳もはっきりと出る。戦った人には戦った分だけの結果が出る!」
と、嫌な思いをしても戦えば、功徳は約束されているときっぱり言い切るのです。
その確信に満ちた言葉に、心が少し揺れ動きます。功徳は欲しい。
そして、これまで経験してきたお姉さんたちの数々の体験談が語られます。
お姉さんたちの体験談は些細なものだったように記憶していますが(たぶん、先輩たちに功徳認定されて功徳になったものでしょう)、
お姉さんたちが幹部からまた聞きしてきたドラマチックな体験なども大々的に語られます。
「私たちは今回の法戦で遊説に関わるという千載一遇のチャンスを与えられた!今戦わなければ損!絶対に後で後悔する!」
最後は遊説に選ばれたという選民思考と、損得勘定で揺れる私たちの心にとどめをさします。
そして、「腹を決めなさい!」と。
「できるの!?できないの!?」そう問われれば、もう自動的に「できますッ!!」と答える仕組みが自分たちの中にできていました(洗脳の効果バツグン……ちょろい私たちでした)。
このとき、納得できない子は個別に教官から指導(これがまた怖い)を受け、最終的には全員が納得して(恐怖に屈して?)F活動に望むことになりました。
もうやるしかないです。
改めてこのときの心境を考えてみると、最終的に私たちを突き動かしたのは、
選挙を戦って与えられるとされる多大な功徳に対する欲望よりも、やっぱり恐怖の力だと思います。
友達に嫌われることよりも、迷惑をかけてしまうことよりも、
教官たちの怒声、叱責、母親の叱責、組織の人たちの叱責、さらには戦わなければ罰が当たるという思い込み。
それらの恐怖が、私たちのすべての感情を吹き飛ばしてとんでもない勇気を奮い起こさせたのだと思います。
泣きそうになりながらも「後で必ず功徳がある」という教官のお姉さんの言葉を信じて、
私は「自分の功徳のために」「罰をもらわないために」同級生たちの家を一軒一軒訪問することになったのです。
創価学会ではこの公●党支援活動を「法戦」と呼び、仏法の戦いと位置づけています。
なぜかというと、日蓮さんがかつて政治が乱れていた鎌倉時代に時の権力者である北条さんを書状をもって命がけでいさめたことがあり、
だから私たちも日蓮さんを見習って政治に関わり、正しい人材(公●党の議員)を送り出すことが必要だというのです。
確かに言っていることは分からないでもないのですし、時の権力者をいさめた日蓮さんの行動は偉いのでしょう。
でも、本当に公●党の議員さんが、日蓮さんのような働きができるのでしょうか?
公●党の議員さんは、絶対に間違わないのでしょうか?
そんな疑問を感じたことがありますが、いつの間にか、そんな疑問を感じることさえ、悪いことと思うようになってしまっていました。
話を戻します。
最初私は、遊説隊は遊説だけで忙しいのだから、投票依頼はそれほどしなくていいんじゃないかと甘く見ていました。
月曜日から金曜日まで仕事をして、夜と土曜日日曜日には練習。とてもそんな暇はありそうにありませんでした。
ところが、教官のお姉さんたちは言いました。
「目標(ノルマ)はF100!これを達成できなかった人は選挙カーに乗せませんッッ!」
選挙カーに乗れないという意味がどういう意味かは分かりませんが、
F100を達成しなければ厳しい叱責がある、落ちこぼれ扱いされるというのは明らかでした。
やらなければ、何だかやばいことになるぞ、という空気はびんびん伝わってきます。
ほとんどの人は教官のお姉さんの言葉にぽかんとしていたと思います。
Fの意味がよく分からず、100という数がどういう数なのかも分からず。
詳しい説明が始まります。
Fというのはフレンドの略で、友人一人に公●党の票を頼むとF1の成果になります。
つまり、100人の友人にFを頼まなければ、選挙カーに乗せてもらえず、しかも厳しい叱責を受けてしまうということなのです。
100なんて無理!と誰もがそう思ったと思います。
私も途方に暮れました。
連絡を取り合っている友達なんて、その頃でせいぜい片手の指の数程度。
学生時代のバイト先が市内にありましたが、そこの知り合いの人たちを合わせても二十もいきません。
就職した会社は市外にありますので、当然市内の人はいません。
市議会議員選挙なので、市外の友人には頼むことができません。
そこで教官のお姉さんは言いました。
「今度の日曜、小学校と中学校の卒業アルバムを持ってきてください」
卒業アルバム?
不思議に思いましたが、卒業アルバムには今は個人情報の問題があるのでどうか分かりませんが、
当時は同級生たちの住所が全員分書かれてありました。
何となくやらなければならないことを察した私は、泣きたくなりました。
要するに、教官のお姉さんは卒業アルバムに載っている同級生たちの家を片っ端からまわれと言っているのです。
確かに、小学校と中学校の同級生であれば、ほとんどが市内に住んでいます。
合わせればF100の達成も可能でしょう。
しかし、仲の良い子なら「遊説をしているから今回はこの候補に入れて」と言えますが、
卒業以来連絡を取っておらず、しかも学校時代もそれほど話をしたことのない子なんて
どんな反応をされるかを考えただけで恐ろしくなりました。
自分の知り合いがせいぜい二十程度しかいないのだから、
残りの八十はそういった縁の薄い同級生たちをまわらなければならないのです。
尻込みします。当然です。変な汗も流れてきます。
だけど、教官のお姉さんたちは檄を飛ばします。
「壮年部、婦人部の人たちも必死に戦っている。私たち遊説隊員が戦わずして申し訳ないと思わないのか!?」
さらには「選挙は数の勝負。だから功徳もはっきりと出る。戦った人には戦った分だけの結果が出る!」
と、嫌な思いをしても戦えば、功徳は約束されているときっぱり言い切るのです。
その確信に満ちた言葉に、心が少し揺れ動きます。功徳は欲しい。
そして、これまで経験してきたお姉さんたちの数々の体験談が語られます。
お姉さんたちの体験談は些細なものだったように記憶していますが(たぶん、先輩たちに功徳認定されて功徳になったものでしょう)、
お姉さんたちが幹部からまた聞きしてきたドラマチックな体験なども大々的に語られます。
「私たちは今回の法戦で遊説に関わるという千載一遇のチャンスを与えられた!今戦わなければ損!絶対に後で後悔する!」
最後は遊説に選ばれたという選民思考と、損得勘定で揺れる私たちの心にとどめをさします。
そして、「腹を決めなさい!」と。
「できるの!?できないの!?」そう問われれば、もう自動的に「できますッ!!」と答える仕組みが自分たちの中にできていました(洗脳の効果バツグン……ちょろい私たちでした)。
このとき、納得できない子は個別に教官から指導(これがまた怖い)を受け、最終的には全員が納得して(恐怖に屈して?)F活動に望むことになりました。
もうやるしかないです。
改めてこのときの心境を考えてみると、最終的に私たちを突き動かしたのは、
選挙を戦って与えられるとされる多大な功徳に対する欲望よりも、やっぱり恐怖の力だと思います。
友達に嫌われることよりも、迷惑をかけてしまうことよりも、
教官たちの怒声、叱責、母親の叱責、組織の人たちの叱責、さらには戦わなければ罰が当たるという思い込み。
それらの恐怖が、私たちのすべての感情を吹き飛ばしてとんでもない勇気を奮い起こさせたのだと思います。
泣きそうになりながらも「後で必ず功徳がある」という教官のお姉さんの言葉を信じて、
私は「自分の功徳のために」「罰をもらわないために」同級生たちの家を一軒一軒訪問することになったのです。
残念でした。たった一人でブログを立ち上げ、膨大な量のコメントに目を通し、しかも応援するものばかりでは無く、巧妙に中止に持ってゆこうとするコメントをも多くあったげしょう。疲れ切ってしまわれたのだなと理解しました。でも、沢山の種をまいて下さいました。そしてにゃん丸さんが非常に誠実に向き合い、心の内を吐露されている事に感動しています。無理されず、ご自分の納得されるペースでアップされる事を期待しています。いい種がまた蒔かれ、多くの苦悩している人たちの役に必ず立つでしょう。
「対話を求めて」のコメントでも、たびたびお名前、拝見しておりました。
「対話を求めて」のおかげで私も覚醒できましたので、本当に感謝しております。
管理人さんのご苦労も大変なものだったと思いますし、休止にいたった今もブログを残し続けてくださっていることは、とてもありがたいことだなと思います。
覚醒をしても、それで終わりじゃないんですよね。
私がとくにしつこかったり諦めが悪かったのかもしれませんが、覚醒後も創価学会に対して苛立ったり、恨みつらみがこみ上げてきたり、冷静でいられませんでした。
そんな自分の気持ちを整理するには、自分のコレまでの気持ちを全部振り返って分析してみるしかないと思ってブログを始めました。ブログを書くことで今まで気づけなかった気持ちや視点に気づき、自分のことなのに新たな発見がたくさんありました。
創価学会が私にとって道ばたの小石(あってもなくてもどうでもいいもの)になれば、その時点で私がブログを始めた目的は果たすことになりますので、そこで終わったらいいかなと思っています。笑
これからもまだしばらく(当分?)書き続けますので、またお暇があれば覗きに来てください!