こんにちは。
ぜいたくな願いシリーズ第三回です。
これまでは、体育の授業について書いていましたが、
今日は勉強についてです。
私は、勉強のできない子として、
学生時代を終わりました。
もちろん頭の良い人間ではないです。
でも!努力の余地がなかったのかどうか、
学生時代から何十年も経って、今、考えてみたいのです。
勉強ができなかったのを、発達障害のせいと思っているわけではありません。
ましてや、ちゃんと診断がおりているわけでもなし。
ただ、指導のされかたによって、違いがでてきたのではと思うのです。
幼少時、ひらがなや数字を覚えるのに苦労した記憶はありません。
小学校時代、特に勉強についていけずに困ったということもありませんでした。
別に、よくできたということもなかったけど。
何せ、子供時代の記憶がとびとびで。
中学校に入って、秋くらいからかな?
なんだか雲行きがあやしくなってきたのは。
数学がわからなくなって、
で、ああ、だめだ、と。
小学校時代、体育の授業についていけず、
その他のことも全部だめだと思った私。
(中学生になっても、そこは変わっていなかった)
初めて習う英語のすべり出しがスムーズで、少し勉強面で気を取り直していたのが、
やっぱりダメなんだと。
どの科目も。
でも、勉強すれば?
でも、どうやって?
それで、そのまま中学三年生。
高校受験です。
三年生の時の担任は、一年生の時の担任と同じでした。
母親との三者面談で、先生は言いました。
「どうしたの、一年生の時は、もうちょっとできたよね?」
中学に入った頃に比べると、定期テストで二百番以上順位が下がっていました。
でも、担任は、どうしたのと言うだけで、
あとは志望校を下げろとの提案に徹しました。
美術や、家庭科の専門コースはどうかとか。
ごめんなさい、私、不器用で、そういうのもダメなんです。
母親は、教育熱心じゃなかったけど、
さすがに、勉強しなさいと怒ってました。
私は、困っていました。
どうしたらいいのかわからない。
いったい、何をどうすれば……
今ならわかる。
わからないところまで、さかのぼって勉強する。
自分でわからないところは、
その科目の先生のところへ聞きに行く。
でも、その時は、どうしたらいのかわからなかった。
体育の授業のできなさを、
自分でどうすればいいのかが、わからないままきたように、
ただ呆然とするだけだった。
つらい人生だなあ。
そう思ったことを覚えています。
小学校時代と同じように、自分の気持ちも、疑問も、
言える相手は誰もいませんでした。
今もぼんやりしている私ですが、
学生時代は、もっともっと、ぼんやりしていました。
困りごとの解決策が見つけられない。
相談相手を探せない。
自分はダメだと思う気持ちの激しさ。
私は高校受験に失敗し、
何とかすべりどめの私立高校に入り、
授業料の高さで、一時期よりはましになっていたとはいえ、
厳しい我が家の家計を圧迫することになりました。
合格発表を見に行って家に帰ってきたら、
自転車をとめてある所に父がいました。
不合格だと告げると、
「しょうがないな。」とだけ言って。
父は、胸の前で抱えるくらいの箱を持っていました。
父と自転車と箱。
私は、小学生の時のことを思い出していました。
あれは、家に一番借金があった頃だから、
小学校の四年生ぐらいだろうか。
そのころ読んだマンガで、借金のある家の女の子の話があった。
その家の父親は、生活苦のあまり銀行強盗をしてしまい、
一家心中するのですが、女の子は助かるというマンガでした。
私は、とてもマンガの中のこととは思えず、
ドキドキして読み終わりました。
一家で死ぬという話は、私の家の中でもあったから。
ちょうどそんな時、父が、自転車のかごの中に箱を入れているのを見たのです。
私の頭の中には、瞬時にマンガのことが浮かび、
あれは、奪ってきた現金ではないだろうか、
マンガが本当になったのではないかと恐れました。
まあ、そういうことはなかったのだけど。
父に、高校受験の不合格を告げながら、
私はそんなことを思い出していました。
私にとって、不合格は当たり前のことで、ショックでもなく。
だから、それからも、誰かの高校受験失敗ということを耳にするたび、
思い出すのは、父と自転車と箱にまつわる出来事なのでした。
父には後日、「あんな高校も受からないなんて情けない。」
と言われました。
父が高校受験について、具体的なことを言ったのは、それしか覚えがない。
まあ、父は当時、女性関係がいろいろ忙しかったから、
あまり意見という意見もなかったのかな。
私は、そのことも、父にも、母にも、弟にも、
誰にも何も言いませんでした。
学校のことと同じように、
解決策もわからず、ただ呆然とするだけでした。
話がそれてきたけれど、
小学校の時に得られなかったように、中学でも、
正面から目を見て、寄り添って、
私が何に困っているのか、話を引き出してくれる人はいなかったということです。
誰でも、そんなものかもしれない。
でも、私には、そんな人が必要だった。
小学生、中学生、って大事な時だもの。
今さらながら。
もし、あの頃に、私が発達障害か、もしくはグレーだとわかっていたら。
あの時代に、そういうことが広く知られていたかどうかはわからないけれど。
中学生の時、ちゃんと勉強に対して努力の仕方など指導してくれる人がいたならば。
私の人生も違っていたのかな、
それはぜいたくな願いなんだろうか?
また、長くなってしまいました。
それでは、またね。