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ノートルダム大聖堂の火災が
起こる直前
私たちは
お客様のシャンバラマスターコネクトで
イエスと共に生きた過去世にいました
これは偶然ではなく
必然なのでしょう
その日の日本時間の未明に大聖堂の火災がありました
アセンデッドマスターである
イエスはわかっておられたのでしょうから
ここに
その貴重な体験をみなさまと
共有させて頂きたいと思います
これは
宇宙のアカシックレコードから
取り出したことですので
福音書や聖書の内容とは
異なっていること
私自身も聖書を読んだことのない
不届き者ですことも
ご容赦くださいませ
なお
私が発した言葉をユカリが
書記してくれたものをほとんどそのままと
少し追記しました
また、イエスの使徒のユダにつきまして
ご覧になられていない方は2011年のブログ
ユダの真実
をご覧になられてから
この記事をご覧くださいますと幸いです
†
雑踏のエルサレム
家もなく親もなく
争い事に巻き込まれ両親は亡くなり
記憶がないのか
少しハンディがあったのか
精神的に辛い思いがあったから
もう1人の自分を作り出したのか…
孤独と辛さを感じない為に
記憶喪失になった男の子
自分は誰なのか?わからない
今までどうしてたとも言えず
どうしたいとも思えず
道端にうずくまって助けを求めている
泣く事も出来ず
何に泣くのかも… わからず…
ただ助けをまっていた
そして
凄く眩しい人が来て
目を開けてみたいが
開ける気力もなく
神様みたいに眩しいその男の人に
手を差し伸べてもらえた
助けてもらえる…
抱きかかえられて
連れていかれて
体を綺麗にしてもらった
暖かい光に包まれているような
安心感と幸せな気持ち
目を開けるのが怖かったけど
開けたら
何人かの人が自分を見ていてくれた
言葉が分からない…
言葉まで分からなくなったのか?
理解は出来ないけど
祈っている声や…
ざわざわと話し声は聞こえる
場所は暗くて質素な白い建物
窓が部屋の上のほうにあるが
わずかな光しか入って来ない
怖い感じはない
最初に助けてくれた人はそこにはおらず
いずれすぐに
帰ってくるのがわかっていた
その人が帰って来たら何かが分かる
言葉は分からなくとも…
帰ってきたその人は
《君は"ノア"と言う名前だよ》
と名前をつけてくれた
その人のいうことだけは理解ができた
言葉はわからないけれど
心でテレパシーで話してくれた
僕はその日に生まれ変わった
生まれたてだから言葉が
分からなかったのかもしれない
辛い記憶を全部置いてきて
すべて忘れて
生まれ変わった
だから言葉も全部忘れたのか
ゼロからまた言葉を覚えればいいんだ
怖がらずに
それからはずっとみんなと一緒にいた
その人は神の遣いで
神様に助けられたと思った
少しずつ言葉を覚えて理解していったが
話せない
声が出ないんだ
周りの人は僕のこと
本当におかしいし話せないから
耳も聞こえないんじゃないか? と思っていた
耳は聞こえていたけれど声がでなかった
助けてくれたその人だけは理解してくれた
《そのうちいろいろな事が分かるようになるよ》
だんだん言葉は理解できるようになったし
周りの人にもわかってもらえたけれど
貧しさは変わらず
何日も食べられない時もあった
お腹がすいて
盗んで食べようとしたが
してはいけないと言われてたから
やらなかった
お腹が空くと心まで貧しくなって来る
そんな時は神様を思って
神様のエナジー をもらうように
息を吸って
満たされるように教えられた
そうして生き忍んだ
呼吸がうまくいった時は満たされた
出来ない時は寝た
寝ると辛さや空腹を忘れるから
その人たちはどうやって生きていたのか
人の病気や怪我を治したり癒したりして
お金をもらったり
食べ物を分けてもらっていた
何かをえたら
必ず貧しい人にも分け与えていたから
みんな少ししか食べられなかったが
いい事をしていると我慢して
お腹が空いたら
呼吸をしたらいいよといわれていたから
なんとか生きていけた
不思議と外で寝るのは慣れていて
体は痛くなかった
ただ食べていなかったから
すぐに調子が悪くなり
高熱が出たり反対に体温が低くなったりした
そんな時その人がいつも何かをしてくれるから楽になる
1人だけ僕の事をかわいそうと思い
優しくしてくれるおばさんがいた
僕を見つけた時
手を引っ張り家に連れて行きパンをくれた
そのパンは何日かたっていて
決して美味しいと思えるものでないかもしれないけれど凄く美味しく思えた
僕を雑踏の中から助けてくれたその人は
生まれ変わって初めて出逢った人だった
だから自分たちの生活は
特別な事でなく普通の事で
自分の状況も
自然なことと思っていたけれど
大きくなるにつれて
その人達は特別な人だとわかって
気がつけば周りには
自分のような人がたくさんいた
生まれ変わってあの時その人たちと
出逢えて良かったんだ
その人達は
人を助けることや
貧しい人と食べ物を分けあって
病気や怪我や心の傷を癒したりしている
宗教的な儀式的な祈りを捧げるでもなく
ごく自然に神への祈りをしていた
何かを崇拝したり
区別したりしていない
どこにも属さない人達
そして
ある日事件がおこり
とうとうあの人が連れていかれた
逃げた人もいた
その人はみんなに
"自分を知らないと言うように"
と指示した
その人の意志を引き継ぐために…
そして意志は引き継がれた
引き継いだ人は全員が裏切り者であり
全員が使徒であり
救世主だった
その全員が
"その人を知らない、あった事もない"
と言った
それで良かった
僕も知らないと…
その時ただ1人
ユダだけが"知っている"と言って
連れていかれた
その人の意志は使徒達に受け継がれた
生きなければいけなかった
生きてこそ
意志を引き継ぐことができるから
やがて
その人達が
望むかたちではなくなっていったが
教祖でも宗教家でもなく
その意志を多くの人に
伝えたかっただけなのに
その事によって
争いや多くの人が命をおとす事は
望んではいなかった
僕はあの時
"この人を知っているか?"
と聞かれ
声が出せなくて良かったとはじめて思った
もし口が聞けたら
"この人を知ってるか"と聞かれたら
"知っている"
と言ってしまっただろう
僕はただ首を横に振るだけだった
それがあの人の意志だった
皆んな泣きながら首を横に振った
それで良かった
その人は
いずれはそうなることはわかっていて
逃げも隠れもしなかった
《ユダはそういう意味では
裏切り者だったのかもしれない
意志にそむいたことになるのだから
いや、ユダは最初からそむく役目だったのだ
その役目を果たした
そしてその人と共に死を選んだ》
僕がそうだったように
人は生きながらにして
何回でも生まれ変わることができるから
怖がらなくていいから
ほおっておいても肉体は滅びるけれど
精神はどんどん向上していく
変化を
変わりゆくことを怖がらずに
前に進んでいけばいい
僕はそこに
その時代に生きられた事は
しんどかったけれど
素晴らしい事だったんだと
その人生が終わるときに思えたし
とても貴重な経験で
その経験があるからこそ
未来に強く生きられるんだと
希望をもてた
その人生を終わる時なのに
待ちに待っていたような感覚で
とても幸せに思えた
その人たちの元へ行けると思うと
ものすごく幸せで
この上ない至福感で
初めて生きてきて良かったと思えた
死ぬ時なのに生きてきて良かっと思えた
最後は
僕らしい死に方をした
雑踏の中
道端でイエスに見つけられたときと
同じように
道端で一人で死んでいった
至福だった
イエスが迎えにきてくれていた
みんなも迎えに来てくれて…
囲まれて…
こんな幸せはなかった…
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あとがき
途中泣くのをこらえながら
見えたことをそのまま口にすると
泣いてしまい前に進めそうになかったので
セッションのあとから
お伝えしたことですが
おばさんがくれたそのパンには
青カビがいっぱいはえていました
お伝えすると再び号泣されていました
でもそのパンを食べても
お腹はこわさなかったのだと思います
セッションに来られたその方は
『今日はなぜか朝ごはんを食べずに来ました』
とおっしゃっていました
みなしごだったノアは人生の
大半は空腹だったのです
けれど心は満たされていた事を
天に召される時に知ったのでしょう
そして
そのお客様は
『ノアという名前は子供と同じ名前です』
と話されていました…
これをどう受け止められるかは
みなさまにそれぞれに
ゆだねたいと思います
"真実は宇宙にあり"
ありがとうノア
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