故人、森川賢一氏を偲んで本日のBlog掲載とさせて頂きます。合掌
命日: | 2022年12月29日 (岡山県岡山市の病院で) |
年齢: | 64歳 |
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私、京都教育大卒23才~30才、東山高校時代を振り返って・・
急逝された森川氏の出身学校と長距離が得意で自身の活躍と共に選手指導(チーム指導)で大きな成果を上げたので、多くの関係者から余りにも早く亡くなられたので悲しみ深く、惜しまれています。私も唖然として、今も信じられない状況です。生前の活躍と賢一氏の人間味あふれる振る舞いと、指導の一貫性に敬意を表すところです。合掌!
京都市立紫野高校出身・京都教育大学、陸上競技部(長距離部門)・・当方、大卒と同時に私立東山高校教員として七年勤務する。大きな、人間として必須の、とても大きな学びをさせて頂きました。初任者に推奨したい職場であった。大本山・知恩院系の男子校で生徒諸君より、未熟、生意気盛りの私にとって、生徒より新任教員の当方の成長には宝物を頂いて、感謝の思いあふれておりました。陸上部の監督(顧問)と言うか、指導を任されて、無我夢中の七年間で、私の胆が定まったと言っても過言でありません。
・・話は変わって・・春の強化合宿を、兵庫県の淡路島・津名で実施・・人なっこい選手で(部員の友達関係)一人、森川賢一と名乗り、紫野高校の生徒が 、昔風言えば "頼もうー" と東山高校合宿に合流したのが発端です。これだけでも、読者には、私の勝手気ままで、選手の希望に添うべく学校の枠を越して気にせず、陸上愛好者がイキイキ集う様を大切にした。シーズン前の合宿と理解して頂くと良いと思います!・・
後年(凡そ45年後)、私、57才~60才、京都府立桂高校・校長として、今回の主人公の森川賢一氏が1教員として、陸上競技部の監督(顧問)分掌(学校内役割)は保健部、生徒の健康で安全な学校生活を維持向上を携わる部署の保健部部長、主に環境衛生面に彼は力点を注いでおられたと記憶にあります。それは、陸上の強化の一環に、校内のゴミ拾い始めトイレ清掃等も取り入れて、校内でも全員の教師・生徒も認知するところであった。
突然に、彼がご相談があるのです。これも知恩院系の佛教大学の陸上競技部の指導及び強化の依頼が有って、桂高校教員退職して、佛大の陸上競技の監督として一大決心をしようと、ご相談であります。・・何と、全国大学女子駅伝で偉業・全国優勝を実現して・・今度は、乞われて、企業(ヤマダ電機)からの招聘が有って、名実ともにプロ監督として、全国にも知られる有名な名伯楽として名を馳せたのであります。ここでも、実力ある選手を多く輩出したのであります。
・・その後、転勤しプロ監督は続いたのですが、あまりニュースに触れなくなっていた矢先の訃報であります。
参考
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私から、ヤマダ電機監督時代にメール連絡を致しました。
==森川賢一監督へ==
コメント下さい。soji2001 で検索マイブログチェックしてくださいネ 2019/05/03startの退職時に18項目のまとめ、もし、時間が許せるなら消化して・・・コメント下さい。そのコメントを私のブログに載せたいと思ってます。記名・匿名いずれも対応します。大監督への依頼です。無理ですかねー!私の棺扉を開けて一言二言のコメントです。7つの習慣・・中田君が(キングコング)の解説にありますねー!あなたは、読書家でしたね・・・私へあなたの哲学や世の中批判もあなたが思う事問いません。如何ですか?あるいはスルーでも結構、ちょっと寂しいね・・弔辞ガいいかな?お邪魔しました。吉田荘治
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==彼からの返信です==
吉田荘治先生へ
ブログ拝見しました。ありがとうございます。
先生にお声をかけて頂いたのは、45年以上も前になります。高校2年の夏の宇治であった合宿の時だと覚えています。そして3年になる前の春休みに淡路島の津名での合宿に呼んでいただいた時、「1人で旅行に来ていることにしておけ」の言葉は忘れられない思い出で、ここから私の人生が決まったのかと思います。大学も先生の母校に進学させて頂き、本当に最高の学生生活、陸上生活が出来ました。ありがとうございます。
先生の陸上競技と教育観の熱い情熱は今までも強く感じて居ましたが、ブログを読み続けて、なお一層その感を強くしています。私などのんびりしたもので足下にも及びません。桂高校に校長として来られて、「お前は、優勝しようと思っていないだろう。」と言われた時は「流石情熱派、吉田先生だ」と感じました。その時も私はわたしなりに精一杯やっていたつもりなのですが、先生のこれまでの熱血には物足りなかったのだと思います。先生は動の情熱の人だと思います。多くの人を魅了してやみません。私などはあまり情熱はないように見られます。他の指導者よりあっさりしているのかもしれません。ただ、時間をかけているだけです。35歳になるまでインターハイにも連れていけず、指導者として能力が低いのだと思います。そのような人間は、お寺のお燈明みたいなぼんやりとした明かりで長くやっていくしかありません。また、長く続けていても運に恵まれないとなかなか上手くいかないものです。私などは選手に恵まれ、環境に恵まれているのだと思います。ありがたいことです。
運を自分で開くのが先生なら、私は運を待つ方です。また、運というものはこの世の中に貢献するならやって来るというのがこれまでの感じです。そして光あるところが好きなようです。明るくこれからものんびりと運を待ちながらやっていこうと思います。日本一、世界一になれと運が言ってくれそうな気がしています。
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=今日の歩き=
4676歩・3.3km・燃焼脂肪13g ・総消費1896kcal
「実感は 全くなくて 賢一氏」
「亡くなった 意味も感じず 永遠に」
「不可思議な 人間の命 営みが」
「悲しまず 私には未だ 彼は居る」
=1年前の今日のBlogを思い出す=
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