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シニアつれづれ学び草

一生涯、世を知る学徒であり続けたい。書物、映画、旅行、生涯学習経験、一期一会、海外体験などから学んだことを書き記す。

映画“オーストラリア”をみた

2009-03-08 20:41:10 | 映画
 映画“オーストラリア”をみた。
 昨秋、2008年10月、現地でロードショーにかかっていた。その時、観たいと思ったのだが、留学中の学校の勉強が忙しくてとうとう見られなかった。帰国してからみればいいやと思っていたのが、やっと日本での公開となった。
 
 ハリウッドで活躍しているが、オーストラリア出身の監督(バズ・ラーマン)と主役はオーストラリア出身の俳優(ニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマン)でキャスティングされた映画で、監督自身が自分のアイデンティティを探る中で作ったストーリーなので、オーストラリアという国を凝縮して表した映画になっていた。とても楽しめた。

 ロマンス映画ではあるが、オーストラリアの自然、歴史、社会、文化、現在的な問題意識が、全部、下敷きとして盛り込まれている。アボリジニの人の歴史的立場も公平な立場で描かれていた。

 スペクタクルなので、“風と共に去りぬ”と比肩されて評論され、語られている。西部劇のような雰囲気もある。しかし、アメリカ映画のひところ流行していた西部劇は、不当にも先住民のアメリカン(インディアン)が常に敵役であったが、この“オーストラリア”では、先住民のアボリジニは敵役ではない。むしろ“Sorry!”という気持ちが入っている。そこが現代の問題意識が貫かれていると思った点である。

 広大な大地を1500頭からの牛追いをして長旅をする場面には圧倒される。オーストラリアの自然の荘厳さと厳しさが身に迫った。貴族夫人も強くならざるを得ない。牛追いのドローヴァー(カウボーイ)は正義感あふれた荒くれ男だが、白豪主義の白人社会からは孤立している。メイドとしての雇われアボリジニの子どもが、ストーリーの中でとても大きな役割を果たしている。

 時代設定が第二次世界大戦直前と大戦中の物語で、オーストラリアが連合軍側、日本が同盟軍側として敵対したことも描かれている。日本軍が空爆攻撃し、多くの人々が犠牲になるシーンも出てくる。これは歴史的事実だから日本人もきちんと見据えるべきことである。終戦記念日近くになると、今でも日本人は白い目で見られることがあると聞くが、ここに描かれた歴史的事実からの成り行きであることを知らない日本人は多いのではないかと思う。

 アボリジニのシャーマニズムもストーリーにふんだんに取り入れていて、この映画監督は文化人類学も学んだかも知れないとふと思った。監督がアボリジニの人々と一緒に映画を作る中で自覚させられた一番の教えは「物語は実際の土地の中に生きている。そして、人は何一つ所有することができない。」ということだったそうだ。たとえ、自分の子どもであっても、だ! 最後の場面で監督はそれを主張する。異文化に生きている私達でさえ、身につまされる場面だ。きっとそれは正しい、と。