1992年年末か、明けて93年だったか・・とある平日の17:00
出演オーディションを受けるべく
渋谷アピア(現在は 移転して 目黒:APIA40)の前に並んでいた。
宮入恭平や
彼:塩川昇のように
「自作の曲をお店で演る」人になりたくて
年末に四谷コタンのオーディションを受けるも審査通らず。
出演者であり店員でもある田崎さんには「緊張してたよな・・」と慰められ。
木村店長には「また来いよ。ただし次の挑戦まで2ヶ月は空けること。
その間に(落ちた理由を分析して)成長するために」
「二回目は最初より審査は厳しくなるよ」
とアドバイスをいただいた。だが
大学2年生が終わる前にひとりでライブハウスで定期的に演奏できるようになろう
という目標があったので2ヶ月は待てなかった。
コタンのオーディションは年末だったような気がする。
ということは翌月直ぐアピアに行ったとして1993年1月くらいの・・
とある平日だったのだな。
アピアの前は、お互い面識のない40人ほどの老若男女と40台のギターケースでごったがえしていた。
みんなも僕と同様に緊張しているのだろうか。
そんな中、歩道に座り申込用紙に書き込みをしていると、駅の方面からなんとフライトジャンパーに身を包んだ
彼がやってくるではないか。
「お前を観に来た」
僕は学生だったが彼は社会人だった。一日仕事をしてくたくたであろう状況で
応援に来てくれたのかと思うと嬉しかった。心強かった。
当時-今も、かもしれないが-ライブハウスのオーディションは「公開型」が多く
演奏はしないがワンドリンク頼んで観るだけ、という人も結構いたようだ。
「しかしよぉ、随分沢山いるんだな」
少し開場が遅れていたので雑談をしながら待つ・・
「ところでよ、お前ハープの《A》あるか?」
確かに、ギターを弾きながら使うつもりだったのでブルースハープの「A」Keyは持っていたが
何故いまそれを
聞くのだろう。
・・と思っていたら彼はいつのまにか歩道に座り込んでいた。
座り込んで何かを書いている。
・・・・・・申込書だった。
「観に来ただけのつもりだったが
周りを見ていたら燃えてきた。俺も受けるぞ、オーディション。
ハープはあるな、OK
ギターはお前の借りるぜ!」
かくして彼は
◇気をつけたほうがいいぜ
◇ホームラン
初期のスタンダードともいえる、この2曲を演奏したわけだ。
ところが。既に四谷コタンでレギュラーだった彼なのに、
オーディションのステージ上で「ダメだ・・これ落ちたわ」
と思ったそうだ。
理由は 2曲目の途中でアナウンスが入り、演奏を止められたから。
彼は「はい、もう止めてーー。次の方どうぞー」という処理的なものを
マイク音量の下げられ方、
照明のおとされ方で感じたそうだが
実は 単に、2曲目のサビ後のリフレインが長すぎた為の「カット」であった。
(後日、オーナーの伊東さん:談)
晴れてオーディション合格した彼は 3月14日(だったとおもう)にAPIAデビューを
飾ったのだ。
蛇足だが僕も合格をいただけたので3月1日にほろ苦いデビューをするのだが
それはまた別の機会に。
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます