ヨット屋稼業に戻りました。辞めてた訳ではないんですけど、、
他人から見ると、好きな仕事をしてて、しかも海の真ん前で働いてるリゲインは羨ましいようです。
しかし、リゲインがこの仕事を始めるに至るには紆余曲折があったのです。
もともとは普通のサラリーマンからビジネスをスタートしたリゲインですが、かなり面白い経験をしてきています。
最初に入社したのは現在のUSEN、ブロードバンドなどインターネットの会社というイメージが強いと思いますが、リゲインが入社した頃はインターネット自体が存在しません。
単なる有線放送の会社でした。
配属されたのは新宿営業所、、歌舞伎町のすぐ裏です。
リゲインの担当は歌舞伎町、、営業は夜から始まります、夕方カバンを頭に抱えて「おっはよーございます〜!」歌舞伎町のテナントビルに突入なのです。はい!相手はヤクザさんだったりします、、、
この深夜の仕事で身体を壊し、普通の会社に転職したつもりでした、、しかしそこはコピー機の販売会社
一日の訪問件数は40-50件が普通、、当時はコンビニがなかったのでラーメン屋やすし屋にも、、ど突かれて追い出されたこともありました。
そして一番長く在籍した日本の会社、時計のセイコーのグループ会社に入りコンピュータ事業に精を出し、最終的には親会社に転籍という異例の待遇、しかも4千人の社員に対して数十人しかいない管理職に抜擢され、最年少課長に、、
ちょうどインターネット黎明期、高待遇を捨てて外資インターネットベンチャー企業にあっさり転職
この時期は比較的に景気が良く、莫大な借金をしてマイホームも購入、男子の一生の中で一番の買い物です、自分の為の買い物ではないのですが、、、
この時期は仕事中毒で過労で倒れて入院したことも
ヨット活動に関しては30-40代に関してはお休みでとにかくがむしゃらに仕事をしました。
あの時間がなければ今の自分はなかったでしょう、、
そして、インターネット外資を上手く渡り歩き、年収はどんどん増えました、転職は2年単位で渡り歩きました
外資のリスクは突然の解雇
全く落ち度がないのに、解雇ターゲットにされたり、売り上げを200%達成しても解雇されたりと、、、
最終的にはクリスマスイブの夕方に解雇を言い渡されました。
そこでメゲず、わずか2ヶ月後には自分の会社を起業していました。強すぎ!
当時、どんなに辛くてもこの仕事は辞めない、、そう誓ったハズなのに、、大きく脱線していました。
格好悪くても生き抜く方が大切、、「逃げ恥」のセリフですが自分は格好悪い人生はNGです
厳しく辛い生活でも格好良く生きて行きたいと思うのです!
武士は食わねど高楊枝!
女子トップセーラーに「ヨット屋って男子一生の仕事じゃないですよね?」と言われたこともありますが、、