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スカッtoうお〜きんぐ

戦艦三笠〈艦上編〉

戦艦『三笠』を真正面から見る




 































































緑🟢の矢印
戦闘時の操舵室及び司令室↓

分厚い鉄の壁で覆われている。

隙間から外を見る。↓

平時の操舵室、航海用手旗↓







パープル🟣の矢印(見晴らし台)
東城鉦太郎画伯の絵で有名↓

『長官、戦闘になったら、ここは危険です』
『オイは、ここでよか。』




『秋山、皆に伝えよ。』
『ハッ!』

秋山の号令が艦内に響き渡る。


『旗旒(きりゅう)用意、
 Z(ゼット)‼︎  ---掲げ‼︎』

『皇国の興廃、この一戦にあり。
 各員一層奮闘努力せよ。』

この戦いで有名になった『Z旗』↓

元々は、航海用の手旗信号だか、
日本では、独自の意味。

Zは、アルファベット最後の文字。
つまり、
『あとがない…』

対馬沖にて
日本ロシア両艦隊が、ついに激突した。

東郷平八郎司令長官の右腕が上がる。
その腕が、左に振り下ろされた。
『取り舵いっぱい』
艦が急速に左に旋回する。

世界が驚いた
『丁字(ていじ)戦法』の始まりだ。


東郷は、バルチック艦隊の前方で、Uターン。
最終的には、
バルチック艦隊の進路を妨害するであろう
航路に強引に艦を乗せた。

このUターンをしている間は、
急速旋回の為、
日本側は、一切、射撃は出来ない。
ロシア側には、絶好のチャンスだった。

ところが、
命中率が悪かった。
前日の低気圧通過の影響で、
強風そして浪が高い。


『本日 天気晴朗なれども浪高し』

秋山の作戦あっての、
東郷の戦法であった。
Uターンを終えた日本側の射撃が始まる。

撃った砲弾の着水を見て、修正。
次の着弾を見て、更に修正。


バルチック艦隊が来るまでの間、
この海域での軍事訓練は十分であった。

また、
駆逐艦以上の艦には、
三六式無線機(明治36年採用)が常設。
命令が即時通達できる態勢であった。
(世界では、まだ採用されていなかった。)

日本側の砲弾についても考察。

命中した瞬間に激しく熱を発し、
甲板上のものを焼き尽くす榴弾
が使われている。

広島市鉄砲町出身の海軍技師、
下瀬雅允(しもせ まさちか)が開発した
『下瀬火薬』

金属に触れると激しく反応、
大量の熱を発する
純粋ピクリン酸を主体とした
強力な爆発薬だ。
後にTNT火薬が登場するまで、
最恐の火薬だった。

※※※                                           ※※※
あまりに強力な『下瀬火薬』
下瀬本人の指を吹っ飛ばし、
海戦後、
三笠は、佐世保に帰港。
下瀬火薬に誘爆炎上。自沈。
699人の死者を出す大惨事を起こしたほど。
※※※                                            ※※※

ロシア側の状況も考察。

リバウ軍港出航後、北海にて
イギリスの漁船を誤射沈没させた。
日英同盟の影響もあるらしい)
イギリスとの関係は悪化した。
その為、
イギリスに妨害される事になる。

エジプトのスエズ運河を通れず、
アフリカ大陸を大きく迂回。

英国領の
ケープタウン(南アフリカ)
シンガポール(東南アジア)では、
寄港、補給できず、
疫病、食料、燃料に不安のある
7ヶ月以上の航海となった。
その末の海戦。

士気が上がるはずもない。

全ての条件が、
日本側の勝利を示唆していた。
成るべくして成る
というのは、この事である。

27日から始まった海戦は、
翌28日まで続く。

最新鋭艦4隻含む
バルチック艦隊は、ことごとく沈没。
拿捕を除くと
38隻中、無事だったのは、小型艦6隻のみ。
対して、日本側は、
水雷艇3隻の沈没、主力艦は全て温存。
他に類を見ない圧勝だった。

日本の勝利に世界が驚いた。

明治維新から僅か40年弱。
日本は欧米列強に
堂々と肩を並べる事となった。






次回、艦内に突入。😁
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