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10月29日生まれの著名人を紹介します-BirthDay 紹介-

2020-10-29 09:44:55 | 日記
・つんく♂
音楽家 実業家
1968年生 大阪府出身
1988年はたけ、まこと、たいせー、しゅうとともにシャ乱Qを結成
1992年ロックバンド・シャ乱Qのフロントマン(ボーカリスト)としてデビュー後モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの総合プロデュースを務め以降音楽プロデューサーとしても活動
1999年マキシシングル「TOUCH ME」でソロ・デビュー
2000年シャ乱Qの活動を休止
翌2001年4月芸能活動、プロデューサーとしての活動での名前を「つんく♂」と改名
2004年から2006年までモーニング娘。や松浦亜弥などの提供曲のセルフカバーや自身の青春時代の思い出の曲をカバーした3枚のアルバムをリリース
ライブやディナーショーを開催
2006年プライベートでは結婚「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」(フジテレビ)の出演でシャ乱Q活動を再開
総合エンターテインメント事務所「TNXティーエネックス株式会社」を設立
ゲームソフトリズム天国などのプロデュースを手掛けた
2009年つんく♂単独のファンクラブ「つんく天然音泉」が発足
2014年喉頭がんを患ったことを公表 「完全寛解」を発表したが、がんが再発見され10月上旬に手術を受けていたことを10月17日に明らかにしその後2015年1月20日日本を元気にする会の結成記者会見にメッセージを寄せた際、松田公太議員により声帯摘出したことが明かされる
(2013年9月21日に東京・中野サンプラザで行われたシャ乱Qの結成25周年記念ツアーの最終公演が最後の歌唱となる)
2015年9月10日手記「だから、生きる。」を出版
2020年5月31日アイドルユニット「Task have Fun」とのコラボプロジェクトを始動
オーディションでの選考基準の一つとして
「この子が20歳位になったとき、自分の好みにピッタリはまるなという様な子は、どれだけ光っていても選考から外す」
とも語っている


・高嶋政宏
1965年 東京都出身
1987年映画「トットチャンネル」にて俳優デビュー
同作及び映画「BU・SU」での演技により第61回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞や第42回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞
第30回ブルーリボン賞新人賞、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第12回報知映画賞新人賞などを受賞
テレビドラマでは「純ちゃんの応援歌」で人気を得るが1993年の「同窓会」が世間に強烈なインパクトを残し自身も役の幅を広げる
「山岳救助隊・紫門一鬼」シリーズや「レ・ミゼラブル」「ヤマトタケル」などで活躍
幼いころに「キッス」の影響を受けてから無類のロック好き
最初はエレキギターをやりたかったが、父親に「不良になる」と却下された
2010年からアデランスの「アデランスは誰でしょう?」の第2弾CMに新庄剛志・八嶋智人と共に出演
正解は高嶋で頭の真ん中の頭頂部までをさかやきのように剃り上げ、まるで落ち武者のような髪型で登場した
代表出演作品
「ストロベリーナイト」
「S -最後の警官-」
「信長協奏曲」
映画
「ゴジラvsメカゴジラ」
「ヤマトタケル」
「キングダム」
その他多数


・新井和輝
ベーシスト ロックバンドKing Gnuのメンバー
1992年生 東京都出身
14歳よりベースを始める きっかけはバンドに誘われた際、ベースしか空いていなかったため
大学時代友人のいる国立音楽大学に通って授業を受け音楽の知識を得る
国立音大公認の名門学生ジャズバンド「NEWTIDE JAZZ ORCHESTRA」に参加
山野ビッグバンドジャズコンテストで最優秀賞を受賞
2017年、King Gnu始動
2019年、King Gnuメジャーデビュー


・堀江貴文
実業家 著作家 投資家
1972年生 福岡県出身
東京大学在学時にインターネット事業会社オン・ザ・エッヂを設立
売上高2億5000万円で東証マザーズに上場
後に社名をライブドアに変更し会社を時価総額8000億円、売上高784億円企業に成長させ「時代の寵児」と目される
メディアにも多く取り上げられ日本でも有数な著名起業家となっていく
多種多様な事業展開をしていきプロ野球球団買収、テレビ局グループ買収に乗り出す
国政選挙にも挑戦
釈放後も様々な事業を手掛けている
インターステラテクノロジズで宇宙事業を手かげる
日本の民間ロケットとしては初めて宇宙空間に到達した
野菜を食べてえらい


人工甘味料チクロの使用を禁止
1969年 厚生省が発癌性の疑いがあるとして人工甘味料チクロの使用を禁止しました
チクロは1937年にアメリカ合衆国のMichael Svedaが発見した甘さは砂糖の30倍から50倍と言われる人工甘味料です
後味がわずかに苦いが、サッカリンやアセスルファムカリウムほどではなく、それらの高甘味度甘味料に比べてすっきりした砂糖に近い甘味を持つものです
以降日本ではチクロを使用してきた食品・菓子は甘味料が変更されることで味が変化したり、廉価なチクロが使えなくなったりしたことによる価格上昇で売上を落とし姿を消した商品もあったそうです
パッケージにはチクロを使用していないという意味で「全糖」という表現も見られ、これを機に砂糖や天然由来の甘味料、アミノ酸ベースの甘味料に切り換え現在に至るまで販売されている商品もあります


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