みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
自然社のホームページのトップページには
事実と異なる表現がなされています。
私が神社建設のために
いただいている
募金については
自然社本宮の賽銭箱(拝殿や慰霊殿)
そして
高野山奥の院の賽銭箱にも入れさせていただいています。
なので、このお金は
自然社本宮と関係がありますし
高野山奥の院とも関係があります。
ここで
先日の
天皇陛下のお誕生日に際しての
会見から
陛下の
お言葉を
掲載したいと
思います。
週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては,
人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は,憲法が保障する基本的人権として,誰もが尊重すべきものですし,
人々が自由で多様な意見を述べ合える社会をつくっていくことは大切なことと思います。
その中にあって,一般論になりますが,他者に対して意見を表明する際には,
時に,その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ,異なる立場にあったり,異なる考えを持つ人々にも配慮し,尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。
お知らせ |
最近、自然社関係者であることを匂わせ、家庭や店舗を訪問するなどして募金活動を している人がいるとの情報が寄せられました。 現在自然社では、家庭や店舗などを訪問しての募金活動は一切行っておりません。 従いまして、当法人はこのような活動とは一切関係がないことをここに申し上げます。 |
と
ありますが
もし、自然社関係者であることを
におわせている人が実際にあるならば
その人に対しても
寛容の心で
救っていくのが自然社としてのつとめではないでしょうか?
さらに
陛下は次のように述べられています。
皇室の歴史を紐ひも解くと,皇位が連綿と継承される中では,古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位継承の行方が課題となった様々な出来事がありました。そのような中で思い出されるのは,上皇陛下が以前に述べておられた,天皇は,伝統的に,国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた,というお言葉です。このお言葉に込められた思いは,ひとり上皇陛下のみのものではなく,歴代の天皇のお考えに通じるものと思います。平成28年に愛知県の西尾市を訪問した折に岩瀬文庫で拝見した戦国時代の後奈良天皇の宸翰般若心経しんかんはんにゃしんぎょうは,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らが写経され,諸国の神社や寺に奉納されたものの一つでした。その後,京都の醍醐寺では,後奈良天皇の般若心経を拝見し,奥書に「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず心を痛めている」旨の天皇の思いが記されていました。さらに大覚寺でも,嵯峨天皇のものと伝えられる般若心経や,後光厳天皇,後花園天皇,後奈良天皇,正親町天皇,光格天皇が自ら写経された般若心経を拝見しました。このように歴代の天皇は,人々と社会を案じつつ,国の平和と国民の安寧のために祈るお気持ちを常にお持ちであったことを改めて実感しました。また,武ではなく文である学問を大切にされてきたことも,天皇の歴史を考えるときに大切なことだと思います。例えば,鎌倉時代の花園天皇が皇太子量仁かずひと親王に宛てて書き残された,いわゆる「誡太子書かいたいしのしょ」においては,まず徳を積むことの大切さを説かれ,そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。このような歴代の天皇の思いに,深く心を動かされました。私は,過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを,天皇としての責務を果たしていく上での道標しるべの一つとして大切にしたいと考えています。そして,その思いと共に皇位を受け継いでこられた,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,研鑽さんを積みつつ,国民を思い,国民に寄り添いながら,象徴としての務めを果たすべく,なお一層努めてまいりたいと思っています。
(宮内庁のホームページより)
神様の教えで
おほきみは国民の親である
と
教えられている私たちです。
どうか
陛下のお心を
もとに
自然社のホームページを
作っていただければ幸いです。
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。