十八世紀より十九世紀にかけて全世界が旧信仰の大破産に遭遇するや、古き宗教の権威は全く地に落ちて而かも新しき宗教は未だ生れず生れても成人せず為めに其の信徒を挙げて一時科学宗唯物宗の為めに奪はるゝに至つた。けれども世人は長年の間の経験に依つて科学も亦何等人生の帰趣を解決するの能力なきを看破するや次第に新宗教渇望の声が高まつて来た。現在は即ち其の信仰の復活期である。此の世界の気運を受けて生れたのが雑誌新宗教である。
本誌は主観的に天理教主義を奉じて人心を改造し、社会を改造して健全なる黄金世界を此の現実の世界に実現することに努力すると共に客観的に洽く新宗教現代人の信仰を研究して時代の要求の那辺にあるかを探知し、もつて人生の帰趣を誤らざらしめんとするにある。
本誌が天理教主義を奉じて人心の改造、社会の改造を行はんとする所以は其れが神の最近の人生観終局の理想を表象して居る為めばかりではない。実に人類が過去に於て歩み、現在に於て歩み、又た将来に於て歩まざるべからざる生の本道であるからである。(元より近代に於て勃興した新宗教は天理教のみではない。英のブースの救世軍の如き、米のエツデイーのクリスチアン、サインスの如き、露のプラパツキーのセオソフイの如き、又た我が国の黒住教、金光教の如き新興宗教はあるが其れは神の所謂細道である、)これ本誌の依つて金剛不壊の信仰である。
けれども今日の社会は未だ天理教の真価を認識しない。従つて天理教が独新宗教の名を独占するの不遜を鳴らすものがあるかも知らない。其れは敢て本誌の意に介するところではない。何故なれば本誌の目的は神一條人間一條世界一條の真理 天理人道 其者を伝へるにあつて其の名ではないからである。けれども世人の疑惑と誤解とを解かんが為めに神が天理教祖を通じて語つた次の言葉を紹介して置かなければならぬ。曰く「今迄も何の様な教へもあるけれども皆神が子供の成人に従つて教へて来たものである。
今度の教は教へ始めの教へ終ひ、これ一つ充分に仕込んだなら後に何も教へることはないぞよ」
と又曰く
「世界中蚊の鳴く様な時もある。真暗闇になる時もある……世界中皆な一つの光を親ふて
尋ねて来る」と又曰く
「世界中の智者学者が思案に余つて今に天理教の誠を聞きに来る時がある」
世界は一大革新の時期に到達した。世人は活目して天理教の発展を見なければならぬ。
最後に一言明言して置かねばならぬことは天理教は教祖一代の宗教でもなければ信徒一団の宗教でもない、人類永遠の宗教であると云ふことである。即ち神は教祖の昇天後其の高弟飯降伊蔵を起して更らに二十年の天啓を継続した。尚ほ将来必要に応じて神は何時にても予言者を起して人類に対する天啓の声を継続するであらう。神の言葉の中には『道の発達は世界の発達』と云ふ言葉さへある。これ本誌が天理教をもつて新宗教の中心生命とせる所以である。
大正四年三月十一日