ここで一つ疑問が残ります。
それは責を果たすだけが命なのでしょうか。
生きることに努力し、仲間や家族と幸せに暮らし、楽しい時間を満喫している時の至福感はどこから湧いてくるのでしょうか。
色々な欲を満たせば満足感を感じるし、だから辛いことも忘れて日々の生業に精が出せる。
この欲こそが生命活動の原点であるのかも知れませんね。
逆に考えれば満足感や安心感を味わへなければどんどん不幸感や不満感、不安感そして恐怖感、脅迫観念が湧いてきて、強奪や戦争などの諍いに発展します。
人類がこれからどう繁栄するか。そこには二つの相互に影響する問題があります。
一つは「普遍責」でもう一つは「学習責」です。
普遍責は一般には欲と云う概念で代表されます。食欲とか物欲とか性欲などもそうです。人を愛したり、結婚し家庭を持って子供を育てながらいろいろ仕事して幸せに暮らす。この欲が生物全体に不変的で根っこにある本能から発する欲である。
この個人欲や集団欲を「根心責」とも名付けます。
学習責とは簡潔に云うと文明そのものです。
問題とは何か、人類の行動原理(本能欲や欲望、利己独占欲)と文化的理想(法や科学、倫理、道徳)やで矛盾し、対立し、葛藤することです。
人類に根付く本能からの根心責を超えて、知性的で科学的で理想的な世界を目指す人類の学習的な個人や集団の道義である学習責を「超心責」とも名付けます。
この二つの特性である「根心責」と「超心責」を生きている間にどう制御しながらその命の責を果たすかは死の問題と合わせた解明が必要です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます