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竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

ミュージシャン&総菜屋「やきとり王子」こと竹田克也は、毎日東長崎で活動中!

迷惑でしょうが

2015-02-02 22:06:46 | コラム

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最近お気に入りの「とんねるずの歌」。

 

結構社会派メッセージなんかもあり、お笑いの人が歌う歌の中でもかなり聴き応えのある楽曲だと思う。

 

 

 

でも今回はとんねるずの話では無い。タイトルと動画と本文はまったく関係ない。

 

迷惑でしょうが…ほっておいてください。

 

 

 

「迷惑かけないようにするので、やりたい事があるんです」
先月、ながさきむら瓦版で漫画を連載しているPENNYから企画の相談があった。

まちづくり会議「ながさきむら村議会」は4年目に間も無く入ろうとしている。地元民だけではなく地方出身者、様々な年代が集まって毎月話し合いをしている。
人それぞれ違ったまちづくりへの想いがあって、それは「良くしたい」というぼんやりとした目標に束ねられている。
参加者の中に美術を志す20代の男がいて、毎月発行している瓦版で漫画の連載をしてもらっている。
その男が冒頭のPENNYだ。
普段はハサミを製造する会社で働き、それ以外の時間では絵の勉強を実直に続けている。

彼は元々、お弁当を主に買いに来るやきとりキングのお客さん。
何度か交流するうちに漫画を描いていること、現代美術に深い関心がある事を知って、意気投合したのが彼との付き合いの始まりだ。

僕はまちづくりの活動は駅前広場でライブをやりたいという事からスタートさせた。
自分を含む芸術分野を目指す人が力を育める地域になったら面白いなあ、と常々思っていた。
その頃、瓦版の編集長を同級生が担当するようになり、もっと紙面を面白いもの、バラエティに富んだものにしたいという方針になった。
「四コマ漫画あってもいいね」
誰となしに言い出したのだが、その瞬間に僕の中で彼が浮かんだ。

それで声を掛け、とりあえず定例会に参加してもらった。

その時の様子は今や語り草になっている。本人はそれを言われると照れ臭そうに嫌がるので多くは語らないが、若さ故の勢いというか生意気盛りというか、そんな感じだった。

そんなスタートだったが四コマ漫画ははまった。毎月ちゃんと締め切りには間に合わせて描いてくるし、可愛いキャラクタと裏腹に緻密な背景描写などは目を見張る出来だ。

そんな彼が冒頭のように相談して来た。
「迷惑かけないようにしますので」
その言葉に反応してとっさに出た僕の言葉がこうだった。

「迷惑かけてよ」

よく「周りに迷惑をかけない」というのが至上命題のように話される。
「何やってもいいが迷惑だけはかけるな」と。
でもさ、迷惑ていつだってかけるものじゃない。

 

生きていれば図らずも風邪だって引くし、重い病気にだってなる。
そうなれば仕事に穴を開けることだってあるし、病気を移すことだってあり得る。迷惑な話だ。

 

職場で一人やたらにやる気あるやつがいるとしよう。それだって人によっては鬱陶しいと思うかもしれない。迷惑な話だ。

 

ある業界に新しいビジネスが生まれれば、ある会社は売上を落とし、やがては倒産、淘汰される可能性だってある。
大きな迷惑でしょ。

 

 

 

人間社会って大なり小なり迷惑を掛け合いながらやっていくものなんだよ。

 


新しいチャレンジは特に迷惑を蒙りやすい。でもその迷惑を引き受ける人がいるから、人間は新しい価値観を更新し続けてきたのではないだろうか。

 

それに、結局「助け合い」というのは、迷惑の掛け合いの「お互い様」なのだ。

 

 

 

あの時とっさに「迷惑かけてよ」と言ったのは、思い返してみると、きっと寂しかったのだろう。何かあったら相談してよ、関わらせてよ、というのが「迷惑かけてよ」になったのだと思う。

 

第一、PENNYが最初に定例会参加した時の熱い対抗は、迷惑だった訳で、でもそのエネルギーがあった時に僕がどのように答えるかを一生懸命脳みそ使って考えた事は今となっては財産な訳で。というとPENNYは迷惑がるだろう。

 

だから、まあ、迷惑はかけて下さい。

 

勿論、損失的なものは極力避けたいけど。

 

 

 

むむ、そうなると結局「迷惑かけないようにする」というバランス感覚が基準の方がいいのかな?

 

何だか分からなくなってきたぞ?

 

 

 

だけど、一つ言える事は、おそらく今後とも、わたくし自身、関係者各位には迷惑かける事は多々あると思われます。

 

皆様、どうぞご了承頂きたく候。

 

 

 

という事だ。

 

 

 

 


イメージの話

2015-01-29 08:27:46 | コラム

産まれてから四回目の未年を迎える訳だけど、幼少時に比べると「光陰矢の如し」が実感を持って感じるようになってきた。

新年あけてもう一か月過ぎちゃうもん(涙)

町にいると、「○○さんが倒れた」とか「亡くなった」とか、そういったニュースを聞くことも多い。

その度に己の身に置き換えてみるのだけど、僕に残された時間というのがどのくらいなのか、というのは神のみぞ知る事であって、もしかしたら何かの拍子にコロっと人生を終える事だって考えられる。

こういう想像は昔からよくしていた。幼少時はただただ死が怖かった。でも不思議なもので30代も後半に差し掛かると、死への恐怖は無い訳ではないが、それよりも生きている今充実しているかが大切に感じるようになってきた。

残り時間はわからない。それなら今こうして生きているうちに、やりたい事や、こうして思いをつづるとか、心が動く活動に参加したくてしょうがない。

いつだって僕は妄想をしてきた。

これはイメージの話。

大人という区分に自動的に入れられて何年経つかわからないけど、年を追うごとに「イメージの話」が軽視されていくのを感じる。

自由に想像力の翼を広げるにも許可がいるようになる。

「翼を広げるなとは言わないが、人の邪魔にならないように許可とってね」と。

そして今ある現実が全てのようにふるまい、己が送ってきた人生の統計に当てはめて人が広げようとする翼をバサッと折ろうとする。

悲しいかな、無邪気な心で。

でも僕たちの生活の中にあるものは、自然減少以外全て人の想像力からうまれた、つまりイメージから始まったものだという事を忘れているんだよね。

誰かが「冷やせたら食べ物をもっと保存できるのに」と思ったから冷蔵庫があり、「遠くの人と連絡とれたらいいな」て思ったから電話がある。

誰かが「絶対人間は飛べる」とイメージしたから、今や日常として飛行機は空を飛んでいる。

お金の話や、条件の話、環境の話。やたら「現実」という言葉を連呼する人はイメージの話をするとアレルギー反応を起こす。

そもそも現実は「実が現れる」と書く。

過去に撒いた種の現れと捉えると、未来の現実を作るのは正に今の種撒きなんだ。

僕たちには羽根は無い。でも想像力というのは素晴らしいんだ。飛行機に乗らなくたって空を飛べる。空から街を見下ろしたり、それこそ自分自身を眺める事だって想像力の中で出来る。この想像力といいう人間の能力は本当に凄いんだ。

だからもっとイメージの話をしよう。

「こうしたい」と思う事は口に出して話そう。

そう話すことが恥ずかしい事ではないんだ、と言える社会にしよう。

「そんな事言っている暇あったら仕事(勉強)しろ」とか言わないで、ちゃんと耳を傾けてみよう。

そこにどんなヒントがあるかわからないんだから。イメージを軽視するって事は宝を捨てるようなことだよ。

所詮生まれて死ぬまでの宿借りなら、その家を楽しいものにしよう。

それが出来るのも、また人間なんだからね。

 


朝、思ったことを記録

2015-01-23 07:19:51 | コラム

今朝はちょっち暖かい。
昨夜は寝るのが遅かったので眠たいし、食事が遅かったので胃がもたれている。

昨日ちょっとだけプチ会合して、そこでまちづくりの議論をした。

道路計画が事業認可されて、東長崎の様相は変わることが概ね決まった。

計画道路内に十字会商店街がある。

なので沿道にいなくても私たちは当事者になっているのだが、なかなか商店会としてのまちづくりの方針が出せずにいる。

勿論土地や建物には所有者がいて、その人たちの保障は財産は守られる憲法の観点でも大事なことだ。

しかし「財産」という観点でみるなら、この街に居を構えているという時点で、私たちは街の財の一部という捉え方もあり、メッセージを提示する権利は生じるものと、私自身は認識している。

街に対する責任だ。

街が変わる時に条件をまとめる事は大事だが、それが入り口になると、まちづくりは破綻する。地権者民主主義とでも言えるのだが、地権者は保障が取りまとまると、その地域を離れる可能性が高い。

誤解を恐れず言えば、最も無責任な立場になる可能性が高いということになる。

後に残るのは沿道にいない人であり、沿道には新しい住人が流入する。

人口は増えるかもしれないが、町会や商店会にはたしてどれだけコミットするだろうか。

商店会として「これからもこの地で商売するんだ」という気迫と「こんな街にしたいんだ」という夢を描く作業は、無責任な意見にみえるかもしれないが、実は地権者を無責任者にさせない為にも大事な事なんじゃないだろうか。

いずれにせよここで商売をし続け、生きて行くということは、この地に対して責任を持ち続ける事になる。

だったら今、この瞬間から「責任者として」無責任とも取れるかもしれない自由で楽しい未来予想図を描くことは、一番やらなきゃいけない事なんだと、僕自身は思っている。

任せっぱなしで完成したものに愛着もてるかな?

少なくとも僕はその一端を担いたいと強く思っているよ。


景気が悪いのは

2015-01-20 21:20:24 | コラム

僕は経済の専門家ではありません。

そもそも高卒で音楽屋を目指して生きておりましたので、大学受験もしておりませんし、受験勉強もやりませんでした。

なので、受験シーズンに向けて切磋琢磨する受験生の皆さんには頭が下がる思いです。

といいつつも、我が人生に悔いるところはありませんで、ただの高校三年生が受験生なるレッテルを張られる前に降りたけど、結果いい人生送っています。

とはいいつつも世間は景気が悪いと言っておりますな。

何で景気が悪いかを色々な角度で検証しているようですが、まあ、なかなかいい手は打てていないのが現状のようですね。

僕の目線で思う事をちょいと書きます。

毎朝ラジオ体操をやっているのですが、その時間帯に新聞片手に出勤する知り合いが通るのです。

ある日僕が飲み屋から帰る24時近くに踏切であったので、「どこかで飲んできたんですか?」と尋ねたら、「今まで仕事でした」と申す訳でして、朝6:30に家出て、24時に帰宅って何時間働いているんだという事です。

ああ、、景気良くなるわけないや。

と、まあ思う訳。

仕事に時間の多くを奪われて、どこで金使うの?

「飲んで帰った」という方がましだな、と思うわけでございます。

尚且つ女性を労働市場にという流れがございますが、誰が地域の商店街やデパートで「昼間に」買い物するんですかね。

今の政権は「みなさんは考えなくていいですよ」「働いてくれればアベノミクスの果実を味わえます」と言っています。

それでいいや、て思いますか?

ま、思うから今の政権になったんでしょうね。

浅はかで、考察というほどのこともしておりませんが、景気が悪いのはお金が市中を回らないからで、回らない理由を考えましょうよ、という事なんです。要は働いている人がお金を使わないからで、働いているんだからお金が無いという事はないはずですので、きっと殆どの時間を差し押さえられて使う時間がないのでしょうね。

それを改善するのは、結局自分たちの意識に他ならないのですよ。

 


政治って、すぐそこにあることなんだよ

2015-01-11 11:35:24 | コラム
先日、豊島区商店会連合会の賀詞交歓会に出席した事は書いたんですが、そういう場ですので区議会議員とお話する機会が当然あるわけです。
で某政党の(晒してもいいんだけど、まあ一応何処の政党かは伏せとく)知ってる議員さんから「竹田くんの立場で政治に話題を出すべきじゃ無い」みたいな事を言われたんです。
かつて商売人は政治と野球の話はするなと言われました。
それっておかしいじゃ無いですか
私たちの社会生活は政治と切っても切れない関係性にある訳ですよ。
なのに政治的発言や行動が嫌悪の対象としてあるのって、民主主義国家としてアウトですよ。
なのでその議員さんには「僕は政治の話をざっくばらんと話せる地域社会にしたいんです」とお伝えしました。
思想信条は人それぞれです。でも地域社会は色々な思想信条の総体で、それを戦わせながらも認め合う事が条件になります。
なので個々人の政治信条は素直に表現できる、そんな地域社会作りをしたいと僕は思っているわけです。
区議会議員という立場は民主主義に則ったものであると思っているにですが、結局のところ民主主義を育てる気がさらさら無いことばかり感じさせられて、非常に残念な気分にさせられました。
僕たちはもっと政治の話をしなきゃいかんですよ。
だって社会生活って政治が必ずそこにあるんですから。
それぞれの立場を表現することが、今後の地域社会を育てるのに必要な事なんだと知って欲しいです。