世界の詩最新事情

毎月1回原則として第3土曜日に世界の最新の詩を紹介いたします。アジア、ラテンアメリカ、中国語圏、欧米の4つに分け紹介。

第29回 ソルマズ・シャリーフ(Solmaz Sharif) ―アメリカ合衆国― 佐峰 存

2019-08-11 15:19:20 | 日記
 近年、SNSなどを通じ個々人が世界に対して発信する手段を持つようになったことにより、世界中で地殻変動が起きている。しかし、私達の住む社会は依然、二十世紀から変わらず“力の論理”で動いており、個々人と向き合い切れていない。世界情勢を見渡すと寧ろ社会による個人に対する締め付けが強くなっているとも感じられる。そのような目線に立ちながら作品に接してみたい詩人がイラン系アメリカ人のソルマズ・シャリーフ(Solmaz Sharif)だ。第一詩集『Look』で全米図書賞(National Book Award)の最終候補となり大きな注目を浴びた。
 彼女の二つの故郷―米国とイランは周知の通り長らく対立してきた。2019年現在も、ホルムズ海峡における諍いを中心に二国の関係は日増しに悪化している。シャリーフの作品には互いに敵対する国に挟まれた一個人としての苦悩が色濃く出ている。彼女自身が選んだでもない、国家間の軋轢に揺さぶられること、そしてそのために個人としての生き方が毀損されること。シャリーフは“言葉を見つめること”を通じ、このような境遇に対し静かな抵抗を続けてきた。
 私自身の米国生活の体験からも実感したが、米国社会は多様性に溢れながらも、同調圧力が非常に強い社会だ。米国ではいずれの個人も何らかのマイノリティ(人種・文化的背景など)に属しており、自らの属するマイノリティが強い求心力を持っている。米国社会が一つに纏まるには一貫性のある強い国家像が必要となる。
 米国の強い国家像を支えている要素の一つとして、軍が挙げられる。軍は米国社会・文化と切っても切り離せない関係にあり、時代毎の空気を作ってきた。米国は様々な価値観が重層的に作用し合っている社会だが、軍が持つ価値観は国家としての“本音”に近いものといえるだろう。シャリーフが詩集 『Look』で目をつけたのはこの点だ。
 『Look』はその中心的なテーマとして、米国国防総省における言葉の使い方を注視する。シャリーフによると、国防総省では一般的な用途と異なる言葉の使われ方がされている。同省の「Dictionary of Military and Associated Terms」には国家の用途に合わせて“公式な意味・解釈”が定められているという。例えばタイトルの「Look」という言葉は、地雷を使った戦闘において、地雷が人などの対象(“Influence”)に対し起動可能な期間を表す。このように言葉の意味・解釈を国家が一元的に定めることで、世界の様々な事象に対して統一された物語が付与される。言葉が社会によって固定した定義を与えられるとき、その言葉は“個人の言葉”とは真逆の方向に向かう。
 このような理解のもと、作品「SAFE HOUSE」を見てみたい。

  《SANCTUARY where we don’t have to
  SANITIZE hands or words or knives, don’t have to use a
  SCALE each morning, worried we take up too much space. I
  SCAN my memory of baba talking on
  SCREEN answering a question (how are you?) I would ask and ask from behind the camera, his face changing with each
  repetition as he tried to watch the football game. He doesn’t know this is the beginning of my
  SCRIBING life: repetition and change. A human face at the seaport and a home growing smaller. Let’s
  SEARCH my father’s profile: moustache black and holding back a
  SECRET he still hasn’t told me》

(“SAFE HOUSE”, Look, 2016, Graywolf Press)


  《SANCTUARY 私たちが
  SANITIZE しなくとも 手を 言葉を 刃物を、
  SCALE を使わなくとも 毎朝 私たちが空間を取り過ぎないように。私は
  SCAN する 私の記憶 お父さんが話す
  SCREEN (元気?)という質問 私はきく カメラの裏からきく、繰り返す度に彼の顔は変わる
  フットボールの試合をみようと。 彼は知らない それが私の
  SCRIBING する生活の始まり:反復と変化。 港と家の人間の顔が小さくなり。
  SEARCH しよう 私の父の略歴:黒い口髭 噤んでいる
  SECRET 私にも明かさずに》

(同上、引用者訳)



 大文字で書かれた言葉がアルファベット順に並べられ、語り手の個人的な生活風景に散りばめられている。これらは国防総省の用語集において特殊な意味が与えられた言葉だ。語り手はこれらの用語を自らの過去の一場面に当てはめ直し、いわば“言葉の蘇生”を企てる。
 作品「SAFE HOUSE」を眺めていると、大文字(=力を持った文字)が菌類のように語り手の生活を侵食しているように見えてくる。元々は小文字で自由だった生活の言葉が、一元的な言葉の脅威にさらされる。語り手とその「お父さん」は米国と敵対する国を故郷として持ったが故の、薄らとした疑いの目で米国社会から見られている。
 語り手と父の間に差し込まれた社会の目線によって生じる隔たりを埋めようと、語り手は筆記(「SCRIBING」)する。そして「人間の顔」を記録する。詩を書くときに〈人間〉という概念的な言葉を使うのは難しいが、ここでは成立している。この作品が扱う主題は私達共通の普遍的なものであり、かつ語り手とその家族は私達の代弁者となり得る状況にまで追い込まれているからだ。
 作品名自体、“安全な場所”を意味しながら、大文字で書かれている。家庭という数少ない拠り所も飲み込まれてしまった。「毎朝、私たちが空間を取り過ぎないよう」という言葉は、社会の目線に耐え切れずに萎縮する個人を端的に表しており、かなしい。どこにでもいる米国の住民“のように”テレビでスポーツを観戦しようとする父。「黒い口髭」の(偏見も混在する)匿名性を通じて社会は父を見る。父の「略歴」―しかし実際に一個人のどこが省けるというのだろう。一つひとつの大文字は痛みの形状を帯びている。
 社会が父を貶めるから、娘は父を逆方向から自身の言葉を介し記録し直す。そこには被疑者ではない生身の人間の姿が浮かび上がる。大文字の言葉による浸食を精確に刻みながらも、柔らかな小文字・文脈の追い風を以て押し返している。
 言葉は人の認知をつくり、人は言葉によって動く―とすれば、一元的な定義と共に企図を劇薬のように含ませた社会の言葉には細心の注意と警戒が必要だ。シャリーフはこのような視点に立って作品を書いている。彼女の作品に登場する語り手の社会に対する不信感は強烈だ。作品「DRONE」から引用する。

  《: my father says say whatever you want over the phone
  : my father says don’t let them scare you that’s what they want
  : my mother has a hard time believing anything’s bugged
  : my father and I always talk like the world listens》

(“DRONE”, Look, 2016, Graywolf Press)


  《: 私の父は言う 電話では言いたいことを言いなさい
  : 私の父は言う 彼らに怯んではいけない 彼らの思うつぼだから
  : 私の母は 盗聴が行われているなんて思っていない
  : 私の父と私は 世界に聴かれているようにいつも話している》

(同上、引用者訳)



 「世界に聴かれているように」という表現にある「世界」は一つの解釈に留まることのない自由な言葉だ。一見、語り手の家族を監視する捜査当局を指しているようでありながら、「私の父と私」を取り巻く全てのものを指している。それは社会とも受け止められるし、さらには自然界や宇宙、宗教上の想像主とも捉えられる。前述の“人間”という言葉同様に、“世界”という抽象度の高い言葉が無理なく作品に織り込まれている。解釈毎に語り手やその父の姿勢も変わってくる―複雑な心模様が渦巻いている。シャリーフの高い力量がここでも見てとれる。
 社会と個人は生活の場において互恵関係にあるが、社会は時には個人を従わせるために暴力を振るい得る存在であることを彼女は強調する。シャリーフは国家が言葉に一元的な意味を与えること自体、暴力的な行為であると主張する。2018年10月のハーバード大学における講演で彼女が語った“詩人の役割”が示唆深い。
 「身体に対する暴力の前触れとして、まず言葉に対する暴力が起こります。…詩人には言葉の番人としての役割が求められています。(A violence against bodies is premeditated in a violence against language…that intersects with the role of the poet as a caretaker of language…)
 前述のホルムズ海峡における出来事においては日本も当事国となった。シャリーフの言葉は日本で言葉に向き合う私達にとっても切実な響きを発している。




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