■ 2023年04月01日 矢板市のサクラを満喫する街歩き
JR東日本駅からハイキング「市指定天然記念物のシダレザクラを満喫するハイキング」に参加してきました。JR宇都宮線矢板駅で参加受付後、長峰公園~矢板武記念館~塩竃神社~芭蕉句碑~剣神社~道の駅矢板~矢板駅に戻るルートを歩き、矢板市の桜を堪能しました。
▼ ルートマップ
JR宇都宮線矢板駅~長峰公園~矢板武記念館~塩竃神社~芭蕉句碑~剣神社~道の駅矢板~矢板駅に至る8.4Km
▼ JR宇都宮線矢板駅で参加受付
▼ 長峰公園では「Yaita Sakura Festival」が開催されていました。
▼ 「Yaita Sakura Festival」のパンフレット
▼ 矢板武記念館のシダレザクラ
▼ 塩竃神社・・・神社の由来(口伝)によると、製塩に関係のある神社。古代には矢板市内の塩田、高塩、玉塩(現玉田)などに塩水が出て、それを集めて蒸発させ製塩した。そこには現在でも須釜という地名が(幸岡と館の川の境付近)が残っており、そこに須釜神社があったと伝えられれている。これが塩竃神社となり、その後現在地の西方の本社に移り、天正8年(1580)現在地に移転したといわれている(説明板より抜粋)。
▼ 扁額の「塩竃神社」は勝海舟の揮毫とガイドさんから説明があった
▼ 説明板
▼ ヒサカキ
▼ ムラサキハナナ
▼ 芭蕉の句碑・・・「そのままに月もたのまじ伊吹山」この句は芭蕉が元禄2年(1689)の秋、奥の細道の旅を終えて門人の斜嶺を大垣(岐阜県大垣市)に訪ねた折に詠んだ句。斜嶺亭から西を眺めると伊吹山が高く美しくて、雪や月や花の風情に頼らなくてもすばらしいといった意味。当地の塩谷院秀賢が、ここから眺める高原山が美しく、伊吹山のように秀麗であるということで、文政3年(1820)に庚申塚の上に建立したもの(説明板より抜粋)。
▼ 剣神社・・・神社由来によると、平安時代に源頼義、義家が奥州の安部貞任、宗任を追討(前九年の役)の時、葛城峰において戦勝を祈祷、追討が達成したのちの康平7年(1064)に源頼義、義家父子が、太刀を奉納したことから「鉞大明神(つるぎだいみょうじん)」と号し、その後当地に神社を移したといわれている(説明板より抜粋)。
▼ 参道の階段に咲くタチツボスミレ
▼ 拝殿
▼ 説明板
▼ 内川沿いのサクラ
▼ 矢板小学校のサクラ
【参考】
1、矢板市観光協会 – 栃木県矢板市。懐かしい街並み、あたたかな人たち、林檎への情熱、そして誇らしい山「高原山」のまち。