前回の三条天皇の時に、藤原道長との対立を書きましたが、その要因がこの後一条天皇に在りました
道長にとって待望久しい外孫皇子の出生は、その後の道長一族の栄華の始まりでした
三条天皇は、道長にとって ”目の上のたん瘤” だったのでしょう、一日でも早く外孫皇子の即位をと
だから三条天皇にとって、大変不幸なと云うか、運が悪かったと云うか、道長には逆らえなかった
8歳にして第68代天皇として即位しましたが、跡継ぎの皇子の誕生も見ぬまま29歳で崩御されます
藤原道長と云えば、紫式部が登場します、紫式部も結構謎多き女性で、生没が不詳なんです
たぶん970年頃の生まれで、1016年前後に亡くなっているとか、しかもこの二人・・・
藤原道長と紫式部の関係も色々と取り沙汰されておりますが分かりません、しかし・・・
この外孫誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく書かれているようです
因みに後一条天皇は寛弘5年9月11日〈1008〉誕生、長元9年4月17日〈1036〉崩御となっています
後一条天皇が8歳で即位した時は、紫式部はもうこの世に居なかったかもしれませんね
後一条天皇の【菩提樹院陵】〈ぼだいじゅいんのみささぎ〉は第57代陽成天皇陵から2分ぐらいの処にありました
陽成天皇陵の前の道を左にそして右折した処
道路の向こうに見えているのが
【菩提樹院陵】です
前回の三条天皇陵と同じように少し小高くなっています こちらが拝所前にある制札です
下の図は【菩提樹院陵】陵墓地形図です
この両墓地形図の円形の部分が、この森になり、
その前が石の鳥居です
少し下の方の字が消えていますが、石に刻んだ、後一条天皇菩提樹まで読めますでしょう
さて続いての天皇陵の、第69代後朱雀天皇・第70代後冷泉天皇、第71代後三条天皇は拝所が並んでいます
云わば、トリプル陵なんです、竜安寺の裏山にあります・・・お楽しみに
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