松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

二歳で即位の第79代【六条天皇】と第80代【高倉天皇】もダブル御陵!

2017-10-07 17:00:33 | 日記

〖驕る平家も久しからず〗、と云われた時代の悲運の天皇二人

  

二条天皇の第二皇子であった順仁親王は僅か二歳で即位【六条天皇】となる。

この時代、後白河上皇〈法皇〉と平清盛に操られた時代

陽成天皇を始めとして、朱雀、後一条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛、・・・

この間軒並み、幼少の天子が続き、天皇の親政は望めず、院政が100年以上続く

六条天皇が二歳で即位、現在の満年齢でいうと9か月の赤ん坊である、益して五歳で退位する

もちろん天皇自身は分からぬまま、そして譲位を受けて即位するのが

第80代【高倉天皇】であり、まだ僅か八歳であった。

このお二人、崩御されるのも早く、六条天皇13歳、高倉天皇21歳であった

特に【高倉天皇】は平清盛の娘〈徳子〉を中宮としている・・・後の建礼門院

この二人には壇ノ浦で亡くなった、安徳天皇が第一皇子として誕生している

もう一つ・・・高倉天皇と云えば、詩吟を志しているものには【小督の局】は欠かせない

【小督の局】は、高倉天皇の皇后〈徳子〉が天皇の傍にと出仕させたと云われています

高倉天皇は大変に気に入り、一時も離さなかった、しかし清盛入道の知るところとなり

小督は身の危険を感じて嵯峨野に身を隠します、天皇は「仲国」を小督探索に・・・

小督は琴の名手、方や!仲国は笛の名手・・・嵯峨野の渡月橋の畔で素晴らしい琴の音が

思わず「仲国」は笛を吹きながら、琴の音のする館へ・・・

黒田節の二番に〈峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か・・・〉とあります

 小督の住む館へと入って行く「仲国」と、館で琴を奏でる「小督」

一度は天皇のもとへと戻りますが、結局「清盛」の逆鱗に触れ「清閑寺」へと・・・

高倉天皇は自分が無くなった時には、小督の墓の傍へと言い残したと伝わっています

清閑寺で亡くなった【六条天皇】と共に、ダブル御陵として清閑寺から見下ろす土地に

拝所からは鉄の門が閉ざされていて墓所を見上げるだけです

制札には六條天皇【清閑寺陵】〈せいかんじのみささぎ〉と高倉天皇【後清閑寺陵】〈のちのさいかんじのみささぎ〉と

拝所の前に石段が、上の塀の奥が墓所になっている

 

ここ拝所の前から更に右へと昇ると清閑寺があります

 

上に門が見えてきました・・           清閑寺の入り口です

 

小督が此処で剃髪をしたそうです

 

             謡曲の「小督」と清閑寺の謂れが・・・

 

        清閑寺から下を見ると御陵の拝所と制札が見えます

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清閑寺への中腹からの撮影です、ここからでも墓所は窺えません・・・奥は森のようです

 


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