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和包丁の技術は世界を制す、いや、制したかも知れなかった!?

2017-05-07 | キッチン用品
昔は文化の中心は京・大阪でした。
関西から江戸に送られてきたものが”下(くだ)りもの”、つまりいい物、高級品ということですが、逆によくないもの、つまらないものが、下らない物になったわけです。
文化は高きより低きに流る、ということで下るなのでしょうか。

堺は、政治の中心、京・大阪をひかえ貿易港として栄えたようです。
なぜ鍛冶職人が多かったのかは、寡聞にして知りませんが、
ただ、高度な職人文化が、分業という形で独自に発展していたようです。

NHKBSの番組を見ていた時、おもろいことをいう先生がいました。
織田信長の時代、日本の鉄砲保有数は断トツで世界一だったそうです。

鉄砲は本体だけではただの鉄の棒です。火薬があって初めて武器としての優位性を確保できるわけです。
火薬の原料に硝石が必要なのですが、日本では産出しません。

(*かなり昔、小説だったか漫画だったか忘れましたが、貴重な硝石が入手できない忍者が、
湿っぽい便所の隅に結晶化している硝石を集めて火薬を作ったというのですが、そんなことがあるのか、どうも自信がありません。
自信がなきゃ、書かなきゃいいのですが、昔の田舎は肥料にするため、便所は母屋とは別に作って糞尿をためていました。
その暗くてじめじめしたイメージが、この話は本当だ、本当だと蠱惑的に囁きかけてきて、その誘惑にどうしても負けてしまうのです。)

この硝石を一手に輸入していたのが堺の商人でした。
だから信長は堺の商人に大量の鉄砲を発注しました。

信長のいうことを断るというのは怖い気がしますが、それ以前に儲け話を逃しているようでは商人の名が廃ります。
商人たちは鉄砲の製造を地元の職人たちに依頼します。
職人たちはその要望に見事にこたえたわけです、

応えられたのは、分業という文化でした。
当時、ヨーロッパでは一人の職人が鉄砲のすべてを作っていたそうです。
ところが堺の職人は分業で制作したので、大量生産が可能でした。しかも一部が壊れても部品調達が簡単でした。
つまりメンテナンスもばっちりだったわけです。

かくして鉄砲保有数世界最高水準にまで到達していたのです。

ここでNHKBSのおもろい先生(関西人です。)の話になるのですが、
鉄砲数世界一、しかも村上水軍という造船術、航海術に卓越した集団を従えた信長が、
もし本能寺で殺されずにその後何年も生きていたら、間違いなく世界に翔たいていたはず、というのです。
(秀吉晩年の愚策、朝鮮出兵は、明国制覇という信長の野望を引き継いだからだという人もいます。)

そして信長が七つの海に打って出れば、大英帝国の前にそのすべてを支配し、
世界の共通語は、英語ではなく関西弁になっていたはずだ、というのです。

話が相当脱線しましたが、堺の包丁は、このような歴史に裏うちされた逸品だということが言いたかったわけです。


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