昨日バイトが終わって駅から家に帰る途中、奇跡的にshop-iのメンバーに会いました。
JOB会議の後につぼ八で随分飲んでいたらしいです。
T君が無闇にジャンプしたり、通行人に向かって「どこから湧いて出やがった」とか何とか言ったりしていました。
終電を逃したHさんとプラチナさんはそのままウチに泊まっていきました。
何がどうなったのか思い出せませんが、話題は何故か世界史に。
三人とも私大文系・世界史受験なので、里は違えど重箱の隅をつっつきまくった戦友です。
マイナーな世界史用語を言っていき、「あぁ~あったあった」と懐かしむ不思議な談笑をしました。それも2時間くらい。
ドヴァーラヴァティーとかムムターズ=マハルとかヴェルチンジェトリックスとか
チンギス=ハンの長子ジュチの子バトゥとかの単語が出るたびに爆笑。
世界史の単語って何であんなに響きが面白いんでしょう。
スリジャヤワルダナプラコッテ並です。
起きたのはもう昼で、三人で油麺にこにこへ。
ここはファンがけっこう多く、mixiにはコミュニティが出来たくらいです。
昼よりも2時から4時の微妙な時間が混むのが特徴です。
食べて、野菜ジュースを買って、二人と別れました。
買ってあった『回転木馬のデッド・ヒート』を読みました。
人から聞いた変わった話をできるだけそのまま書いたという、小説のようなエッセイのような不思議な本です。
「雨やどり」という話から引用。
「しかし年をとり、それなりに成熟するにしたがって、我々は人生全般に対してもっと別の見方をするようになる。
つまり我々の存在あるいは実在は様々な種類の側面をかきあつめて成立しているのではなく、
あくまで分離不可能な総体なのだ、という見方である。
つまり我々が働いて収入を得たり、好きな本を選挙の投票をしたり、ナイターを見に行ったり、女と寝たりするそれぞれの作業は
ひとつひとつが独立して機能しているわけではなく、結局は同じひとつのものが違った名称で呼ばれているに
すぎないということなのである。
だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にあり得るのだ。」
作者が読んだとある小説に、「金を払って女と性交しないというのはまっとうな男の条件のひとつである」
という文があったそうで、それについての考えが最初に出てきます。
作者にはそんな風に言い切ることはできそうにないと言うのです。
「我々は実にいろんなものを日常的に買ったり売ったり交換したりしているために、
最後には何を売って何を買ったのかさっぱりわからなくなってしまったということが多々あるから」
だそうです。
作者はもちろん金を払って女と性交しないし、したこともないし、この先しようとも思わないらしいですが
「我々は多かれ少なかれみんな金を払って女を買っているのだ」ということが言えるのだ、とも言います。
ちょっと例がアレですが、言われてみれば確かにそうなのです。
日々の生活は全部つながっており、それぞれ独立しているわけではないのです。
休日に映画を見に行くのは、映画を見るためだけではなくて
平日のストレスを解消させる面もあります。
つまり平日の仕事のための休日の映画、というとらえ方が可能です。
逆に、何故人は働くかといえば日々を楽しく過ごすため、という部分がけっこう大きいと思います。
としたら休日の映画のための平日の仕事、とらえることも可能なわけです。
まさに「分離不可能な総体」です。
これを認識していないと、何かしんどいことを為そうとする際
孤独にそれのみに打ち込んでしまったりして、結局失敗してしまうのです。
一見ムダに見える友達との談笑や趣味の時間も
巨視的に見れば案外そんなことはなかったりするんですよね。
知識を増やすための読書と一緒に、小説も読もうかな。
「性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり」というところが絶妙な表現だと思ったので
タイトルにさせていただきました。
JOB会議の後につぼ八で随分飲んでいたらしいです。
T君が無闇にジャンプしたり、通行人に向かって「どこから湧いて出やがった」とか何とか言ったりしていました。
終電を逃したHさんとプラチナさんはそのままウチに泊まっていきました。
何がどうなったのか思い出せませんが、話題は何故か世界史に。
三人とも私大文系・世界史受験なので、里は違えど重箱の隅をつっつきまくった戦友です。
マイナーな世界史用語を言っていき、「あぁ~あったあった」と懐かしむ不思議な談笑をしました。それも2時間くらい。
ドヴァーラヴァティーとかムムターズ=マハルとかヴェルチンジェトリックスとか
チンギス=ハンの長子ジュチの子バトゥとかの単語が出るたびに爆笑。
世界史の単語って何であんなに響きが面白いんでしょう。
スリジャヤワルダナプラコッテ並です。
起きたのはもう昼で、三人で油麺にこにこへ。
ここはファンがけっこう多く、mixiにはコミュニティが出来たくらいです。
昼よりも2時から4時の微妙な時間が混むのが特徴です。
食べて、野菜ジュースを買って、二人と別れました。
買ってあった『回転木馬のデッド・ヒート』を読みました。
人から聞いた変わった話をできるだけそのまま書いたという、小説のようなエッセイのような不思議な本です。
「雨やどり」という話から引用。
「しかし年をとり、それなりに成熟するにしたがって、我々は人生全般に対してもっと別の見方をするようになる。
つまり我々の存在あるいは実在は様々な種類の側面をかきあつめて成立しているのではなく、
あくまで分離不可能な総体なのだ、という見方である。
つまり我々が働いて収入を得たり、好きな本を選挙の投票をしたり、ナイターを見に行ったり、女と寝たりするそれぞれの作業は
ひとつひとつが独立して機能しているわけではなく、結局は同じひとつのものが違った名称で呼ばれているに
すぎないということなのである。
だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にあり得るのだ。」
作者が読んだとある小説に、「金を払って女と性交しないというのはまっとうな男の条件のひとつである」
という文があったそうで、それについての考えが最初に出てきます。
作者にはそんな風に言い切ることはできそうにないと言うのです。
「我々は実にいろんなものを日常的に買ったり売ったり交換したりしているために、
最後には何を売って何を買ったのかさっぱりわからなくなってしまったということが多々あるから」
だそうです。
作者はもちろん金を払って女と性交しないし、したこともないし、この先しようとも思わないらしいですが
「我々は多かれ少なかれみんな金を払って女を買っているのだ」ということが言えるのだ、とも言います。
ちょっと例がアレですが、言われてみれば確かにそうなのです。
日々の生活は全部つながっており、それぞれ独立しているわけではないのです。
休日に映画を見に行くのは、映画を見るためだけではなくて
平日のストレスを解消させる面もあります。
つまり平日の仕事のための休日の映画、というとらえ方が可能です。
逆に、何故人は働くかといえば日々を楽しく過ごすため、という部分がけっこう大きいと思います。
としたら休日の映画のための平日の仕事、とらえることも可能なわけです。
まさに「分離不可能な総体」です。
これを認識していないと、何かしんどいことを為そうとする際
孤独にそれのみに打ち込んでしまったりして、結局失敗してしまうのです。
一見ムダに見える友達との談笑や趣味の時間も
巨視的に見れば案外そんなことはなかったりするんですよね。
知識を増やすための読書と一緒に、小説も読もうかな。
「性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり」というところが絶妙な表現だと思ったので
タイトルにさせていただきました。