バージェス動物群

カンブリア紀中期の化石動物群。多数の門にわたる動物のほか、所属不明の多種多様な化石が含まれる。(広辞苑)

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

4月3日 晴れ

2006年04月03日 11時11分56秒 | Weblog
徹夜をしたら、日記が書きたくなりました。

4月1日
昼 弁当本舗で早仁飯
夜 テリヤキチキンバーガー サラダセット
  連れのビーフシチューを搾取

新歓の花見があった。
自分は新入生の一人と話すうち、どんどん語りだしてしまって、
サークルの紹介をほとんどしてなかった。
一応したけども話に無理やりつなげる感じだった。
女子高出身で、ヴァイオリンをやっていた子で、先輩は知り合いのヴァイオリン職人に感じがよく似てますと言われた。
神経質なとこが、似ているらしい。
「神経質」の意味の理解が曖昧だったので、今辞書で引いてみた。

しんけいしつ【神経質】
①(Nervositat ドイツ)神経の機能の過敏または繊弱を特徴とする心的性質。
②こまごまと気に病むたち。また、そのさま。


そうか、神経質なのか。
正直友達にはあんまり欲しくないタイプだね。
ヴァイオリンでも作って生きていこう。

語るのはすごく楽しかった。将来自分は神経質で説教くさいオヤジになることでしょう。
また来てほしい。


4月2日
昼 牛肉あんかけチャーハン 餃子
夜 とんこつ味噌ラーメン
夜食 駄菓子(ねるねるねるね・果汁グミ・M&M'sチョコレート・チートス・カルメ焼き)


ノコギリザメとエイとタカアシガニとアシカとイルカとペンギンを見た。
ノコギリザメが疲れていた。
あとイセエビも見た。怖かった。
マンボウも見た。やる気がないというか、生きているのかどうかすら怪しかった。
そして雨が降ってきた。



今から新歓ブースに参ります。
コメント (23)   トラックバック (3)

罔し

2006年03月28日 03時13分14秒 | Weblog
最近、また中島義道氏の本を読んでいます。
買った順に羅列すると
哲学の道場
ぐれる!
私の嫌いな10の言葉
哲学の教科書
です。

以前読んだ「哲学の道場」をついこの間引っ張り出して読んでみると、新しい発見があったので嬉しくなり、
ついつい買い足してしまったのです。

「哲学の道場」の中で、大森荘蔵という人の言葉を引用しているのですが、そこをまた引用してみます。

指先の物理的な傷、それに伴う痛覚受容器の物理化学的変化、
それに伴う痛覚神経の電気化学的な変化、それに伴うその変化の電気化学的伝道、
そして脳の知覚神経細胞の物理化学的変化――そして痛み、
このとき体のなかの諸変化はすべて物質の動きであり変化である。
だが、私は指先が痛いのである。
私は指先を調べる。だがそこにあるのは傷口であり、あるいは受容器の変形や損傷である。
そのどこにも痛みは存在しない。
物質粒子はどう動こうと粒子の動きであり、そのどこにも痛みはない。
では痛みは私の脳の神経細胞にあるのだろうか。
ふたたび神経細胞を調べる。
そこに見出すものはあるいは蛋白質、あるいは脂肪、あるいは無機物質である。
そのどこに痛みがあろうか。
また、どの蛋白質が痛んでいるのだろうか。
どこにも痛みはない。
この物質世界には痛みは存在しないのである。
痛みはこの物質世界から排除され、閉め出され、疎外されている。
同様に、私が5+7=12と考え、あるいは痛みは物質世界から疎外されていると考えるとき、
その考えを私の脳細胞のなかに探してもみつからない。
・・・痛みと同じく、思考も、また意志も、要するにcogitoすべては、物質世界から閉め出されているのである。


これ、クオリアじゃないですか。
クオリアという概念を知ったのは「哲学の道場」を読んで結構経ってからなのですが
何でクオリアを知ったときはヒザを打って、この文章を読んだときには何も感じずにスルーしてしまったのか。

やっぱり、最初読んだ頃はきちんと言語化せずにぼんやりした考えのまんまだったから
ピンとこなかったんでしょうね。
思えばここ数ヶ月意識とか認識とか、そういう本ばっかり読んだり考えていたりしましたっけ。

これ以外にも、読み返してみると「ああ、こういうことを言っていたんだ」という部分がいくつも出てきて、
全く新しい本を読んでいるような気分になってしまいました。
こういう本は、貴重だと思います。
哲学書というのは、みんなこんな感じなのかもしれません。
まず最初に読んで理解したような気になることすら難しそうですが。

やっぱり、ただ本を読むだけではダメですね。
「学びて思わざれば則ち罔く、思いて学ばざれば則ち殆し」ですね。
(確か論語は文脈もクソもなかったと思うので、使って大丈夫でしょう。多分。)

最近思うのですが、考えるのは座ってブログ書く時間や電車で立ってる時間より、
どこかを散歩する時間が一番向いている気がします。
何でかはよく分かりませんが。足が刺激されると脳にいいのか、移り変わる景色がうまい具合になんかくるのか。
つい先日も大手町から早稲田まで歩いたり、上野から早稲田まで歩いたりしたのですがいい感じでした。


そんな感じで、しばらくは中島義道ばっかり読みそうです。
大脳を調べて意識現象を解明するという考えは「ひどくしろうと臭い」らしいし
かの大学者、丸山真男の哲学に関する理解は「旧制高校生レベル」であるらしい。
興味深いです。
コメント   トラックバック (1)

ウェブのこれから

2006年03月26日 23時22分47秒 | Weblog
RTCカンファレンスに行ってきました。

近江商人 JINBLOGで紹介されていた
休むに似たりさんのエントリでのメモが凄く詳しいのでリンクさせていただきます。

【イベント】RTC vol.10 「ウェブ進化論」

みなさんが言っていたように話がかなりバラけていましたが、面白かったです。
ウェブ上での性善説・性悪説、「こちら側」の逆襲などの話は深く掘り下げてみたいです。

後半で周囲の人と「ウェブ進化論」の中で一番気になった部分について話し合ったのですが、
10分の時間でうまく形にできず、素朴な感想しか言えなかったのが悔しくて仕方ないです。
思考の瞬発力がないなあ自分。
また、ワークスタイルの部分が気になっている人が結構いたようですが、学生で実感のない自分はあまり理解できず。

個人的に凄く印象に残ったのが、今は統計的に見るとテレビを見る時間が4時間、ネットは1時間らしいが
これからはそれが逆転していくだろう、という意見。
実際、雑誌や地方局が食えなくなってきているという状況も出てきているんだとか。

自分の生活を省みると実際そうなんですよね。
テレビや新聞はほとんど見なくて、GoogleNewsで気になった記事を見て、詳細をネットで調べて、ブログで色んな人の意見を読んで・・・
ほとんどの人がこういうライフスタイルになっていくのなら、明らかに構造が変わっていくわけで。
そこには無限のチャンスがありそうです。


やっぱり、実際に会って話し合ってみる、というのは得るものが大きいですね。
また興味がある勉強会があったら出てみたいと思います。
というか、みんなで輪講会とかやろうか。


話はズレますが、最近面白いサービスを見つけました。
socialtunesというもの。
まだ1000人ちょっとしか参加者がいないんですが、面白くなっていきそうです。
Amazonにコミュニティ的な要素を組み込んだ、という感じでしょうか。
AmazonのアソシエイトIDを持っている場合は、マイページを介して商品が購入された時にアフィリエイト報酬が支払われるらしいです。
「ウェブ進化論」の「富の再分配」の話に通じるか?

自分はブログタイトルと同じ名前でやってますので、メッセージ送ってもらえたら嬉しいです。
今なら招待ナシで参加可です。

ちなみに、これを作った人はQooqleコトノハを作った方でもあります。

コトノハもブログタイトルと同じ名前でやっております。


23:55
某深海魚の人誕生日おめでとう。
と、誕生日が終わるギリギリに言ってみる。
コメント   トラックバック (1)

名言集とGoogle Print

2006年03月16日 04時06分47秒 | Weblog
こんなん見つけました。

名言集.com

含蓄のある言葉ばかりで唸らされます。
本質的なことを短い言葉で言い表す、というのは最高にかっこいいです。

しかし、注意すべき点は知らない人の言葉ばかりであるということと、その短さです。

ある言葉を言った人を知らないということは、その言葉がどういう文脈で使われた言葉なのか、
ということについて全く知らない、ということ。
人はどうしても自分を正当化してくれるような意見を求めてしまいます。
本当は全然違う意味で言われた言葉を、自分好みに曲解してしまう可能性が非常に高いのです。
そして、その可能性は言葉が短ければ短いほど高くなります。

偉人の言葉を援用し、博識ぶってみたい衝動にかられる自分としては、
書籍の内容の全部、もしくは一部をスキャンしてデジタル化し、検索可能にするという
Google Print』プロジェクトを応援したい気持ちでいっぱいです。

このGoogle Print、もちろん著作権で保護された書籍は検索ワード周辺の数行や目次などが表示されるだけですが、
著作権が消滅した作品は全てのページが閲覧可能なのだそうです。
印刷やダウンロードは不可らしいですが。

ある言葉を検索すれば、
その言葉を誰がどの著作でどういう文脈で言ったのかがすぐに分かるわけです。
その言葉を誰がどのように引用しているか、もわかるでしょう。
これで手軽に曲解を防ぐことができて、安心ですね。
本当は本を読みまくるのが一番いいんですがね。


まあ、これは特殊な使い方ですが、このGoogle Print、凄く画期的だと思いませんか?
著作権等の問題で一般書籍はまだまだ先が長いようですが、もしも世にある全ての書籍が検索対象になったら。
あるものについて学びたい、知りたい、と思った時にこれを使えば、一瞬でどの本を読むべきかわかります。

検索によって買うべき本が決まったらどうするか。
Amazonで注文です。

ITはハンパないですね。
本当にグーグルゾンができそうな気がしてきました。


最近の関心事

Googleという隕石 前編 後編
今度、インタビュイーの梅田さんの本「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」についての
カンファレンスに行ってきます。
web2.0について何かヒントを得てこようと思います。
コメント (4)

フリーペーパー

2006年03月07日 03時50分58秒 | Weblog
Shop-iJOBフリーペーパーの編集作業が終わりました。
編集長とは名ばかりで、実際はO君に頼りっきりでした。
ありがとうO君。
これからイラレ・フォトショ・インデザインをグリグリ使いこなせるようになりたいもんです。

今回のフリーペーパーはデザインも色もガラっと変わってますが、基本的に設置場所は同じです。
すなわち、Shop-i加盟店様の店頭です。
高田馬場・早稲田地域によく来る人は是非取っていってください。
多分、完成品が届いたら画像UPします。

フリーペーパーといえば、リクルートが25歳から34歳の男性サラリーマンを対象とした『R25』の別冊として
高校を卒業した人に贈る『R17』、新社会人向けの『R22』などを発行してました。
誰かが部室に持ってきてたのを見ただけなので、17のほうしか読んでないんですが
広告の、量と種類が変わってます。

R25は毎回それなりの量の広告があり、タイアップ広告も目だってましたが
R17は表紙をめくるとリクルート自身の広告。
そして全体を通して広告の量自体が少ない。

若い読者を今のうちに確保って寸法なのでしょうか。
大胆な金の使い方です。

それにしても、今年高校を卒業する人はほとんどが18歳のような気がしますが
やはり雑誌名としてはキツかったのでしょうか。




コメント (6)   トラックバック (1)

成功体験

2006年03月04日 03時43分41秒 | Weblog
雑誌や本を読んでいると、「成功体験」という言葉が出てきます。
読んで字のごとく成功した体験のことですが、この成功体験がある人間というのは人生において成功する、というのです。

確かにそんな感じがします。
「勝ち組」「負け組」という言葉が流行して結構経つような気がしますが、
常々思うのは
いわゆる勝ち組はますます勝ち組に、
いわゆる負け組はますます負け組に

なってしまう傾向があるよなあ、ということです。

何かスポーツの大会で優勝したとか、難しい学校に合格したとかいうことそれ自体は人生においてそれほど意味がないはずです。
150kmの剛速球を投げることができても、源氏物語を原文ですらすら読めても仕事には全くと言っていいほど役立ちません。
(プロ野球選手とか日本文学研究者とかは別として)
では何故そういう人間が成功する傾向があるのか?
根性がついているから、とか記憶力が鍛えられているからとか色々あると思いますが、
自分は、やはり一番大きいのは自信だと思います。

自分は辛いことを乗り越えて目標を達成した」という経験があるからこそ
自分ならどんな辛いことも乗り越え、目標を達成できるはずだ」という自信が生まれるのです。

だから、そういう人間は仕事をするための純粋な能力としては周囲と大差なくても
自分は結局目標を達成することができなかったから、どうせ今回も・・・
と考えてしまう自信のない人間よりは明らかに能力の伸びに差が出てしまうのです。

成功体験を持つ人間は能力の伸びが早い。するとますます成功していく。
成功体験のない人間は能力の伸びが遅い。するとますます成功できない。

なんだか非情です。

東大生は何故優秀なのか?
それは東大に受かったことがあるからである、と最近思うのでした。


成功体験のない人間はどうすればいいんだろう。
これも最近思うんですが、成功できる場に移る、もしくはそういう場を作るというのは
セコいようで案外有効じゃないのかなということです。
既存の場で競争してみたけど成功体験が得られなかった、というのなら
競争相手があんまりいなくて、自分が参入すればすぐにチャンピオンになれるような場へ移動すればいいのです。
ブルー・オーシャン戦略です。(読んでないですが)
そこで成功体験を得て、自信をつけて物事に臨めばいいのです。
ナンバー1になれないのならオンリー1になってみて、自信をつけてナンバー1に再挑戦です。

まあ、新規参入者を圧倒する努力も必要だしそういう場を見つけるセンスも必要なので
これはこれで結構しんどいことだったりするのですが。
でも既存の場で負けてそのまま負け続けるよりはずっといいように思います。

色々書いてはみたものの、よく考えれば中学、高校の頃にこういうことやってた人って結構いましたよね。
誰も知らないような洋楽に詳しくなってみたり、
やたらとマイナーなスポーツに打ち込んでみたり、
外交問題や軍事問題に妙に関心を持ってみたり・・・

もちろんそうでない人もたくさんいたと思いますが。


今日の「検索で知るコトバ」

インディペンデント・コントラクター
インディペンデント・コントラクター協会によれば
「期限付きで専門性の高い仕事を請け負い、雇用契約ではなく業務単位の請負契約を
複数の企業と結んで活動する 独立・自立した個人のこと」
だそうです。
「サラリーマンでも、事業家でもなくフリーエージェントである働き方。「雇われない、雇わない」これが、ICの生き方と定義されます。」
アメリカンですね。

もち肌ロボ
柔らかい「皮膚」をもつ自律型の生活支援ロボット。
長く使って劣化した時とかスゲー気持ち悪そう。



コメント (1)

性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり

2006年02月25日 23時53分00秒 | Weblog
昨日バイトが終わって駅から家に帰る途中、奇跡的にshop-iのメンバーに会いました。
JOB会議の後につぼ八で随分飲んでいたらしいです。
T君が無闇にジャンプしたり、通行人に向かって「どこから湧いて出やがった」とか何とか言ったりしていました。

終電を逃したHさんとプラチナさんはそのままウチに泊まっていきました。


何がどうなったのか思い出せませんが、話題は何故か世界史に。
三人とも私大文系・世界史受験なので、里は違えど重箱の隅をつっつきまくった戦友です。
マイナーな世界史用語を言っていき、「あぁ~あったあった」と懐かしむ不思議な談笑をしました。それも2時間くらい。

ドヴァーラヴァティーとかムムターズ=マハルとかヴェルチンジェトリックスとか
チンギス=ハンの長子ジュチの子バトゥとかの単語が出るたびに爆笑。
世界史の単語って何であんなに響きが面白いんでしょう。
スリジャヤワルダナプラコッテ並です。


起きたのはもう昼で、三人で油麺にこにこへ。
ここはファンがけっこう多く、mixiにはコミュニティが出来たくらいです。
昼よりも2時から4時の微妙な時間が混むのが特徴です。
食べて、野菜ジュースを買って、二人と別れました。



買ってあった『回転木馬のデッド・ヒート』を読みました。
人から聞いた変わった話をできるだけそのまま書いたという、小説のようなエッセイのような不思議な本です。
「雨やどり」という話から引用。

しかし年をとり、それなりに成熟するにしたがって、我々は人生全般に対してもっと別の見方をするようになる。
つまり我々の存在あるいは実在は様々な種類の側面をかきあつめて成立しているのではなく、
あくまで分離不可能な総体なのだ、という見方である。
つまり我々が働いて収入を得たり、好きな本を選挙の投票をしたり、ナイターを見に行ったり、女と寝たりするそれぞれの作業は
ひとつひとつが独立して機能しているわけではなく、結局は同じひとつのものが違った名称で呼ばれているに
すぎないということなのである。
だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にあり得るのだ。


作者が読んだとある小説に、「金を払って女と性交しないというのはまっとうな男の条件のひとつである」
という文があったそうで、それについての考えが最初に出てきます。

作者にはそんな風に言い切ることはできそうにないと言うのです。

我々は実にいろんなものを日常的に買ったり売ったり交換したりしているために、
最後には何を売って何を買ったのかさっぱりわからなくなってしまったということが多々あるから

だそうです。

作者はもちろん金を払って女と性交しないし、したこともないし、この先しようとも思わないらしいですが
我々は多かれ少なかれみんな金を払って女を買っているのだ」ということが言えるのだ、とも言います。


ちょっと例がアレですが、言われてみれば確かにそうなのです。
日々の生活は全部つながっており、それぞれ独立しているわけではないのです。

休日に映画を見に行くのは、映画を見るためだけではなくて
平日のストレスを解消させる面もあります。
つまり平日の仕事のための休日の映画、というとらえ方が可能です。
逆に、何故人は働くかといえば日々を楽しく過ごすため、という部分がけっこう大きいと思います。
としたら休日の映画のための平日の仕事、とらえることも可能なわけです。

まさに「分離不可能な総体」です。

これを認識していないと、何かしんどいことを為そうとする際
孤独にそれのみに打ち込んでしまったりして、結局失敗してしまうのです。

一見ムダに見える友達との談笑や趣味の時間も
巨視的に見れば案外そんなことはなかったりするんですよね。

知識を増やすための読書と一緒に、小説も読もうかな。


性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり」というところが絶妙な表現だと思ったので
タイトルにさせていただきました。





コメント (5)   トラックバック (2)

パンの棚

2006年02月23日 01時46分50秒 | Weblog
鼻がもう。閉めきってない蛇口みたいな感じです。透明な鼻汁が止まりません。
ティッシュがあっと言う間に切れたので、自宅近くのスーパーに行って買ってきました。
いつもは日用品はドンキで買うんですが、そこまで行くのが面倒だったのです。


自宅近くのスーパーは古典的なスーパーです。
珍しい南国のフルーツや聞きなれない野菜は置いてないし、チーズはプロセスチーズしかありません。
そんな中、パンの棚を見たときふっと子供の頃を思い出しました。
今のコンビニみたいに、148円とか138円とかの小賢しい値段でちょっと凝ったパンばかりを売ってる棚ではなく、
ストレートな「ジャムパン」「クリームパン」「カレーパン」とかを100円前後で売ってる棚です。

子供の頃とは、まだ「朝の会」と「帰りの会」があり、
月曜は必ず210円を握り締めて近所の本屋へジャンプを買いに行き、
果汁グミを食べ過ぎて夕飯を残してしまうことがあった頃です。

母の買い物についていった時は、密かに買い物カゴにジャムパンを忍ばせたものでした。


小学生の頃は幸せだったと思います。では何故幸せだったのか。
自分なりになんとなく考えてみました。

人によってまちまちだとは思いますが、自分にとってやっぱり大きいのは
いかにするべきかを考えていればよくて、何をするべきかを考えなくてもよかったから、ということだと思います。
なんというか、自分の周りの枠組みがしっかりしていた。
世界はまあこんなモンだという根拠のない納得があり、
とりあえず頑張ってさえいればいいとこまでいくんじゃないか、という楽観がありました。

世界はそんなに単純なものじゃないことがじわじわ分かってきて、目の前にある物を処理していくだけでは駄目なんだと気付いてきて
今は、問題を解く前にまず問題設定をしなければならないという状況です。
ある意味楽しいかもしれませんが、これは相当にキツいことです。
自分は今何をするべきなのか?」という問いと常に対峙するのは、疲れます。


この問いは、何かをやっている最中でも消えないからさらに厄介です。
自分は今本当にこれをすべきなのか?」と。
考えれば考えるほど「他にも解くべき問題があるのではないか?」という疑問が湧いてきて、
どんな仕事をやっても長続きしない、という事態に陥ります。

そして、極めつけに「そもそも自分はどういう存在なのだ?」という問いに発展してしまいます。
自分は何をすべきか?という問いが、自分は何をすべき存在か?になるのです。
これがいわゆる「自分探し」というやつでしょう。

この状態にはまってしまい、抜け出せないとアレです。ニートです。
この間の幸福の話とも関連して、選択肢ありまくりの現代ではその抜け出しにくさは凄まじいものがあります。


ただ、最近はこの状態から中々抜け出せない人が多いためか、
この状態がかなりの悪者として見られているような気がします。
余計なことを考えずに、早く割り切るのがシャープなやり方である、という感じです。

でも、この状態自体が悪いのではない、というのは少し考えればわかる話で。
早く割り切っている人というのは、穿った言い方をすればこの状態から逃げている
とも言えるのではないでしょうか。

自分は何をすべきか?を徹底的に考え抜いていくということは、ツライからこそ
得るものもでかい、と考えます。


長々と書きましたが、まあ要するに「モラトリアムってしんどいよね」ってことです。
そんなもん高校で終わらせてこい」と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、
大学に入ってから全く知らなかった世界がブァーっと開けた気分なので許してください。






教養と雑学の明確な違いって何ですか?誰かヒントください。
コメント (2)

クオリア

2006年02月21日 01時47分15秒 | Weblog
最近、はまっている概念があります。
クオリア」です。

この言葉を知ったとき、「やられた!」と思わずヒザを打ってしまいました。


クオリアとは簡単に言うと「意識のなかでとらえられる質感」のこと。

これについて説明するときによく用いられるのが、赤さです。
例えば、自分が赤いリンゴを見ているとする。
今自分が感じているこの「」というこの色。
これは一体どこから来たのか?

科学的に説明するならば、リンゴがリンゴにあたる光のうち特定の波長を持つものをよく反射する性質を持っていて、
その特定の波長を持つ光が眼に映り、視神経の興奮が脳に届くから、となるでしょう。

しかし、その特定の波長を持つ光の刺激が、なぜこの色を自分に知覚させているのか。
科学的な説明の言う「特定の波長を持つ光」も「視神経の興奮」もこの色そのものではないはず。

自分が今見ている「この色」という質感(クオリア)は一体何なのだ?

勿論、色だけではなく音、におい、さわり心地なども同じことです。

このことは現代科学では全く説明できていないし、これからも説明できる見込みはないといいます。
むしろ、現代科学では説明することは原理的に不可能であるとすら言われています。


この考えを突き詰めていくと、もはや常識になっている
意識とは、脳の中の化学反応の産物である
という考え方が危うくなってきます。
確かに脳内の化学反応は意識に影響を与えるでしょうが、化学反応それ自体はクオリアではないのです。
意識と身体は同じものだと思いきや、やっぱり別物かもしれない、と。


自分が何故ヒザを打ったかといえば、自分が特別な存在ではないことがわかってしまったからです。
ここでの「特別な存在」とは、人が誰しも子供の頃に感じる万能感ではないです。
大体の人が経験するように、自分も成長していく上で自分は特別でも何でもなく、
ただの凡人であるということを思い知らされてきました。

しかし、この「私」という意識。クオリアを感じている意識を持つ存在は、宇宙で自分だけではないか?
という考えは未だに残っていたのです。勿論「クオリア」というように言語化はしていませんでしたが、直感として。
その直感が「クオリア」という言葉で言語化されてしまっているのを見て、「自分以外にもクオリアを感じているヤツがいる」
ということがわかってしまったのでヒザを打ってしまったのです。
まあ、完全に証明されたわけではないのですが。


この話は、以前チラっと紹介した科学哲学との話ともリンクするので、大変興味深いのです。
今、クオリアをキーワードに脳や意識について研究されているという茂木健一郎さんの本『「脳」整理法』を読んでいるんですが、
科学哲学っぽいことが出てきます。
タイトルだけ見るとハウツー本っぽいですが、全然そんなことはなく。
なんだろう。自分の中では分類不能な本です。

クオリアという切り口から「芸術の感動」について解明するという『クオリア降臨』も興味深そうなのでこれから買って読もうと思います。
ちょっと高いけど。


茂木さんと言えば、茂木さんがNHK土曜スタジオパークに生出演してたところを見た時のこと。
クオリアについて茂木さんが簡単に説明すると、NHKアナウンサーが
「それを研究することでどんなことに役立つんですか?」
と聞く。対して茂木さんは
「何に役立つか、とかそういうことではなくて、科学というのはロマンが必要なんです」
という感じのことを話してました。(後で一応人工知能の開発に役立つよ、と付け足してましたけど)

科学というのはハンパじゃなくロマンチックな営みなのかもしれないです。


今日の関心事

YAHOO!JAPAN
「クーポン 高田馬場」で検索してみてください。






風邪を引きました。
BOOKMARK更新しました。
コメント (4)

gooの「検索で知るコトバ」が面白い

2006年02月19日 21時07分06秒 | Weblog
今日は馬場でトルコ料理を食べた後、
上野の国立科学博物館にチラっと行ってきました。
大体2時間くらい。
今は工事中で見えませんが、外に巨大なシロナガスクジラの模型が展示してある建物です。

地図を見る限りでは案外狭い敷地だったので入ったのですが、地下3階から地上3階までギッシリ展示があり、
とても限られた時間内では全ては見切れずに地上部分を概観するに留まりました。
まあ大王イカは見れたので満足です。

一番惹かれた展示は、情報技術の発達の歴史と九元連立方程式求解機というもの。
以前なら絶対にスルーしていたであろう展示に惹かれている自分を発見し、
何となく変わりつつある自分を感じました。

国立科学博物館には大学パートナーシップという制度があるらしく、
提携している大学の学生は学生証を見せれば常設展を無料で、特別展を割引で見ることが出来るそうです。
都内の主な理系大学、東京大学、筑波大学、ICU、青山学院大学などが参加していました。
該当する大学の人は一度行ってみては?
ちなみにウチの大学は提携してませんでした。残念。


ところで、タイトルにも書いたようにgooの「検索で知るコトバ」が面白いのです。

トップページの検索ボックスの下あたりに、何度か更新すると出てきます。
クリックするとその言葉の検索結果が出てくるわけですが、その言葉がなんとも微妙な、トリビア的な言葉が多くて面白いのです。
毎日更新されているようなのでブログのネタになるかもしれません。

2月19日現在の「検索で知るコトバ」

死の四重奏
生活習慣病の中で互いに合併しやすく、しかも合併することで
より加速度的に動脈硬化や心筋梗塞などを引き起こしかねないという四つの病気のこと。
「肥満」「高血圧」「高脂血」「糖尿病」の四つ。

サイパンタートル
サイパンの先住民族チョモロ族が作る民芸品で、サイパンの定番みやげであるボージョボー人形。
そのオプションパーツ。
ボージョボー人形の下に置いておくとパワーが倍増するらしいです。

観梅
文字通り梅を観賞すること。「梅見」とも言うらしい。
花見よりも上品な印象を受ける。

ホロフォニクス
音を立体的に聞こえさせる技術。
ヒューゴ・ズッカレリという人が開発し、原理や方法は今も秘匿され続けているという謎の技術。
従来の「バイノーラル録音」という技術とは違い、人間の脳との相互作用が関係しているらしい。
鮟鱇が紹介してましたね。

藤子F不二雄展示館
川崎市多摩区生田緑地に建設予定。藤子F不二雄の原画(ドラえもん、オバケのQ太郎など)が展示されることになる。
99年、遺族が川崎市に4万点近い原画を寄贈したことがきっかけらしい。
藤子F不二雄の本名は藤本弘。96年に62歳で亡くなるまでに生田緑地近くに35年間暮らしていたという。
生田緑地には、岡本太郎美術館もある。

ハネッセル
収納部と背負部(ハーネス)の付け替えが自由なランドセル。
これによって身長の伸びが速い小学生が、明らかに身の丈に合わない
小さなランドセルを背負っている、という痛々しい光景がなくなるかもしれない。
デザインも色々。

PSd
ポータブルストレージディスク。USBポートに差込可能なSDカード。
これによりカードリーダーやUSBケーブルなしにデータのやり取りが出来る。

ラムタン
ラムのタン。つまり羊の舌。
道産子の間でブームらしい。
牛タンよりもジューシーで、コラーゲンたっぷりらしいですよ。


そんなこと知ってどうする」という単語も少なくないですが、中には興味深いものも。
情報を得る手段は主にネットだという人は、自分の興味のある分野の情報しか見ていなかったりしますから
こういうコーナーは面白いと思います。

これは検索された回数が多いキーワードを自動的に表示しているのか、
運営者でアンテナの高い方がキーワードを選んで表示させているのかが気になるところですね。






コメント (3)