大阪商業大学高等学校サッカー部

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闘莉王が日本代表に説く“弱者の戦術” 「規律、謙虚さ、チームメートに対する信頼」

2018年06月19日 20時26分04秒 | 心・技・体
●W杯戦士・闘莉王が単独インタビューに応じ、西野ジャパンに提言

 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会開幕まであと2日。今回で6度目の世界一決定戦に臨む日本代表のこれまでの最高到達点は2002年日韓大会と10年南アフリカ大会のベスト16だが、南ア大会で最終ラインからチームを鼓舞し、貢献したのがDF田中マルクス闘莉王(京都サンガF.C.)だった。
 勇壮な鼓舞と強烈なリーダーシップから「闘将」と呼ばれる男は単独取材に応じ、西野朗監督率いる日本代表に対し、「自分たちのサッカー」を掲げて惨敗に終わった2014年ブラジル大会の失敗から学び、「規律」「謙虚さ」「味方への信頼」を前面に押し出す戦いを期待した。
「日本のサッカーの強さはどこにあるのでしょう。スピードでも高さでもパワーでもありません。テクニックも上がってきましたが、世界のスーパースターを見れば敵いません。では、どこで対抗すればいいのか。それは規律だと思います。僕はブラジルで育ちましたが、規律正しさこそが日本の素晴らしさだと思います。チームメイトのために犠牲になれる気持ちだと思います。厳しい状況だからこそ、立ち返ってほしい」
 西野朗新監督が就任後、日本代表は2連敗。まだ無得点で攻守に大きな不安を残している。
 国外大会で初めて決勝トーナメントに進出した8年前の南アフリカ大会だったが、日本代表も大会前には苦難に直面し、下馬評も決して高いものではなかった。
「2010年ワールドカップの前には色々な試練に直面しました。自分が出場できなかった日韓戦で負けて、サッカー界の雰囲気がすごく悪くなった。そして、イングランド、コートジボワールという強豪との親善試合で手も足も出なかった。この2試合で自分はオウンゴールもしてしまった。自分たちのサッカーに対して、持っていたプライドが完全に潰された。自分たちは世界の強豪ではない。自分たちは決して強くないという現実がある。相手の胸を借りるつもりで行かなければいけない」


●南アフリカ大会直前のミーティングで飛ばした猛ゲキ

 大会直前にスイスのキャンプ地ザースフェーで行われた選手ミーティングで「俺たちは弱い。下手くそなりに闘わなければワールドカップでは勝てない!」と檄を飛ばし、堅守速攻で躍進したチームの揺るがぬコンセプトとなった。
 下馬評が低く、結果が出ていないという点で8年前と状況は近いが、必ずしも同じではないという。
「あの時はユウジさん(中澤佑二)と自分が後ろにいた。阿部(勇樹)もアンカーに入って、守備の堅さという拠り所はあったと思う。今は何をベースにすべきか。本当に難しい状況ですが、自分はまず守備だと思います。日本はまだ世界の舞台で相手を圧倒できるようなチームではない。失点したら試合には勝てない。グループステージは最大で勝ち点9。相手に勝ち点3を与えないチームマネジメントというものも、ワールドカップにはあると思います」
 未だ4バックか3バックか定まらない緊急事態で、一刻も早く守備のベースを固めることが最優先事項と持論を展開した。
 そして、グループステージ敗退に終わった14年ブラジル大会の過ちだけは繰り返さないように提言している。
「日本代表はブラジル大会の前も同じ失敗を犯しています。2006年ドイツ大会では、“自分たちのサッカー”をやろうとしました。自分たちがアクションを起こして、試合の主導権を握ろうとするサッカーです。しかし、日本は強豪国相手にいつでも何点も取れるチームではない。あの時のジーコ監督の中盤には、素晴らしい選手そろえていた。ただ、世界には上には上がいる。そういう結果になってしまった」
「2010年は自分たちのやりたいサッカーを我慢した。相手にサッカーをやらせないという方向に転換したことで、多少の結果は出せたと思う。14年にはまた“自分たちのサッカー”で、あんな残念な結果になってしまった。言葉は悪いかもしれないですけど、味方の尻を拭くぐらいの戦いをしなきゃいけない。それがワールドカップにおける、日本の戦い方だと思います」
「4年に1度の戦いです。サポーターが注目してくれるサッカー界にとって大事な舞台です。1回の失敗を教訓にしなければいけない。ブラジルで痛い目を見た。そこから勉強しないといけない」


●闘莉王が説く“弱者の戦術”「“自分たちのサッカー”よりも相手のサッカーをやらせないこと」

 ジーコ氏が率いた06年ドイツ大会では中田英寿氏、中村俊輔(磐田)ら日本サッカー史上に名を残す名手が中盤に集結したが、グループステージ2敗1分けで敗退。ザッケローニ監督が率いた14年ブラジル大会は「ワールドカップ優勝」を目標に掲げていたが、グループステージで2敗1分け。いずれも失意の大会となっていた。
「“自分たちのサッカー”以前に、相手のサッカーをやらせないくらいの気持ちでひたむきに戦った方が、日本の良さも出てくると思う。規律、謙虚さと、チームメイトに対する信頼。そういう部分を見せてもらいたい」
「自分はブラジルで育ちました。ブラジルでは代表戦のある日は誰も仕事をしなくなる。国の機能がストップしてしまうぐらい。とんでもない盛り上がりを見せます。日本でもスポーツを通じて世の中が一体になれる大きなイベントだと思います。みんな代表のユニフォームを着て、テレビの前で応援してくれる。この代表を応援して良かったと、サポーターや家族が胸を張ってくれるような試合をしてもらいたいですね」
 16歳でブラジルからサッカー留学で千葉・渋谷教育幕張高に入学するために来日。日本語が一切話せなかった日系三世は2003年に日本国籍を取得。04年アテネ五輪と10年南アフリカ大会で日の丸を背負い、世界と戦った。今でも君が代を聞くたびに、心が震えるという闘莉王は厳しくも愛あるエールを日本代表に送っていた。(THE ANSWER編集部)


「THE ANSWER 2018年6月12日掲載」

https://the-ans.jp/column/25893/

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鶴見緑地球技場

2018年06月19日 20時25分52秒 | 練習



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