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心の声を聴き従うとこんなことに!

小さな小さな心の声を聴き、迷いながら従っていたら、こ~んな人生に^o^

ロシアで相談

2013-12-16 15:00:00 | 日記
ロシアで、色々なところに連れて行ってもらい、楽しい時間をすごさせてもらいました。

姉の部屋には、姉の部屋で生まれた、生後1〜2ヶ月くらいの子猫たちが所狭しと走り回っていました。

かけてある服に駆け上ったり、時計にちょっかいかけたり、お互い戯れ合ったりと、子猫たちが朝目を覚ますと、大騒ぎの毎日でした。そして、それが可愛くて可愛くて!

そして、そろそろフィンドフォーンに向かう日が近づいて来て、姉とゆっくり話す時間を持つ事ができ、アメリカの学校のクラスを取る事ができず、フィンドフォーンで過ごすこととなったこと、今後、アメリカに戻れないかもしれないことなどを、話しました。

すると、何度も修羅場をくぐり抜けた姉だけあって、「そうなんだ、でも、別に命がなくなる訳じゃないから!」と子猫を笑顔で抱っこしながら、その一匹を手渡してくれました。

そして、日本の両親に電話をすると、父は「誰も、カウンセラーになれとか、アメリカに留学して欲しいとか、言ってもないのに、勝手に思い込んで、勝手にだめになりそうだと、忙しいなあ。」と笑っていました。

それを聞き、「ああーーー、そうだ、そうだ、暗く考えすぎていた!こんなに猫も可愛いし、色々な人/文化/動物/場面/景色を撮るのが好きなので、写真家になろおっ!」と勢い余って決意しました。

そう考えると、ワクワクし出し、嬉しい気持ちで、フィンドフォーンに戻ることができそうになりました!

続きは次回

読んで下さってありがとうございます^^

ロシアの状況

2013-12-16 13:35:58 | 日記
ドキドキしながら、ようやく姉の住む町に到着。空港を出ると、姉と姉のロシア人の生徒さんのMさんが迎えに来てくれていました。思わず嬉しくて、抱きついてしまいました。

それもつかの間、Mさんが「史織さん、5時前に早くホテルに行きましょ!」と言ったので、慌てて移動しました。なんとそのホテルとは、宿泊するホテルではなく、ビザを発行許可するためのホテルなのです。そのホテルに宿泊代を支払うと、ビザ許可が下りるということらしいのです。

それを聞いて、お国が違うと、常識ってこんなに違うのかと心底驚きました。その後、姉のアパートにみんなで行きました。どのアパートも、全て作りも色も同じなので、間違えないように、木などを目印にしているそうです。

特に冬に部屋に入れないと、凍え死にする可能性があるので、絶対に鍵を忘れたりしないようにもしているそうです。

冬は平均気温は、マイナス約15度、夏は18度。時にマイナス50度にも達するようで、私が滞在中も、マイナス20度以上になったので、服を何枚も重ね、ダウンジャケットも重ね着していました。

ロシア帽(毛皮の帽子)のウシャーンカも、寒さから頭部/脳を守るためだそうです。たしかに、普通の帽子とは比べ物にならないくらいの温かさでした。

年末年始の時期だったので、連れて行ってもらった川も半分くらい凍っていました。それでも、町に行くと、「今日はいつもよりは少し温かいから」と言って、ミニスカートに、ハイヒールを履いた女の子たちがたくさんいました。服を何重にも着込んでる自分と,同じ空間にいるとは思えませんでした。おしゃれって、命をかけてするものなんだ!と初めて思いました。

姉は,ロシアの大学で日本語を教えていたと同時に、剣道も教えていたので、剣道の先生も一緒にレストランや、剣道場など色々連れて行ってくれました。地元の方々によると、モスクワは外国と感じるくらい、多くの地方の生活とは違うそうです。

その後、スーパーやモールにも連れて行ってもらいました。スーパーでは、パン、野菜、お肉、調味料、お茶、ペン、トイレットペーパーなどあるのですが、種類が1種類のものがほとんど。そして、トイレットペーパーも、かなりワイルドな触り心地で、パンもお餅に近い食感でした。

また生徒さんに会うと、決められている訳でもないのに、みんな同じペン、ノート、鞄を持っているもの印象的でした。日本は、ペンでも、調味料でも、トイレットペーパーでも、たくさん種類があるので、消費者が選択できるという当たり前ですが、それが当たり前でない国/地域があるのだと、実感しました。

バスも、本に載っているような、レトロなものが、大活躍で、走っている最中に止まり、運転手さんがなおして、また走り出すことが頻繁にありました。

「自分の常識って、何なんだろう?」と思わずにはいられないことがたくさんありました。

続きは、次回に。
読んで下さってありがとうございます


引っ越し ロシア

2013-12-16 03:56:43 | 日記


スコットランドから帰り、担当の先生に、事情を話すと、軽~く、「wow Good Luck。また院に戻るには、試験があるからね~」と

アメリカに戻って来れないかもしれないので、荷物を全部友人宅に預け、アパートを引き払うことに。突然のことなので、友人に理由や、アメリカに帰ってくるのか等色々聞かれました。
しかし、心が折れていたので、「また帰って来たら、詳しく話すね〜。楽しみ!」と引きつり笑いをし続け、一週間でアパートも引き払い終えました。

その当時、姉がロシアの田舎の大学で、日本語を教えていたので、ヨーロッパに寄り、ロシアの姉を訪れ、そのあと、またスコットランドへという予定にました。ここで、ロシアへの
ビザを取るのに、色々書類を提出したりと時間と手間がかかり、先輩に助けて頂きました。そして、このビザがびっくりでした。

姉は田舎に住んでいたので、モスクワで乗り換え。
しかし、飛行機がモスクワから姉の住んでいる市に、どのゲートから出発かが不明。そして、勿論どこにもその表示はないので、空港職員さんやフライトアテンドさんに聞くことに。
チケットを見せると、ポーカーフェイスで「○○番ゲート」との返事。そこのゲートに行っても、表示もないし、しばらく待って登場時間間近になっても、何も動きが何もないし、人もまばら。。。

「ここで、乗り遅れたら、絶対にたどり着けない〜!」と焦り、違う職員さんに聞くと「△△番ゲート」。でも、その前に聞いた時に、違っていたので、違う職員さん2人に聞いてみると
「□□番ゲート」「☆☆番ゲート」とみんな違う番号のゲートを言うので、「違う職員さんは違うゲート番号を言われたけど、本当はどのゲート?」と聞くと、その職員さんは、首をかしげ
「私は、☆☆番ゲートと伝えているから、それ以外は知らない。」と言われてしまい、「確かにそうだなあ。」と変に納得してしまいました。

でも、そこで納得していたら、飛行機に乗り遅れてしまう。よって、人に聞くだけでなく、自力で飛行機のゲートを探さなければ!と思い、乗客の人に、チケットを見せてもらい、
自分と同じ目的地のチケットの方を、3人見つけました。そして、その方々と一緒に居てもらいました。その後、2回もゲート変更があったらしく、2回移動するのも、その方々について行き、
ようやく飛行機に乗り込み、無事目的地に到着しました。


続きは次回に。

読んでくださり、ありがとうございます(^-^)