吹く風ネット

自己嫌悪

 1977年2月1日の日記にこんなことを書いている。
「毎日毎日休みも取らず、戦場に向かっている。
 笑っては馬鹿にされ、泣いては卑怯だと言われる。
 日々の終着は、居眠りでごまかし、
 目覚めれば、また戦場に向かう。
 疲れの報酬は、何もない。
 疲れの報酬は、何もない。」

 なんだ、何も変わってないじゃないか。環境こそ変わったものの、根本は47年前つまり19歳の頃と同じである。いったい今まで何をやってきたのだろう。それが人生だと言われればそれまでだが、何かむなしい。

 19歳のぼくは、ギターと戯れていた。
 66歳のぼくは、スマホと戯れている。
 19歳、ぼくの未来はキラキラと輝いて見えた。
 66歳、ぼくの過去はキラキラと輝いて見える。

 あの頃から人生設計を立てていた人は、立派になっていることだろう。
 今もって人生設計を立てていないぼくは、自己嫌悪に陥っている。

『友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買いきて 妻としたしむ』
 石川啄木の有名な歌である。うん、こんな気分です。
 しかし、『花を買いきて』なんて、ぼくの性に合わない。どちらかと言えば、「いじわるばあさん」の中で犬が言っていた、
『友がみな われよりえらく 見ゆる日よ こうやって猫でも いじめてやるんだ』
 のほうが、性に合っている。
 ということで、今度、コンビニの前にいる猫の鼻でもつまんでやるか。

 何が面白くないかと言うと、すべてが面白くない。他人のことなんて気にもしたくないのだが、つい気になってしまう。いつもなら「でも、負けてない」と思っている強気の自分がいるのだが、今はどうやらお休みのようである。

 この自己嫌悪は、どこから来るんだろう。
 そういえば、まだ足首の捻挫のあとが痛い。普通に歩けるようにはなったが、まだ治ってはいないのだ。
「もう一度病院に行ったら?」と嫁さんに言われる。しかし今は、「病院なんか、誰が行くか!」という気力もない。
 気だるい。この気だるさが、足の痛みから来ていることは重々わかっている。おそらく今日の自己嫌悪も、そこから来ているのだろう。


『自己嫌悪』
 別に変わったことはありません。
 ただ白髪の数が増えただけで
 これといった悩みもなく
 ただ悩めないことにだけ悩んでいます。
 日々考えることは何もなく
 平平凡凡とやっています。
 女に憧れを持つこともなく
 それについての焦りもなく
 本当に平和な毎日ですよ。
 金に困ることもありません。
 仕事も暢気にやっています。
 ほかに何もありません。
 本当に何もありません。
 するべきこともありません。
 やりたいとも思いません。
 別に変わったことはありません。
 ただそれだけの毎日ですよ。

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