吹く風ネット

運命を語る

2001年11月15日

 姓名判断をやっているせいか、時々噂を聞きつけた人が、
「私の名前を見て下さい」と、ぼくのところにやってくる。
「子供の名前を付けて下さい」と言ってくる人もいる。中には
「離婚して自立したいのだけど、そういう名前はありませんか?」という人までやってくる。
 ぼくは基本的に、名前を見ることを拒まない主義なので、時間があれば見てあげることにしている。

 ぼくのやっている姓名判断は、本に載っているような運命や運勢を鑑定するものではなく、その名前に現れる性格を判断するものである。姓名判断を始めたきっかけが人間観察だったから、そういうふうに流れたのだと思う。

 一口に性格といっても、考え方の性格・行動の性格・自分で感じている性格・他人から見た性格などいろいろある。それらを一つ一つ指摘していくのだが、まあ、だいたい当たっているようだ。

 しかし依頼者はそれだけでは物足りないのか、最後に必ずこういうことを聞いてくる。
「私はどういう運命をたどりますか?」または、
「私の運勢はどうですか?」だ。
 先にも言ったように、ぼくの姓名判断は性格を見るもので、運命を見るものではない。なので、答えるのにいつも窮している。姓名判断の本に載っているように答えれば楽なのだろうが、同じ画数でも違う人生をたどるのだから、そんな無責任なことは言えない。

 例えば総画数24画の人は大金持ちになる運命だと本では書いているのだが、この画数で多額の借金を背負ったまま死んだ人も実際いるので、
「あなたは大金持ちになりますよ」などと不確定なことを言うことが出来ないのだ。

 そういう質問を受けるようになってから、ぼくは運命というものを考えるようになった。そして導き出した答が、『運命とは人生の性格である』だった。
 上の24画の例で言えば、
「あなたの人生は、お金に左右されやすい性格を持っている」となる。

 さて、上の運命の結論は姓名判断の結論であって、別に運命を否定しているのではない。逆に運命を否定する人を否定している。
「私は運命なんて信じません。だって運命は自分で切り開くものでしょ」とわざわざ言って来る人がいる。その時ぼくは、いつもこう答える。
「あなたのおっしゃるとおりです。そう思うことが、あなたの持っている運命なんですから。そう答えるぼくも、そう答える運命を持っているんですよ」と。
 そういう人は、ぼくのことを「この屁理屈野郎が」と思う運命も持っている。
 

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