吹く風ネット

ズボン下ブルース

2003年2月17日の日記です。

1,
 ぼくが通った小学校は、制服がなく、みな私服で学校に行っていた。もちろん男子は、夏は半ズボン、冬は長ズボンをはいてくる者がほとんどだった。

 ところが隣の地区の小学校は違っていた。
 そこは制服着用だった。ぼくたちの学校と同じく集団登校だったが、同じ服を着た集団が歩いている姿は異様なものがあった。冬も半ズボンをはかなくてはならず、寒さはハイソックスでしのいでいたようだ。
 ぼくたちはそれを見るたびに、「あんな格好で寒くないんかのう」などと言っていた。ぼくたちは長ズボンだけでは耐えきれず、ズボン下をはいていたのだった。

2,
 ぼくは当初、ラクダ色のズボン下をはいていた。地が厚くて暖かいのだ。ところが、体育の着替えの時に周りを見てみると、みな白いズボン下をはいている。
「これはいかん」と思ったぼくは、さっそく母にねだり白のズボン下にしてもらった。しかし、白のズボン下はラクダのそれに比べると地が薄く、寒かった。慣れるまでにけっこう時間を要したものだった。

3,
 中学・高校はもちろん制服着用だった。ところが、それまで夏場は半ズボンで暮らしていたので、ちょっと困ったことになった。
 夏のくそ暑い時期に長ズボンは耐えられない。体育のある日などは、短パンになるので嫌でもブリーフをはかなければならない。
 その日は地獄だった。長ズボンでただでさえ暑いのに、ブリーフが通気を悪くし蒸れてしまう。おかげで、ならなくてもいい病気(皮膚病)にかかってしまった。

4,
 さて、その頃になると、さすがに冬場にズボン下をはいてくる者はいなくなった。『おっさん臭い』というのがその理由だった。
 ぼくは何度かシャレでズボン下をはいて学校に行ったことはあったが、継続はしなかった。寒さよりも、見た目を気にする年頃になったのだ。
 いくらズボンをはいていても、ズボン下をはくとお尻の部分が張ってしまうのでわかってしまう。女性がジーンズの下にガードルをはいているとすぐにわかるが、それと同じことである。

5,
 以来、ぼくはズボン下をはいたことがない。
 今は車で通勤しているのでそれほどでもないが、JRで通勤していた頃はやはり冬場は寒くてたまらなかった。充分厚着はしているものの、それは上半身だけのことで、下半身はズボン一枚だけだった。
 駅まで自転車で行っていたこともあるが、太腿を刺す風が痛かった。だが、「太腿用のサポーターでもしようか」と考えたことはあるものの、「ズボン下をはいて行こうか」と考えたことは一度もない。

6,
 小学生の頃、デパートやスーパーの肌着売場に行くと、マネキンにふんどしをはかせ展示していた。さすがに今はふんどしを置いている店は見かけなくなった。
 が、相変わらずズボン下は健在である。ラクダの上下をマネキンに着せている店もある。
『ももひき』『タイツ』など呼び名がいろいろあるようだが、いったいどう違うのだろう。どれもズボン下に変わりがないのだから、ズボン下で統一したらいいのに。

 それにしても、『タイツ』はやめて欲しいものだ。『タイツ』というと、ぼくはすぐに小学生の頃、女子がはいていた色気のないタイツを思い起こしてしまう。男はズボン下でいいじゃないか、ズボン下で。

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